商人国家ニッポンで生きるからには、仕方ないのか
こんな退屈しのぎのブログばかり書いているから、どうも私は根が暗いじーさんだと思われているかもと思う。自分で思うのだから確かなんだろう(来てくださる一定の方々には感謝しています)。
しかも、退職してから社交性を自ら断って、世の中の役に立たないことしか興味関心が無くなってきた。読書しかり、古文書しかりである。そんなもんはクソの役にも立たない。しかも、暇さえあれば草の枕を友として、あちこち旅にばかり出かけている。だから、そういう自分をあえて否定しないでいる。
しかし、完全に社会との接点を断ってしまったわけではない。老人大学とか、老人クラブとか、塾とか、非常勤講師をしている大学とか、専門学校とか、中国語講座とか、男の料理教室とか、柔道とか、gymとか・・そういう接点は微かにある。微かにあるっていうだけで、それだけが生きがいになっているわけでもない。
要するに、ひたすら面倒なだけである。縛りが、である。いろいろな法規制があるから、それは遵守しているけど。そういう枠の中に入れて管理されるのが、だんだんイヤになってきたというだけである。
くだらない理由だ。まったく。
仕事ごっこをしている時代は、それでもって我慢してきた。仕方がないではないか。でないと、馘首されるからである。サラリーを家庭に入れないと、それでもって私はアウト。不要なんである。要らないというやつ。
つまりカネ=とーま君であって、カネがすべての価値を決めていたのだ。情けない。実に情けない。カネが私のすべてを決めているんだったら、このブログも「と~ま君の***日記」ではなくて、「お金さんの***日記」とかに変更すれば良かったというだけの話ではある。
そもそも日本人というのは、経済市場主義である。もっというと「一億総商人国家」である。経済でしか、国家が成り立っていかないではないか。貿易とかなんとかとか、もっともらしく言っているが、要するに商人国家でないと世界の中で生きていくことはできないわけである。
仕方がないではないか。そもそもがそうなのだから。だからそれを悪いとかなんとかと言っているのではない。それはそれで仕方のないことであるからだ。
商人国家なのだから、教育が大事になるんだろう。今になって初めてよーくわかったよん。マジに。そろばんと、簡単な数学と、金儲けの話ができる程度の語学と、表面的な道徳的意識、それにこざっぱりした服装・・・というものがあればそれで終わりなんだ。商人だからだ。いいも悪いもない。それでなくては喰っていけないからだ。
福沢諭吉の言った実学重視ということも、そういう前提を踏まえたもんだろう。しかも彼は私のやっているような訓詁注釈的な遊び人の学問を嫌った。当然であろう。そんなのやってもなんの利益も生み出さないからである。
私にご縁の無い一万円札の中に鎮座ましましているのも、実によくわかるような気がする。
すべてが利益重点なのである。だから、私は一万円札にご縁がないのだ。しばらく見ていないし。それに年金生活者である。カスカスの生活しかできない。できていない。
ま、カネが無いから社会から相手にされていないというのはよくわかる。
老人大学でも、金持ちの同級生がたくさんいるからである。ライオンズクラブの会員が、私の班で50%いるのだから呆れてしまう。元社長さんの時間つぶしでやってきているのである。そういう方々は、ボランティアでまことに多忙である。それこそ老人大学に来ている暇もないほど多忙である。つまり社会から相手にされているわけである。たいしたもんである。
私とはまったく違っている。
しかしだ。
私はそれでも明るく冗談ばかり言っている。そういうエライ方々とも卑屈にならず、平等にクチがきける。馬鹿話もそうとうする。そして、いつも聞き役に回る。
決して、オノレが昔どんな職業についていたとかの話はしない。バカでもあるめぇし。
どうしてもと聞かれたら、「この3月まで現役の大学生をやっていたバカですよん」と申し上げる。そういうと、たいていの方々は呆れる。もうクチをきくのもバカらしいとなる。
気軽に会話を楽しんでいればいいだけである。
なにも深刻ぶって、ニーチェがどうしただの、ドストエフスキーがどうだらとか、仏教がどうしただの、キリスト教がどうしただの、民俗学がどうしたのだの、郷土史が、鬼が、カッパが・・・・・とかやっているわけではない。放っておいたら、永遠にしゃべっているようなことばかり話しているわけではない。
迷惑になるからである。
そんなもん、自分だけで楽しんでいればいいだけである。家族だって、私がなにをやっているのか全く興味がないし。
それも私が死んだら、これまであちこち書いてきた研究誌なんか、捨てられるだけ。誰も読まない。興味関心の対象にならないからだ。
妙にエラそうなことを言わないことが、ジジイになったら大切なことである。もっとも、そんなことを言うだけの資格もねぇなぁ、オイラには。
gymでもそうだ。
若いトレーナーとバカ話だけをしている。「と~ま君って面白いですねぇ」とか言われる。昨日もバイクをこいでいたら言われてしまった。どうやらからかって来ているらしい。「明るいから」とかよく言ってくる。もっとも指導をしてもらう機会もかなりあるから、その時におもしろおかしくしゃべっているからであろう。根が明るいというのは、自認している。
中国語講座の仲間からもそう言われる。根が明るいって。もっともそれは「根っこのところが軽い」っていうことと変わりがない。そうなんだねぇ~。軽いんだよん、オイラは。
だからなにも深刻ぶっている必要は無い。
趣味に生きればいいだけである。
商人国家ニッポンの中で、生きていくコツなんだろうから。
あはははっはははっはは。
(^_^)ノ""""