3日目の自由行動でも宮殿遺跡を見に行きました。
今度は景福宮(キョンボックン)です。
朝鮮王朝の開祖李成桂が1392年の建国と共に建てた最初の宮殿であり、1395年から約200年間李氏朝鮮の正宮として使用されました。1553年に大火によって焼失し、1592年の文禄の役で再び焼失しました。その後は離宮の昌徳宮が正宮に使用され、景福宮は約270年の間再建されませんでした。朝鮮王朝末期の1865年に高宗の父・興宣大院君が再建し、1868年から1897年まで正宮となりました。1910年、日本の植民地化により朝鮮総督府の庁舎が景福宮敷地に完成し、李氏朝鮮以来の建物の多くが破却されました。
1990年から復元事業が行われており、2030年までに379棟を復元して1865年には再建当時の75%の水準を回復する予定です。

景福宮の南正門、光化門(クヮンファムン)。
1395年に初めて建設されたのち、何度か焼失、再建、植民地期には朝鮮総督府がこの門の取り壊しを検討しましたが、柳宗悦らの働きかけで保存されることになりました。1968年に鉄筋コンクリート造で外観復元されましたが、朝鮮総督府庁舎があったため正確な位置ではなく、2010年に正確な位置に復元され、一般公開されました。
門の前の広場で王宮守門将兵の交代儀式が行われていて、大勢の見物人で賑わっていました。

光化門の次に興礼門(フンレムン)があり、その次にある勤政門(クンジョンムン)。
向こうに北岳山(プガクサン) が見え、手前にあるのは永済橋。
植民地期から1996年まではこの前に巨大な朝鮮総督府の庁舎があり、景福宮は隠されて見えなくなっていたので、朝鮮の人達にとっては抑圧の象徴のように感じられたことでしょう。

勤政門を宮殿側から見たところ。
向こうにソウルの近代的ビル街が見えます。

勤政門の奥に景福宮の正殿、勤政殿(クンジョンジョン)があります。韓国で最大の木造建築。
国家の大きな儀式を挙行したり、外国からの使臣を接待する重要な場所でした。
手前にある広い中庭には薄石が敷いてあり、中央御道の左右に据えられた石で身分によって立つ位置が示されいています。


勤政殿の内部。壁や天井は鮮やかに彩られていて、日月五岳図を背負う玉座があります。

勤政殿の西方に池に、面して慶会楼(キョンフェル)があります。
王が主催する宴会や国家試験が行われた場所です。48本の石の柱に支えられた2階建ての建物が池に映って、とても優雅です。
勤政殿の北側に王が日常執務したり、会議を行うなどした思政殿(サジョンジョン)があり、その北側に、

王の寝室、康寧殿(カンニョンジョン)があり、

その北側に王妃の居室、交泰殿(キョテジョン)があります。


交泰殿の裏に人工庭園、峨眉山後苑があります。
たくさんの観光客がこの前でポーズをとって写真撮影しているので、人の写っていない絵を撮るのに苦労しました。

宮殿の食糧を保存している様子が復元されていました。

威和堂。
1894(明治27)年7月23日、日本軍が王宮に侵入し、威和堂に在室した朝鮮王朝26代の王、高宗皇帝を発見、クーデターを行った場所で、1924年には柳宗悦が朝鮮総督府の許可を得て、収集した朝鮮民俗美術品を展示し、「朝鮮民族美術館」を開いたところです。
朝鮮総督府による破壊を免れた遺構です。

長安堂(チャンアンダン) 。
1873年、景福宮の最奥部(北端)に高宗が新しく造った乾清宮(コンチョングン)のうち、高宗皇帝が暮らした建物です。他の宮殿建築とは違って、両班(ヤンバン:朝鮮時代の貴族)家屋のように質素に造られています。
乾清宮は日本植民地時代1915年に破壊されましたが、2007年に復元されました。

香遠亭(ヒャンウォンジョン)。長安堂の南側にあります。
高宗が乾清宮とともに造った香遠池に浮かぶ建物で、韓国で初めて電灯がともされた場所です。
1895年10月8日明成皇后(閔妃)は乾清宮で日本からの刺客によって暗殺され焼かれて、この池に捨てられたと言われています。
美しい情景の中にそのような日本の恥ずべき歴史が隠されていたとは、後で知って暗澹とした気持になりました。

長安堂の西側にある八隅亭(パルジョン)(左)と集玉斎(チボッジェ)(右)。さらに右側に協吉堂(ヒョッキルダン)があり、三つの建物が渡り廊下でつながっています。
高宗が書斎としてつくり、接客にも使われました。

景福宮の敷地の東北部に「国立民俗博物館」が建てられています。
1945年に「国立民族博物館」としてオープン、韓国の民俗伝統や生活文化の調査・研究・収集を行ない、展示やレポート、講演会といった様々なスタイルで紹介しています。子供達にもわかりやすく韓国の歴史・民俗を伝えられるように様々に工夫された展示がされていました。

国立民俗博物館を見学して景福宮の旅を終え東側の通りに出ると、そこは三清洞(サンチョンドン)ギル。西側は景福宮の城壁、東側にはおしゃれなブティックやギャラリーが並ぶ通りです。
お釈迦様の誕生日に近い時期なので、通り沿いに色とりどりの提灯が掛けられ、町が華やかになっています。

景福宮の東門、建春門。

三清洞ギルを南に下がって行くと、景福宮の東南角の外側、道路交差点のまん中に変わった建物があります。
東十字閣(トンシッチャガッ)。1867年に建設された景福宮の望楼だったものですが、日本の植民地時代に道路拡張により周りの塀などが撤去され、この建物だけが残りました。
壁面には朝鮮戦争の時の弾痕が残っています。かつては西十字閣もありましたが、今は現存していません。
景福宮は昌徳宮と違って、途中で何度も建て替えられているので、世界遺産には登録されていませんが、規模は大きく、壮麗な宮殿建築と庭園の面影を今に伝えていて、ソウル観光の人気スポットです。韓国時代劇のロケも行われています。
2014年韓国旅行(8)に続く。