冬の城崎温泉と言えば、もちろんカニ料理でした。


カニ鍋に、

カニの刺身、

焼きカニ。
少ないようにみえますが、写真を撮る前に手が出て、たくさん食べた後なのです。

カニの茶碗蒸しと、カニ尽くしでした。
最後はカニ鍋をうどんすきにしてくれましたが、お腹がいっぱいで食べきれませんでした。
もう桜の咲く季節になっているのに、未だに2月20日の雪の城崎温泉をうろついています。

街のはずれにある大師山にロープウエイで登ると、温泉街とその向こうに円山川、日本海、丹後半島まで遠く見渡せます。

とても暖かい日が続いて、温泉街ではすっかり雪が溶けてしまっていたのに、山の上ではまだ雪がたくさん積もっていました。
山の中腹にあるこのお寺でも、雪はこの間まで屋根の庇近くまで積もっていたそうです。

山頂駅の近くでは、

一休さん(多分)が雪に埋まっていました。
城崎温泉は七つの外湯があり、宿の中の内湯はあとから付け足したようなもので、外湯めぐりが主な楽しみ方になっています。
泊まっている宿で外湯の無料パスをもらい、首にかけ、宿の下駄を履いてカラコロと外湯めぐりをする人がぞろぞろ歩いています。最近ではこのパスの代わりに携帯電話にデータを入れてもらい、外湯でそれを見せて入れるシステムまでできていました。

駅のすぐ横にある「さとの湯」。

「地蔵湯」。

「柳湯」。

「一の湯」。

「御所の湯」。

「まんだら湯」。

「鴻の湯」。
以上が七つの外湯です。
無料パスがない時は、「さとの湯」「御所の湯」は800円、その他は600円の入湯料が必要です。
この中で入ったのは一日目に「さとの湯」、二日目の朝に「地蔵湯」に入れただけでした。なぜかというと、夕方になるとどこの外湯も前に行列ができていて、入るのにだいぶ時間がかかりそうだったからで、仕方がないので、内湯で我慢しておきました。

これは「薬師泉源」。

飲泉場。
ナトリウム・カルシウム・塩化物のお湯なので、しょっぱい味でした。
他に足湯、手湯もありました。
城崎のお湯はあんまり熱くなくて、ぽっかぽか、「
ア~、極楽、極楽。
」でした。


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城崎温泉(1)に城崎の土木遺産(弓形橋群)のことを書き加えました。
2月19日~20日は城崎温泉へ行きました。

京都駅から特急で2時間半かかりました。

城崎温泉駅。1926(大正15)年築。
旅の目的は、もちろん温泉と、

カニです。

温泉街のあちこちに魚屋さんがあって、カニがいっぱい、動いています。

街の中心を川が流れていて、しっとりとした情緒あふれる温泉街です。
しかし、城崎は1925(大正14)年の北但大地震で壊滅的な被害を受けた後、岡山県の倉敷を参考に、災害に強く美観にも配慮した町並みを作り上げたものです。
よく氾濫していた大谿川の護岸を整備し、両岸に玄武岩の側壁を70~80cm積み上げ、そこにかかる橋も弓なりに架けられました。「弓形橋群」という城崎の土木遺産で、昭和2年に完成しました。


木造三階建ての旅館が立ち並び、

志賀直哉が泊まったという宿もあり、

パチンコ台や的当てなどが並ぶ昔ながらの温泉街らしいゲームセンターも残っていました。
2月2日夕方6時頃、吉田神社の節分追儺式で三匹の鬼を見ました。
大元宮から下の本殿へ向かって方相氏(ほうそうし)に続いて鬼達が行進していくところを見ました。

ほら貝を吹く子供の山伏さん。


赤鬼と青鬼が近づいて来ると、子供達が「オニはーそと!」と大声で叫んでいました。
鬼達も大声で暴れまわっています。

子供をおどす黄鬼。

この後、本殿の前で方相氏が鬼達を退治します。
すると、それまで凶暴だった鬼はおとなしい鬼になり、3日にはとても愛想のいい鬼になって、人間と一緒に写真に収まったりします。
大元宮から下の本殿へ向かって方相氏(ほうそうし)に続いて鬼達が行進していくところを見ました。

ほら貝を吹く子供の山伏さん。


赤鬼と青鬼が近づいて来ると、子供達が「オニはーそと!」と大声で叫んでいました。
鬼達も大声で暴れまわっています。

子供をおどす黄鬼。

この後、本殿の前で方相氏が鬼達を退治します。
すると、それまで凶暴だった鬼はおとなしい鬼になり、3日にはとても愛想のいい鬼になって、人間と一緒に写真に収まったりします。
2月1日、鴨川荒神橋西詰の喫茶店リバーバンクに入ろうとすると、入口左側のテントの中に、


きれいな毛布をすっぽり被って、ワンコがおとなしく座っていました。
賢そうなワンちゃんです。
テントの廻りもビニールで囲われ、寒風が直接ワンコに当たらないようになっていて、飼い主の愛情が感じられる光景でした。
喫茶「リバーバンク」も健在でした。