12日の昼、買い物から帰ってきた妻の車のトランクから重い買い物袋二つをもって階段をあがり台所まで。鯖飯二つをレンジで温め、お茶二つを用意、白菜の漬物をトレイにおいて2Fの私の部屋へ。昼食はいつもここ。小さなちゃぶ台にトレイをおいて、向きを変えた途端、トレイが少し傾いてお茶がこぼれてしまった。くそ―っとわめいた。なんで滑るんだこのトレイ!らしきことを言ったのかもしれない。
(太宰府天満宮の仮殿)
聞きつけた妻が雑巾で床をふいて、だまって自分の部屋を自分のサバ飯をもって引っ込んでしまった。なんでここで食べるんだと言ったか定かじゃないがいきなり鯖飯を投げつけてきて大乱闘、気が狂ったのか。「何でもかでも人のせいにして自分の不注意でしょう、トレイが悪いのではないわよ!」以前ニトリで滑らないトレイが売っていたよといったが無関心だった。ちらかった飯をだまって妻は掃除。俺の言うことに今まで「はい、そうね」と言ったことがないとどなりつけドアをばたんと占めて自分の部屋へ。一人で鯖飯を食おうとしたが半分にわけて無言で妻の部屋へもってゆく。
いったい何故妻が激高したのか過剰反応したのかわからない。トレイが斜めになってお茶がこぼれたのなら、「あら、やってしまったのね」と笑ってすませばよいだろうにまったく腹が立つ。一人で黙々と鯖めし半分を食す。まあ、よくよく考えるとなぜ私がお茶がこぼれて大声をあげてしまったのか、それがわからない。別に朝から気分が悪かったわけではないのにね。
毎朝仏間で阿弥陀仏へ経をあげる時に最初に懺悔文を読み上げる。
我昔所造諸悪業皆由無如貪瞋痴(がしゃくしょぞうしょあくごうかいゆうむしとんじんち)従身口意之所生一切我今皆懴悔(じゅうしんくいししょうしょういっさいがこんかいさんげ)
浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、「日頃偉そうなことを言っている人間、善人と思っている人間も死ぬまでこれら煩悩三毒から逃れられない凡夫である。なんでも自分でやれるなど傲慢な人間もいかに人様のお陰で生きてゆけているのかを知るべき、自力ではなく他力を信ずる謙虚さを失うな」と説いている。結局、私は自分の言うことが受け入れられないと気分を害す心の狭い人間なのかもね。もろもろの欲、その欲が満たされないことによるいらだち、怒り。そして口からもれる愚痴。煩悩三欲からの脱皮は至難の技か。
(デビューした猿が指令通り登ってくれるか?!)
息子が福岡のヒルトンホテルで3日の社内研修をおえ、わが家に立ち寄るという。土曜日が大学時代の同窓会らしい。妻に駅着時間のラインがはいる。妻が迎えに行ってくれと言う。夕方、正月のフグ刺し、フグ鍋セットの残りのフグ鍋を3人で食べる。缶ビールで軽く乾杯、談笑。息子は600人の年初頭の研修会、去年までは宮崎のシーガイヤでやっていた。
その後そそくさと風呂に湯をはり私は入浴、じっと気持ちよい湯に心身をゆだねる。20時過ぎ早々に寝床にもぐりこむ。一体今日の昼の大騒ぎは何だったのか?凡夫たる人間の不可解さ、馬鹿さ加減を思う・・・・・・・