今、言うまでも無く、「不況」。
先般の事業仕分けでも、「文化・芸術」関連の事業が
ゴソッと削減された。
今度の事業仕分けでも、おそらく削減となるだろう。
事業仕分けだけではない。
それ以前から、
芸術系のイベントが削減。
イベントだけじゃない。
教育では、芸術系の科目も削減。
アートと深く関わっているボクは、
芸術は「公(おおやけ)」と関わる時代は終わった。と感じている。
これからは、自分たちでアートを広げていく時代。
一時、「ベンチャー起業」が流行ったが、それと同じ。
自分たちの技術を、自分たちの方法で広げていく。そんな時代。
公(おおやけ)と関わっているメリットはあった。
例えば、公立高校で美術部の在校生・OBの合同展覧会をするとしよう。
これは自身の経験談である。
メリットとしては、「○○高校」という名前を使うことが出来る。
しかし、デメリットが少なくない。
とにかく、「あれは駄目、これは駄目」といったことが多い。
例えば、展覧会のポスター掲示、DMの配布といった宣伝活動。
これらをするにしろ、許可が要る。
1箇所だけの許可ならまだいい。
それが、何箇所もの許可をもらわなければならないことが多い。
いくら早くに申請を出したとしても、
許可が下りた頃には展覧会の1週間前…。なんてこともある。
中には、ポスターやDMに、キャッチコピー風に書くと、
一言一句、公文書のように修正を求められたり…。
例えば体言止めを多用していると、文の最後は「動詞」でおわるように。
などと修正される。
体言止めの方が文字数も少なくてインパクトもあるのに…。
さらに、
「公的機関(公立高校)だからこういう作品であるべき…。」などと、
作品のジャンルや画材、描き方。
広く言えば個人の領域にまで口出しされる。ってこともある。
そんなことが、既成概念を生み出し、
アートの発展にブレーキをかけているとボクは考える。
公(おおやけ)と関わらないメリットとしては、
「あれは駄目、これは駄目」といったことがないので、
自由に活動が出来る。
宣伝活動も思い切ってできる。
作品のことに関しても口出しされることがない。
もちろん、デメリットもある。
知名度や信用度(信憑性)が低いことから
完全な0(ゼロ)からのスタートすることになる。
しかし、それは活動で取り返すことが可能。
信頼度を上げるためには、ホスピタリティ(心をこもったおもてなし)の
精神を持てばいい。
例えば、展覧会に来て頂いた方に直筆のお礼状を送る…など。
今は個人情報にうるさい時代。
公(おおやけ)と関わっているため、
お礼状を送ることさえ許してくれないってことも起こっている。
言ってしまえば、心をこめたおもてなしを許してくれないってことだ。
昔は公と関わっていたほうが、信頼度が高かったが、
今は逆に信頼度が低いってことも出てきた時代だ。
しまいには、「公(おおやけ)と関わっている」ことから、
敬遠されるってことも起こるかもしれない。
芸術だけでなく、スポーツ界でも同じことが言えるのではないか?
先般の事業仕分けでも、「文化・芸術」関連の事業が
ゴソッと削減された。
今度の事業仕分けでも、おそらく削減となるだろう。
事業仕分けだけではない。
それ以前から、
芸術系のイベントが削減。
イベントだけじゃない。
教育では、芸術系の科目も削減。
アートと深く関わっているボクは、
芸術は「公(おおやけ)」と関わる時代は終わった。と感じている。
これからは、自分たちでアートを広げていく時代。
一時、「ベンチャー起業」が流行ったが、それと同じ。
自分たちの技術を、自分たちの方法で広げていく。そんな時代。
公(おおやけ)と関わっているメリットはあった。
例えば、公立高校で美術部の在校生・OBの合同展覧会をするとしよう。
これは自身の経験談である。
メリットとしては、「○○高校」という名前を使うことが出来る。
しかし、デメリットが少なくない。
とにかく、「あれは駄目、これは駄目」といったことが多い。
例えば、展覧会のポスター掲示、DMの配布といった宣伝活動。
これらをするにしろ、許可が要る。
1箇所だけの許可ならまだいい。
それが、何箇所もの許可をもらわなければならないことが多い。
いくら早くに申請を出したとしても、
許可が下りた頃には展覧会の1週間前…。なんてこともある。
中には、ポスターやDMに、キャッチコピー風に書くと、
一言一句、公文書のように修正を求められたり…。
例えば体言止めを多用していると、文の最後は「動詞」でおわるように。
などと修正される。
体言止めの方が文字数も少なくてインパクトもあるのに…。
さらに、
「公的機関(公立高校)だからこういう作品であるべき…。」などと、
作品のジャンルや画材、描き方。
広く言えば個人の領域にまで口出しされる。ってこともある。
そんなことが、既成概念を生み出し、
アートの発展にブレーキをかけているとボクは考える。
公(おおやけ)と関わらないメリットとしては、
「あれは駄目、これは駄目」といったことがないので、
自由に活動が出来る。
宣伝活動も思い切ってできる。
作品のことに関しても口出しされることがない。
もちろん、デメリットもある。
知名度や信用度(信憑性)が低いことから
完全な0(ゼロ)からのスタートすることになる。
しかし、それは活動で取り返すことが可能。
信頼度を上げるためには、ホスピタリティ(心をこもったおもてなし)の
精神を持てばいい。
例えば、展覧会に来て頂いた方に直筆のお礼状を送る…など。
今は個人情報にうるさい時代。
公(おおやけ)と関わっているため、
お礼状を送ることさえ許してくれないってことも起こっている。
言ってしまえば、心をこめたおもてなしを許してくれないってことだ。
昔は公と関わっていたほうが、信頼度が高かったが、
今は逆に信頼度が低いってことも出てきた時代だ。
しまいには、「公(おおやけ)と関わっている」ことから、
敬遠されるってことも起こるかもしれない。
芸術だけでなく、スポーツ界でも同じことが言えるのではないか?