ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

京都大学吉田寮の見学

2018-07-26 02:11:35 | 建物(京大)
2018年7月25日に京大の学生寮、吉田寮が公開されていたので、見学に行ってきました。

午後4時に玄関で見学を希望する人達が10名程集まり、2・3人の学生さんが説明しながら寮内ツアーをしてくださいました。
今までここから奥には入ったことのない、神秘の建物です。



撮影できる場所が少なかったのですが、何室かは撮影用にしつらえられていました。実際に住んでいる部屋はこんなに片づけられてはいないのでしょう。

寮内は思っていた以上に広くて、西向きの玄関の奥と両側に広がった廊下が折れ曲がって全体にE字型に三棟の建物が東に向かって、それぞれ二階建てで延びています。
一見、古くて汚いように見えますが、建築的には立派な材木を使ってしっかりと建てられているのだそうです。

漫画の部屋、麻雀をする部屋、ピアノのある部屋、昔のアジビラや落書きのあるトイレ、鶏などが飼われている中庭等々、興味はつきなかったのですが、建物を覆う大きな木が何本も茂っていて鬱蒼とした森の中に住んでいるようなところも、昔ながらの吉田の森を思わせてタイムスリップしたような感じでした。

今では全国で最も古い学生寮の建物となっていて、貴重な建物。壊さずに耐震補強、補修をして使い続けていってもらいたい、京大当局にも願いたいし、住む側の人達にも、汚さず丁寧に住んでいってもらいたい、そして、学生の自治が守られていくことを願いたいものです。
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京大で一番古い建物

2016-02-05 23:13:14 | 建物(京大)
京都大学の正門を入り、左側の保険診療所と旧石油化学教室本館との間の狭い通路を左に進んで行くと古いレンガ造り一階建ての建物があります。
この建物は京大に残っている最も古い建物で、京大の前身、第三高等学校時代に物理の実験場として使用されていたものです。現在は京大の留学生センターになっています。




1889(明治22)年築
設計:山口半六、久留正道
レンガ造平屋建、煙突のある建物ですが、屋根は瓦葺の寄せ棟です。
現在は旧石油化学教室本館と1階部分でつながって、間に中庭があります。


この建物と本部事務局棟との間の空き地は、京大周辺の石垣に立てられていたタテカンが運び込まれ、錠をかけられた置き場(墓場)になっています。

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京都大学 旧石油化学教室本館

2016-02-05 23:06:02 | 建物(京大)
時計台の西側にあるレンガ造りの建物。

現在は保健管理センターと学生部他いろいろの部署が入っていますが、もとは石油化学教室本館でした。1階部分は、明治31年に建てられましたが、2階部分は大正時代に増築されたのでレンガの色が違っています。

1898(明治31)年築。1922(大正11)年増築
設計:山本治兵衛・増築の一部 永瀬狂三





雪景色の時。


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京都大学花山天文台

2012-10-27 22:55:47 | 建物(京大)
10月27日(土)に京都大学花山天文台が一般公開されたので、見学に行ってきました。
正式には、京都大学大学院理学研究科附属花山天文台、京都市山科区花山大峰町の山の上にあります。




申込み先着500名の受付で、京都府と京都市の教育委員会も後援しているので、親子づれで来ている方達もたくさんいました。小さい時から天文や天体の科学に興味を持ってもらおうというねらいでしょう。施設の公開、展示陳列と天体観望会、講演会、クイズラリーなどが行われていました。

13:00~20:30の間にいつ行ってもよくて、地下鉄蹴上駅から天文台まではシャトルバスの送迎(有料)があったので、とても参加しやすかったです。

花山天文台には本館、別館、新館、歴史館、太陽館の5つの建物があり、すべて公開されていました。


京大の天文台は元は時計台の近くにあったようですが、東大路通りに市電が走るようになった頃からは周りの明りで天体観測ができなくなったため、この山科花山の山頂に移転してきたのです。


本館は1929(昭和4)年築の建物。






建物のあちらこちらが曲線になっていていかにもレトロチックです。


どこか前に見学させてもらった高槻にある京大阿武山観測所と似かよったところがあります。
あちらは1930年の建築、同じ京大の営繕部技官の設計によるからでしょう。


建物の東端。



入口横の丸窓。



地下に向かう階段も丸くカーブしています。


展望ドームに上がる階段。



9mドームに口径45cm屈折望遠鏡が据えつけられています。
でっかいです。
接眼レンズが望遠鏡の中央付近でとても高い位置にあるので、移動式階段に上がって覗かねばなりません。



