昨日の朝方から冷え込んで
、比叡山は雪化粧です。


北山通りと白川通りの交差点では、まもなく全国女子駅伝がやってくるところでした。

寒い中を冬眠もせず、「みやこめっせ」にお出かけ。

収穫した左から、カイドウ、姫リンゴ、ツルウメモドキ。
小品盆栽は夏の水やりがどうしても追いつかず、また枯らしてしまう予想大なのに、またしても買ってしまったのです。



北山通りと白川通りの交差点では、まもなく全国女子駅伝がやってくるところでした。

寒い中を冬眠もせず、「みやこめっせ」にお出かけ。

収穫した左から、カイドウ、姫リンゴ、ツルウメモドキ。
小品盆栽は夏の水やりがどうしても追いつかず、また枯らしてしまう予想大なのに、またしても買ってしまったのです。
2008年12月29日~2009年1月1日にかけて、高知に行ってきました。
国民宿舎「桂浜荘」の日帰り入浴です。


3階にあるお風呂は人工のヘルストン温泉ながら、眺めは抜群!
桂浜が眼下に一望できます。
はるか遠くの四国山脈の山々に雪が積もっているのが見えました。
しかし、今年は入浴料が570円に値上がりしていました
。


お風呂で温まった後、桂浜を散策。

風は冷たいものの、日差しが暖かで波もおだやかです。

散策の道の側にはツワブキがたくさん咲いていました。

桂浜荘の向かいにある坂本龍馬記念館。
土讃線の旅の続きで、お正月に高知で見た路面電車
をいくつかアップしておきます。

先ずは正統派のから。

「私は東京都電で昭和22年から昭和53年まで走っていた6000型をモデルにして、昭和25年4月に山口の日立製作所で生まれ、ずっと高知で走り続けています。これからも大いに頑張りますので、可愛がってください。全長11.6m、定員60人、二輪ボギー車。201号」と、「電車の履歴書」が車内に貼られていました。

アンパンマン電車も走っていました。


こんな外観でも荷物は運んでいません。

外国の電車で低床のもいくつか走っています。

はりまや橋にて。

人権電車もまだ健在でした。
阿波池田からの普通列車の旅、やっと終着駅高知に到着しました。

最近建替えられた高知駅。「くじら型」と言われていますが、「くじら」というより蒲鉾型、何やら二条あたりの駅と似たような造りです。
こちらは新しく開発された北口。

こちらは、はりまや橋や高知城に向かうメインの南口。
もう建替えられてから半年以上は経っているのに、未だに整備が進まず、大きな空き地のままになっています。どういうこっちゃ
。

とうとう高知に到着して、長かった土讃線
の旅もおしまいです。

繁藤駅の次の新改(しんがい)駅は再びスイッチバックの駅。
しかも今度はワンマン列車なので、スイッチバックする時に運転手さんは車内を前から後ろに移動して、後ろ側の運転台で列車を逆方向に進ませます。

二本の線路に高低差があります。

無人駅です。
ここを過ぎると、列車は一気に下り坂になり、やがて土佐山田、御免、高知へとひた走ります。
土佐北川駅から二つ目の繁藤(しげとう)駅。

JR四国の駅の中で最も高いところにあるということで、ここを出るとまもなく高知平野に一気に下っていくので、上り下りの勾配は相当なものだろうと思われます。

ここではかなり長く停車したので、跨線橋を渡って駅のトイレを借りに行きました。振り返ると、乗って来た電車が見えます。

駅舎にかけられている黒板を見ると、

「高知線の歌」って、あったんだ。
三四番

天坪村の 名もたかく
蕨狩りゆく 角茂谷
穴内川の 清らかに

天坪(あまつぼ)駅、角茂谷(かくもだに)駅って聞いたことがあります。
天坪駅が改名して繁藤駅になり、角茂谷駅は今も隣の駅であります。
この近くに黒滝マンガン鉱山があったとのこと。
天(雨)坪というだけあってこの辺りは高知県でも雨の多い所、繁藤駅というと思い出すのは、1972(昭和47)年7月5日に起こった繁藤土砂災害です。大雨によって駅の側の山が崩れ、一次崩壊の後二度目の崩壊が起こって、救助作業をしていた人や民家、駅舎、駅に待機していた列車も巻き込まれて、死者60名、負傷者8名、家屋全壊10棟、半壊3棟の大被害になったものです。
この災害のことは幼い頃の思い出にもしっかり記憶されている大事件でした。

待合室の座布団は手作りみたいです。
あっ、こんな所に「ハチ」「ハチ北」のスキー場のポスターが!
大杉駅の次の土佐北川駅は川にかかる鉄橋の上に駅がある珍しい駅です。

ここではちょっとしか停車しなかったので、写真はこれだけ。
吉野川の支流(穴内川)にかかる鉄橋の上の無人駅ですが、あまり川の上という実感は湧かなかったです。

これは別の駅の別の電車ですが、土讃線で乗っていた電車はこの1両分の電車でした。

車内の様子。思ったよりお客さんが多かったのは、「青春18」してるらしき人が多かったようです。
阿波池田駅から3つ駅を過ぎるとやがて土讃線のメイン、大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)渓谷に差し掛かります。

先ず、小歩危駅。
小さな無人駅です。

続いて、大歩危駅。
ここは特急停車駅で、平家の落人、祖谷(いや)のかずら橋へのバスが駅前から一日数便出ています。
駅から大歩危の渓谷を見ることができます。
この駅を出ると、次の土佐岩原駅との間で高知県との県境になります。
「おおぼけ」「こぼけ」とは変わった地名ですが、「ほき、ほけ」は断崖を意味する古語から来ているようです。越後の「親知らず」「子知らず」のような通行の難所だったところの呼び名でしょう。

この辺り、線路は吉野川に沿って走っていて、車窓の左側から、次に鉄橋を渡って右側から、大歩危小歩危の渓谷を見ることができます。
吉野川の水の色は深いエメラルド色、白い岩肌の大きな岩の間を流れていていつ見ても素晴らしい眺めです。水の色が独特なのは、このあたりの岩が蛇紋岩で、その成分から来ているらしいです。
時々、カヌーや遊覧船で川遊びをしているのを見ることもあります。

ただ、残念なことは、このあたりの山が険しくて、トンネル、トンネルの連続、疾走する列車の窓からは渓谷の姿をまともに写真に撮ることができないことです。
今回も、運転席の横に張り付いて、カメラを構えていたのですが、まともに撮れたのは上の一枚だけでした。

見上げると、険しい山のはるか高い所に民家がへばりついて建っています。
よくあんな高い所に家を建てたものだというような所です。
ここは四国山地のど真ん中、冬は積雪も多いし、暮らしの大変さが伺えます。こんな所だからこそ、落人も住み着いたのでしょう。
深い山の中の駅、坪尻駅を過ぎてすぐに視界が開け、右手に四国三郎吉野川をちらちら見ながら、列車はひたすら下り坂、箸蔵駅を過ぎ、やがて長い鉄橋を渡って急角度に右に旋回、反対側の岸を少し走ると、佃駅そして阿波池田駅に到着します。
いつも土讃線で通過するとき、この辺りの眺めが気にいっています。
箸蔵駅側から阿波池田近辺の町と吉野川が見える景色、佃駅側からの箸蔵駅辺りの山にケーブルカーらしきものが見える様子、とても見応えがあります。いつかゆっくり下車してあの山に登ってみたいと思ってしまいます。

阿波池田駅。
土讃線から徳島方面に向かうにはここで、乗り換えになります。
ここでもう一度途中下車して改札の外に出ました。


駅舎の中にある食堂「ちゃみせ」で 祖谷(いや)蕎麦を食べました。
秘境祖谷渓谷の名産蕎麦ですが、あまりつなぎを使っていないのか、小さく切れている素朴な味のお蕎麦でした。
この駅前から祖谷渓谷行きのボンネットバスの便も出ています。
次の列車まで1時間あまり、駅前の商店街をぶらぶらしてみました。

日曜のせいか、それともいつもこんなのか、シャッターのしまったお店が多かったです。


酒屋さんの店先に地酒が並んでいました。


今度は阿波池田発高知行きの普通列車
に乗って、土讃線の旅が続きます。

いいお天気
でよかったわん。

讃岐財田駅の次が秘境の駅-坪尻駅です。
徳島県と香川県の県境にある猪ノ鼻峠付近の深い谷の底にあり、辺りには山と川、滝以外全く何もなく、昼でも鬱蒼とした感じがします。
普通列車は駅に入るのにスィッチバックをします。


普通列車は本線から戻ってこの駅の前に停まります。進行方向を変える時には、もう一人の運転手さんが電車の後ろ側で運転していました。
一段上に見えるのが本線とトンネルです。

普通列車が駅でしばらく停車している間に特急列車が本線を超スピードで通過して行きました。


かかしのお母さんがお出迎えしてくれていました。

駅の裏側にかかし達がスタンバイ(またはリタイア)していました。
土讃線普通列車は限りなく鈍行!
途中のところどころの駅で、対向電車の通過を待って何分間か停車します。
ここもその一つ、讃岐財田(さぬきさいだ)駅です。

無人駅ですが、こじんまりとしています。
駅の側にあるのはタブの大木です。

ホームの待合室。

琴平では、駅前観光会館でもらった案内図を見ると、旧金比羅大芝居の芝居小屋金丸座や、鞘橋と行ってみたい所がたくさんありましたが、次の乗車時刻までに駅に帰ってこれるかどうか不安だったので、金倉川の手前で引き返してきました。
かわりに近くのお店で見つけたお菓子に注目。

これはなんじゃ、珍しいものです。

「嫁入りおいり」って、讃岐では嫁入り時に持って行く米菓子だそうです。
味見はしなかったけど。

佐久良餅。
道明寺粉に古代米の赤米が加えられた桜餅です。こちらは汽車の中で食べようとお買い上げ。