とうとうこの日が来た。
今日で一つのバイトが終わる。簡単に言えば、クビになったのだが(^0^)。
弱点も欠点もあったのだろう。評価が低かったのだから。それはそれで致し方なし。さっぱりとあきらめるしかない。通用しなかったということになる。ただし、ボキはまだまだ健康なのである。マジに。それに元気もある。だいいち歩くのも早い。ドンドンドンドン、前だけを見て歩く。だから、糖尿病の薬も呑まなくて良いと言われたのだ。アジア最大の病院に。
わはははっはははっははっはははははっはははっはあはっはははっはははっははっは。
ま、そんなことを自慢していたってしょうも無い。しょうも無いことは、しょうも無いのである。だから、きれいさっぱり忘れてしまうことである。忘れられないということは、未練があるってぇことだ。しがみついているから、未練がついて回るということになる。所詮、仕事なんてぇもんは、定年でジ・エンドであるからだ。
柔道にも未練がない。重量級の柔道におさらばした。柔道をやったから丈夫になったのである。しかし、これで太り過ぎた。今は、72キロ代である。現役時代はかなり太っていたから、これが元気のもとにもなっている。
つまりコントロールである。自分をコントロールできるか、できないかということである。普段の生活から実施していかなくちゃアカン。
これって、昔の日本人にもミチミチていた生活方法では無かったのか。
旅に出るにも全部歩くしか無かったからだ。殿様なら別だが。馬に乗るという手段もあったか。あ、駕籠もあったなぁ。
汽車が登場してきてから、便利にはなったが、体力が落ちた。まして現代は新幹線なんてぇ怪物みたいな乗り物もある。早い。早すぎる。なんてったって、ボキのふるさとまで二時間しかかからない。東京から九十九里浜までと同じなのだ。笑ってしまう。そんなに九十九里浜は遠いのである。
しかし、不便をじっと我慢して乗っていると、これまた良い。風景を味わうことができる。やはり、あっというまに風景が過ぎ去ってしまったら、味わいもくそもない。この良い例が富士山である。富士山を見に行くのも大好きだが、あれは新幹線から見る山では無い。小さすぎる。すぐ近くで見るから富士は富士なのである。威厳がある。デカイ。とてつもなくデカイ。圧倒してくる。
未練がましく、くだらない人生を送っている庶民のボキを励ましてくださる。
その意味で太宰治の「富岳百景」が良いと思う。この作品には、悪戯好きな太宰治のユーモアがたっぷりと入っている。
そして去り方が書いてある。
>富士山、さやうなら、お世話になりました。パチリ。
こういうふうに去りたい。カメラを持っていくか。ボキも。GOOD-BYEというより、「さやうなら」である。良い日本語ですなぁ。
パチリも良い。
(´∀`*)ノ