歴史館。
元は昭和4年に開館した子午線館で、子午線を計測して、精密な時刻を出すなどの目的のために使われていましたが、近年はその活躍の場を失い、解体されるという話も出ていました。
しかし、この建物が大正から昭和の洋式木造建築として、日本の建築学史上貴重な建築物であるとの指摘もあり、花山天文台歴史館として修復保存されることになりました。

中央部分の屋根が左右に動いて、子午線を観測できるようになっています。


この天文台がこの地に作られた沿革や、歴代の観測機械などが展示されています。




別館。
5mのドーム内に口径18cmの望遠鏡が据えられています。
この望遠鏡は京大が所有する中で最も古い望遠鏡の一つです。1910年のハレー彗星接近の折りに、ザートリウス社(ドイツ)より京大が購入し、その後1986年にもハレー彗星の観測に使われました。
現在はリオフィルター、CCDカメラが取り付けられ、太陽望遠鏡として研究成果を挙げています。



この日はあいにく雲の多いお天気でしたが、ちょうど雲の晴れ間が出てきたので、この望遠鏡で月面のあばたを見させていただきました。ラッキーでした。



歴史館と別館の向こうに山科の街並みの夜景が広がっています。

ここ花山の地も環境悪化(光害や大気状態の悪化)により、1968年に新設された飛騨天文台に天体観測の中心の地位を譲りましたが、今では観測データの解析・研究や学生・院生の教育、高校生の実習などへの教育活動に寄与しているそうです。

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阿武山観測所の地震計

2012-01-04 23:46:56 | 建物(京大)
京大阿武山観測所では、現在も地震や地殻活動の観測を行っていますが、外部の影響を出来るだけ避けるために、裏山の中腹に観測坑が掘られ、見学することはできません。
その代わり、建物の地下室には、地震観測の歴史を表わす歴代の地震計が展示されていて、いずれ博物館にする計画も考えられています。



ウィヘルト地震計。1904年にドイツのエミル・ウィーヘルトが作成した大型の機械式地震計で遠くの地震を多数観測しました。写真では一部しか写せませんでしたが、とても大きなものです。
阿武山では1929(昭和4)年、観測所開設と同時に設置され、1991(平成3)年6月末まで稼働していました。


この頃の地震の動きを記録する紙は、灯油の煤を紙にふりかけたもので、その面を針が引っかいて振動の跡を記録していたので、観測員の仕事は煤がけが重要な作業で大変な仕事だったようです。


ガリチン地震計。
ロシアのボリス・ガリチンが作ったもので、電磁式地震計としては最も古いもの。
阿武山では、1938(昭和13)年頃に設置され、1964(昭和39)年までの記録が保存されています。



佐々式大震計。
1934年(昭和9)年、佐々憲三によって近くの大地震を記録するために開発された地震計で、地震の完全な波形を初めてとらえました。1997(平成9)年12月末で観測を終了しました。


最近の地震計としては、

海底に沈めて観測する地震計や、


「満点地震計」といって、小型軽量の地震計を多数の地点に設置する方法が取られてきています。

地震観測はますます重要性が増してきている科学ですから、こちらの観測所にもますます頑張って観測・研究を続けていってもらいたいものです。



高槻の農場、阿武山観測所と、京大の施設を見学させてもらった後は、近くの摂津峡温泉に寄って、川の側の露天風呂で暖ったまって帰ってきました。



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京都大学阿武山観測所

2012-01-04 23:25:12 | 建物(京大)
京大農場の次には京大阿武山(あぶやま)観測所の見学に行きました。





正式には、京都大学防災研究所阿武山観測所。
高槻市の北方、大阪平野から隆起した北摂山地の南端、標高218mの美人山の山頂付近にあり、1930(昭和5)年から地震、地殻変動や地下水の観測・研究をしています。
元は左京区北白川の京大理学部地球物理学教室の実験室でしたが、今出川通りに市電が走ったため、精密観測に支障をきたすようになり、ここに移転してきたもので、1990(平成2)年からは防災研究所所属の観測所となっています。


