ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

170108 今年初めての武蔵寺写経会。冥福を祈るというという弔辞はおかしい!?

2017年01月08日 | アフターセブンティ

 昨日、妻は親友のUさんの告別式に出席。最後のお別れに福岡市のKさんと高速バスででかけていった。亡き友の顔をみて妻たちは涙しつつ、どんな感慨をいだいたのだろうか

 前回のブログで私はUさんのご冥福を祈るばかりであると書いた。冥福を祈るとは冥土で幸せになってくださいという意味なのだろうがよくよく考えると現世ではあまり幸せじゃなかったような言い回しともとれる。親鸞を宗祖とする浄土真宗ではこれは現世で生きている人間のおごり、無明のなす業だと言って否定している。

 「散る桜、残る桜も 散る桜」 いずれあなたがたも私のように死んでゆくのよ、だからしっかり生きてね! 人間は死んでも霊魂が残ると日本人は考える。49日までは霊がさまよい仏になっていない。だから忌日法要をする。弔辞で安らかにおやすみくださいとあいさつするのは生きている人間のおごりだという。弔辞を言ってる人間こそしっかり生の意味を考え目覚めよというわけだ。今年、初めての武蔵寺写経会に出かけた

 写経の最後の為書きにはやはりUさんの御冥福をと書いた。要は死という厳然たる事実を前にして、それをどう受け止め、どう生きなおすかという姿勢が確立できれば良いのではないか

ちゅうじきをあり難くいただき、謙虚に、元気に、なにかヒトさまにお返しをしつつ、生きてゆくことにしましょう!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする