ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

豆屋源蔵

2007-06-30 21:03:30 | ぶらり都めぐり
木屋町二条を少し下がったところにある、ゆば・みそ・豆腐料理の「豆屋源蔵」でお昼のお料理をいただく機会がありました。


高瀬川の一之船入のすぐ前です。


木屋町通りに面した表からは飲食店とはわかりにくい作り。


長い長い露地を奥に進むと、


もう一つ門があります。


玄関を入ってからもまた長い長い廊下を奥へと進むとやっとお座敷です。


お座敷から鴨川へ床が出ていて、目の前に東山の風景が広がっています。

お料理は、

先ず、汲み上げ湯葉。
メっ!もう口をつけてるいやしい子!


作りたてのお豆腐。


二段重にいろどりよく並べられています。
これにご飯、赤だし、水菓子がついて3000円の木屋町御膳でした。


ここは元は茶屋旅館「近江初」、大佛次郎、井上靖等多くの文化人や知識人が泊ったところだそうです。
夜のお値段はさすがに目が飛び出ますが、お昼の食事ならこのお値段でなんとか。
ゆば、みそ、豆腐の販売、喫茶もやっているそうです。
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睡蓮が咲きました

2007-06-30 08:41:25 | その他の植物

勧修寺からいただいた睡蓮がやっと咲きました。
咲いてみて初めて白い花とわかりました。
小さな水槽なので、花も随分小ぶりです。



めだかを昨年10匹入れておいたのに1匹しか冬越しできなかったので、この春2匹追加しました。
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まどい小路

2007-06-24 10:28:45 | 建物(京大以外の京都府の)
百万辺交差点の西南角から一筋下がった辻を西に入ると、昔からある学生食堂「円居(まどい)」があります。

今は改装されてこんなにきれいになっています。
右の入り口から入るとレストラン「ルヴェ・ソン・ヴェール」、京大時計台にもレストラン「ラ・トゥール」を出しているお店です。
左の入り口を入ると二階に上がるようになっていて、そこが「円居」、やや学生食堂の趣きを残しています。
上下同じ経営者なのだそうです。

2019年10月現在、円居は休店中です。


円居の斜め向かい、この辻の突き当たり角にあるビルは警察の寮(?)。
これも昔からありますが、よく見ると塔の形や丸い窓上部の形がレトロです。
そして、カーテンの色が二色くらいに統一されていて、かわいさを出しています。管理者のセンスに拍手。

この建物は壊され、2019年に京都大学留学生寮が建っています。
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木下京大総長銅像

2007-06-23 02:35:13 | 建物(京大)
京大時計台の建物の左前に初代京大総長木下廣次の銅像があります。



台座の作者は時計台の設計者、武田五一。
この羽のような模様は彼の十八番らしく、あちこちで使われていて、木屋町三条上ルにある「佐久間象山遭難碑」にも見られます。

それにしてもこの台座と像のバランスのいいこと!木下氏がかっこよく見えて、自然に尊崇の念を起こさせるようなできばえです。


時計台に向かって右側には第7代総長荒木寅三郎(大正4年6月15日就任)の像があります。
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富岡鉄斎邸跡

2007-06-23 01:25:06 | ぶらり都めぐり

室町通り一条下がったところにある富岡鉄斎が住んでいたお家。


駒札より、
「富岡鉄斎は近代日本の南画を生んだ巨匠として知られる画家である。天保七年(1836年)二条衣棚に法衣商を営む家の次男として生まれ、石田梅岩の石門心学を重んずる家風の中に育ち、儒教並びに仏教の学に親しんだ高士的学者をもって任じていたが、当時の一大風潮となっていた南画を学ぶにおよんで、天性の画才を発揮し、比類まれな渾厚老蒼の作品を精力的に産出した。

鉄斎の子孫から京都府に譲り渡され、今では京都府会議員の宿舎として使われているそうです。

鉄斎の絵はあまり好みではないけれど、こうして実際に住んでいたお家がフツーの京都らしーい木造の造りで在るのを目の当たりにすると、なんか親しみが沸いてきます。
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喫茶「進々堂」

2007-06-23 01:01:46 | 建物(京大以外の京都府の)

今出川通り百万辺を東に行ったところにある喫茶「進々堂」
1931(昭和6)年、お店の主人続木斎氏が設計しました。
木造2階建てだけれど、全体に石造りのようながっしりした出来上がりになっています。右の入り口が喫茶店、左側がパン屋さんになっています。




