うどんを食べたらちょっと近代遺産観光。戦国時代、岡山城主 宇喜多秀家が早島から児島湾の干潟の
干拓を始め、江戸時代には岡山藩主 池田氏による旭川~吉井川間の新田開発が行われた。
今回は明治に始まった藤田地区の干拓にまつわる樋門を訪ねてみます。
そういえば小学校の時に社会授業以来だな・・・
「桜の馬場樋門(さくらのばばひもん)」明治37年(1904)5月15日竣工
工業団地南の藤田スポーツ公園脇にひっそりとたたずんでいる。
R30興陽高校前のお好み焼き屋の北から平成14年移築されてきました。
移設された今でも壁面には貝殻が残っており当時の姿を残している。
「都宮島樋門」R30倉敷川を渡る倉敷川橋の脇にある。先の「桜の馬場樋門」の南200m。
残念なことに説明看板は色あせ一部の文章しか読み取れない。
「妹尾川三連樋門」藤田支所近く。明治37年(1904)4月3日竣工。
現在は電動化されているが道路拡幅工事のため近く取り壊される予定だそうです。
「大曲(丙川)三連樋門」明治37年(1904)7月17日竣工。橋梁はフラットな形状である。
ちょっとティータイム。ってたこ焼きやんけ~!
◇「たこ焼きカルチョ」◇
住所:岡山市南区藤田188
営業:11:00~18:00
定休:日・祝
たこ焼きカルチョから「大曲三連樋門」北側を眺める。
藤田の明治の干拓は、R30付近を境に昭和の干拓へと引き継がれた。
ついでなので、倉敷川橋を渡って灘崎の樋門を北から訪ねてみましょう。
灘崎の干拓は先出の藤田の干拓よりも少し早く着工されたようで、灘崎の干拓を開墾第一区、
藤田の干拓を開墾第二区とし、以降開墾第七区まで行われた。
「片崎樋門」岡山市南区灘崎町西高崎、明治33年(1900)年頃竣工。
「常川樋門」岡山市南区灘崎町西高崎(リョービプラッツ東公園)
「宮川樋門」 〃 「常川樋門」から川沿いに500m、保育所付近。
草木に覆われ全体像がよくわからない。
「高崎干拓堤防」岡山市南区灘崎町西高崎~玉野市東高崎 「宮川樋門」から川沿いに約200m
開墾第一区第二号干拓堤防
明治38(1905)年頃竣工。開墾第七区の干拓で埋め立てられたため堤防の役割はなくなり取り壊された個所もある。
宮川樋門の東には、高さ1.5メートル前後の石積み堤防が約350m残っている。
開墾第七区は昭和38年に工事が完了し、現在の児島湖・児島湾となっている。
参考サイト:
岡山市公式ウェブサイト > 魅力と観光 > The Lit City Museum > 歴史館 > 岡山の干拓