うどん★大作戦 blog

うどん好き人の日記。岡山・讃岐のうまいうどん屋を食べ歩き、いつかうどんやを開きたいな~♪

金毘羅往来(第10話)

2007-04-08 21:04:01 | ◇岡山観光学習

今回は目的地「由加神社」までのお話ですが、これが一筋縄にいかずで・・・。まぁ読んでください。
JR瀬戸大橋線「木見駅」の裏手に「常夜灯」と「38丁」の道標があります。


隣の公会堂脇に「常夜灯」「地蔵」「宝塔」と並んでいます。

道幅は狭くなりながら南の山へと向かうと、


見通しの悪いカーブのところに遍路の「道標」が。
抜けると池の端に慶応2年(1866年)「瑜伽大権現の鳥居」が現れる。


「鳥居」を抜ければ、見通しのよい直線が続いています。
道の左脇に「36丁」の道標、明和4年(1767年)。
さらに進んでいくと左手に「35丁」「34丁」「33丁」「32丁」「31丁」と順に道標が点在する。
道はやや左にカーブしながら進むと「石塔」が三つ、横に「地蔵」が見える。
「五輪塔群」が現れたかと思うと、郷内小学校尾原分校のところで道は二手に分かれる。


静かすぎて一瞬異次元の世界に迷い込んだ気がした。
自動販売機横に道標。「右 田之口、由加旧道」と記されている。

正面には「天津神社」へ続く階段がある。


その階段脇の道を進むと工場が立ち並ぶ。ガードレールに左由加山の標識があり従って進むが、
参考書「金毘羅往来と由加往来」を読んでも道があっているのかよくわからない。
とにかく「金毘羅往来と由加往来」25項に掲載されている写真の場所が分かればと思い探すがわからず、
いつのまにかかなり東の方の集落まで来て「常夜灯」発見するがこれといった手掛かりがつかめずこの日は断念した。
後日また参考書を熟読し再調査するがまたドつぼにはまる。
近くの老人に話を聞いてみるとこの道が往来であるらしいが、ルートからかなり外れてしまう。
この道も間違いではなさそうだが「金毘羅往来と由加往来」25項に掲載されている
"途中で草の中に消える旧道"写真の場所が気になるのだが・・・。参った、暗礁乗り上げた・・・。
郷内小学校尾原分校まで戻り参考本と睨めっこ。この道がこうでこう行ったら。。。???

あった!15年前の写真とほとんどかわってない!

県道林~由加線に上がりその先の山中へ続く道を探すも草木が行く手を阻む。

これは絶対無理!と判断し、その先の道がどこに出てどこが再入り口なのかに変更し検索をすることにした。
由加に続く県道から脇道を探すがこれというものもなくこの日も断念。
由加を目の前に2回目の挫折。こんな困難が待ち受けていようとは思いもしなかった。
その夜、参考本に添付されている地図と現在の地図から等高線と距離を導き、付近の地図を作り再度チャレンジに向かった。

「由加往来」(北往来)は県道林~由加線によって分断されていた。
山の急斜面を下り往来をさがすも手掛かりはなく、地図からここの辺へ出てくるということで納得。

この辺りの道は、岡山藩主池田継政が由加山へ参拝するときに由加山で一泊するため、
由加におこもりすることで「おこもり道」呼んでいたようだ。
※「備南地域発展誌Ⅱ備中の道を行く」早島町中央公民館所蔵引用

県道を渡ってから山へと続く道らしきものは発見できたがうっそうとしたジャングル化しており、
おそらくこの先数十メートルのところに「距岡山元標六里」があると思われるがアプローチを断念した。(コンクリートで舗装された道ではない)


500mほど南下したところから再度アプローチを行う。



すぐの分かれ道を入ると「8丁」の道標を発見!

その先へと向かうが、ロープが張られ立ち入り禁止区間となってしまった。
行けば「9丁」の道標と「鳥居」があるのだろうが確かに倒木もあり落ち葉で道もよくわからなく、やばそうなので諦める。

もと来た道を戻り細い山道を登る。


ここから由加までは800mほどだがかなりの上りで息絶え絶え。
このあたりに集落があるようだがよくわからない。少し行くと「松井の井戸」

看板の説明には“池田候が由加参拝の切、根引きにさしかかり松の井戸水を所望されお飲みになったところ
由加の霊山よりの湧水は、正に天下随一と愛飲されました。
以来、岡山より家来のものが松の井に水を汲みにきたと伝えられている”今も飲めるのかは不明。
そばに「6丁」の道標があった。

さらに登り進めるとると「5丁」の道標。先に進んで行くと2mほどの大きな岩石になにやら彫られているが読めない。


その先に「4丁」の道標があり、


やっとアスファルトで舗装された道に出る。
少しだけ道なりに歩きたら境内に続くと思われるゆるやかな階段を下りると左手に「3丁」の道標。

やっとカウントダウンだ。池のほとりを通り駐車場の脇を抜けると「2丁」の道標、

過ぎたころから石灯籠が整然と立ち並ぶ

「由加山蓮台寺」に入ると「1丁」の道標。

やった~!ついに「由加山蓮台寺」たどり着いたどぉ~!?

とりあえず大仏前で手を合わせ「由加神社」に到着!?


「由加山蓮台寺」と「由加神社」どっちがどぉ?金毘羅両参り、「讃岐金毘羅」とどこに参れば両参りとなるのか?
「由加神社」には当神社のことだと記されておりましたが道標の距離的ものを考えれば
「由加山蓮台寺」?駐車場の看板を見る限り仲は悪そうで・・・


創建は「由加神社」天平5年(733年)、「由加山蓮台寺」天平10年(738年)で「由加神社」の方が古い。
しかし「由加神社」は明治の神仏分離に伴い「由加山蓮台寺」から分社されたらしい・・・
宗派でみれば「由加山蓮台寺」は真言宗。「讃岐金毘羅」は神仏分離以前は真言宗であったから繋がりはある。
では「由加神社」はどうなるの?「由加神社」は江戸中期に備前藩主池田候の祈願所となり、
正月・五月・九月には藩主自らご参拝していた。その時ご参拝していたのが「由加神社」本宮のご本殿ということらしい。
金毘羅往来(第6話)でもふれたように、往来は江戸中期頃より広まり始め、流行は江戸後期の文化・分政期と言われていること。
参拝客の多くは大坂・播州から船で田の口に降り「由加山」へ参っていたこと。この道は次の回にお話しする。
話は少しそれたが、江戸中期・後期、当時で考えればどっちがどうということより、
「由加山」参拝することでご利益を授かることでよかったのではないかな?
明治の分社以降、争うことになったと自身解釈することにした。そういうことにしておこう。 

起点~由加山 総距離29km

コメント (2)
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