看板の上に不思議な生き物がいます。


よく見るとステンドグラスに松のような木が。



パン屋さんへの入り口上部。



この腰壁の下には、



きれいな石が敷き詰められています。



このお店でコーヒーを飲んで、ぼーっとして、書き物をして、お勉強をしているフリをするのが好きです



昔からずうっとあるメニュー、ポテトとハムのホットドッグ。
これもやめられません。
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レンガの壁無残

2007-06-22 01:16:56 | 建物(京大以外の京都府の)

左京区高野にある公団高野住宅団地にあるレンガの壁、ある日通りがかると無残にも破壊されていました。


公団住宅集会所になっている、よく見る建物ではなく、もう一つ西のブロックの団地外の民家と接する境に立っていた高い壁の一部です。
高野公団の地は元は鐘紡の紡績工場があったところ、この壁もその頃のものです。
レンガの風情がよくて、公団の境界線としていい景観を作っていたのに、民家の建替えに伴ってあっというまに壊されてしまいました。
幸い、壁の長さの三分の一くらいは残されたようで、少しホッとしました。
これ以上壊さないでー。
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花菖蒲

2007-06-14 22:02:39 | その他の植物

2年前に勧修寺でわけていただいた我が家の花菖蒲が今年も見事に()咲きました。

勧修寺でいただいた時の記事

昨年開花の様子
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平安神宮(2007年」初夏)

2007-06-07 02:54:24 | お庭
細見美術館の次は、平安神宮に花菖蒲を見に行きました。

神殿の前庭では夜の薪能の舞台ができていて、3時半から受付が始まる当日券を求める人達が炎天下に並んでいました。

花菖蒲はまだちょっと少なくて、見頃はもう少し先のようでした。

それでも、咲いている花は美しい~





コウホネ。

スイレン。

飛び石の上から一生懸命スイレンを撮影しているおじさん。

ここにも、

花嫁花婿(さっきとは別のカップル)がいて、平安神宮専属のカメラマンに撮影してもらっていました。


6月8日(金)には平安神宮の庭園が無料公開されます。
明治時代、有名な庭園師小川治兵衛(植治)が造った池泉回遊式の庭園、花菖蒲ももう少したくさん咲き揃っていると思うので、どうぞ訪ねてみてください。



美術館めぐりと初夏のお庭を散策した後は、近代美術館南向かいの洋風お惣菜カフェ「オ・タン・ベルジュ」のピンク・レモネードで喉を潤しました。
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岡崎公園で花嫁さんに会う

2007-06-06 01:38:59 | ぶらり都めぐり
6月2日(土)岡崎公園で美術館のはしごをしました。

先ず、京都国立近代美術館蔵で「福田平八郎展」
どうも最近見た伊藤若冲の印象が強すぎて、福田平八郎の斬新なデザインの日本画もインパクトが薄れてしまいました。
この展覧会は6月3日(日)で終了しました。


平安神宮に向かう道で花嫁花婿を乗せた人力車を見ました。
車夫の半被も人力車も結婚式バージョンなので、平安神宮で結婚式をあげるとオプションでついてくるサービスのようです。お幸せにー

疏水ではカルガモの親子が散策中。


六盛でお昼を食べて、次は、
細見美術館で「大賀・若林コレクション オールドノリタケ展-海を渡った陶磁器-」。
オールドノリタケとは、1880年代末から第二次世界大戦前にかけて、名古屋の日本陶器(現ノリタケカンパニー)で製作され、欧米に輸出された洋風陶磁器のことです。
繊細優美きれい職人技の極致です。
中でも紺地に金彩の中にカトレア(これが決め手!)が1輪描かれている細口花瓶がイチバンだと思いました。 

4月28日(土)~7月8日(日)  10時~17時30分(18時閉館)
月曜休館。大人1,000円

しかしー、後から知ったのだけれど、近美と細見美術館はお互いに当日の半券を見せれば、団体料金で入れることになっていたんだ。それを知っていれば、細見美術館に800円で入れたのにぃ・・・。ぐやじー。
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カフェ・サラ

2007-06-05 03:54:13 | 建物(京大以外の京都府の)
イタリアンの帰りに洋館と蔵を改装したカフェのほうにも寄ってみました。


一旦室町通りに出て洋館の左側の入り口から入ります。


英国調の落ち着いた店内。
ここでも窓から庭園の緑が感じられてうれしいです。


マントルピースがあり、調度品も格調高いものが揃えられています。


天井と部屋の周りの腰板部分が網代張りになっていて、洋館の中に網代ってぜいたくで凝っています。




暑いくらいの陽気の日で、コーヒーフロートをいただきました。
あ~、くつろぐわあ。
残念だったのは、展示会帰りのおば様達のおしゃべりがにぎやかだったこと。


カフェ・サラ 
 開店時間 11:30~16:30
 Tel:075-451-4741

これまで何度もふられたのは開店時間が短いのと、日曜祝日がお休みだったせいのよう。でも、この日は日曜だけれど開いていて、翌28日がお休みだし、5月19日の土曜日もお休みだから、月によって休みの日が一定でないのかもしれません。
 
ステキな洋館の喫茶店、お気に入りのお店がまた一つ増えました。
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ステラ・ポラーレ

2007-06-05 03:27:30 | 建物(京大以外の京都府の)
同志社を出て、お昼ご飯を食べる所を求めてさまよっていると、前から行きたいと思いながら、いつもふられていたここに行き当たりました。

室町通出水上ル東側にある洋館のある大きなお家、
大正初期の和風家屋と洋館が気になる建物です。

右手の門の前に、

イタリアンのお店看板が出ています。
このお値段なら、と入ってみることにしました。

大きな門構えで中に入って行くのも恐る恐るという感じになります。

玄関を入って、左手の和風の入り口はイベントスペース・サラへ、そこを通り抜けて右に曲がって奥へ奥へと進むとやっとお店のドアがあります。

入り口で靴を脱いで上がる広いお店の中は板張りの床で堀ごたつ式のテーブル、大きな窓から緑いっぱいのお庭、緋毛氈を敷いた床机と日よけ傘が立っているのが眺められます。
向かい側には二階建ての数奇屋建築があり、そこがイベントスペース・サラ、貸展示場、お稽古等の催し、撮影にも利用できるレンタルスペースになっています。この日もどこかの呉服屋さんの展示会をやっているようで、大勢の人が1・2階をまわっておられました。

後で知ったのですが、ここのお庭は小川治兵衛の作ったものだそうです。
この景色が見られるだけで大満足のお店です。

さて、イタリアンのほうは、

いただいたのは、ナスとトマトソースのペンネ。
奥に写っているように手作りのパンがついています。

お店の名前は「クッチーナイタリアーナ(何のこっちゃ?) ステラ・ポラーレ」。
 
 営業時間11:30~15:00,17:30~22:00
 定休日:不定休
 Tel:075-432-6221

どうもこのイタリアンは最近開業したようです。

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同志社大学ハリス理化学館

2007-06-04 02:42:04 | 建物(京大以外の京都府の)
5月27日、若冲展の「待ち時間80分」に早々に入場を諦め、引き返してくると同志社大学ハリス理化学館で「同志社と戦争展」をやっているのに出くわし、こちらを見ていくことにしました。


そして、ハリス理化学館、この際じっくり見せていただきました。


キリスト教主義による理化学校を作るようにとコネティカット州のJ.N.ハリスから10万ドルの寄付があり、1890(明治23)年に開設されました。
設計は英国人 A.N.ハンセル、煉瓦造り2階建瓦葺で重要文化財です。




正面上部の文字盤に 18 SCIENCE 89 と定礎の年が書かれています。


重厚な黒塗りの階段が印象的でした。


この階段を上がった二階が展示室になっています。


「同志社と戦争  1930-1945」展
    4月2日(月)~8月31日(金)
      ただし、祝日、8月13~17日、8月の土・日は閉室。 
    10:00~17:00(土・日と8月は16:00まで)
    同志社大学今出川キャンパス ハリス理化学館2階Neesima Room

    常設展「新島襄の生涯」も同時開催。

戦前、戦中の時期、「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」を基本とする同志社の教育にも強い風当たりがある中、受難と戦争協力をせざるを得なかった苦難の時代の資料や、戦場へ向かう学生達が残した手紙、寄せ書きなどが展示されていました。

驚いたことに同志社からも何百人もの学生が戦争に駆り出され、命を落としたそうです。

印象に残った言葉がありました。
同志社第10代総長で、超国家的軍国主義の政府・軍部からさまざまな迫害を受け、辞職に追いやられた湯浅八朗の漢詩で、意味は「百回戦争をして百勝するよりも、戦争をしない忍耐がよい」というもの。今の時代にも肝に銘じるべき言葉だと思いました。
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