建物は,斜面に立っていることを生かして、2階建ての西館と3階建ての本館・東館が上下、左右にずらして建てられており、2棟の間にこの玄関ピロティ部分が挟まれてあり、どちらにも通じる形になっています。


玄関ピロティを突き抜けると、奥には緑の山の斜面があります。


3階建ての本館部分。本館には研究室や観測室があります。


2階建ての西館部分は柔らかい曲線の外壁で囲まれています。



本館への玄関。


西館のセミナー室。かつてはテレメータ室として使われていました。



西館の事務室。
窓の曲線がおもしろい。
この建物は2007年に大阪府の近代化遺産総合調査報告書に注目すべき近代化遺産として取り上げられたモダニズム建築です。


レトロな建物として、テレビや映画の撮影にも度々使われるようになったそうで、「砂の器」の大学研究室とか、戦争中に犬を供出するテレビドラマに玄関前が使われたとか・・・。

撮影記念コーナー。
右側の椅子は、「プリンセス・トヨトミ」撮影の時に綾瀬はるか様が座って休憩されたものだそうです。


本館2階の廊下。


本館屋上に立つ塔。
この塔は観測のために作られたものではなく、建築デザイン上この頃はやりのものか、京大時計台の流れを汲むものかもしれません。


塔の内部。


塔内の高い空間を利用して、後からつけられたフーコーの振り子。
地球の回転を証明することができます。


屋上からは大阪平野が一望のもとに。
大阪城から咲洲、淡路島や関西国際空港までも遠望でき、夜には夜景が見事だそうです。しかし、建物までの山道は外灯一つないそうなので、泊り込みの観測者だけが見ることができる眺めなのでしょう。



観測所の裏山には,阿武山古墳があり、身分の高い貴人のミイラが発見され、藤原鎌足ではないかと言われているそうです。
「貴人山」がなまって「美人山」になったのかも。
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京大の高槻農場

2012-01-04 00:22:08 | 建物(京大)
京都大学の大学院農学研究科附属農場は、昭和3年に高槻市八丁畷町に設置された本場と、高槻市古曽部町に古曽部温室、京大北部構内に京都農場があります。

そのうち、高槻農場本場は150,292㎡の広さがあります。この辺りは、紀元3世紀頃に築造されたと思われる安満(あま)宮山古墳や村落、水田の跡があり、大昔から稲作が行われていたことがわかっています。
今も農場の広い部分が水田で、稲の栽培が行なわれています。


水田の写真は撮らなかったのですが、水田の他にもいろいろな果樹や農作物が栽培されています。




梨はいろいろな日本の品種や中国産の品種があり、この「菊水」はここだけで栽培されている希少な品種です。


ブドウも、


柿も桃もありました。


温室の中ではトマトの甘い品種の開発や、



イチゴもいろいろの品種が栽培されていて、新しい品種が生み出されています。



農場では学生の栽培実習や院生の研究が行なわれていますが、また、栽培された作物が市民に販売されたり、小学生への特別授業や市民への公開講座も行なわれ、高槻市民に開かれた農場を目指しています。


しかし、京大ではこの農場は売却して、京阪奈の学園都市の方に移転する計画があるそうです。そうなると、この地に根付いてきた果樹は移植してもそこでうまく育つのか?古代から続いてきた稲作地帯がなくなるのももったいないし、跡地がどのように利用されるのか?いろいろ心配な疑問が湧いてきました。


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京都大学高槻農場管理棟

2012-01-03 17:29:30 | 建物(京大)
あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。


記事は未だに、昨年の11月のお話し。

京都大学の高槻農場の見学に行きました。

阪急高槻駅から東に歩いてすぐのところにあります。


正面入り口にある管理棟の建物がステキです。


1929(昭和4)年頃の建築。




裏から見たところ。



二階の講演室から




向いに見える小さな建物(技官室)も同じような造りになっています。




農業機械格納庫も同様。




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京都大学保健診療所

2011-09-16 02:11:08 | 建物(京大)
京大正門を入ると、左側二つ目の建物が保健診療所です。京大の学生・職員の健康を守るための活動をしています。

旧・電話拡張交換室 
1925(大正14)年築 /1931(昭和6)年・1936(昭和11)年増築
設計:武田五一・永瀬狂三


旧・電話拡張交換室 1925(大正14)年/1931(昭和6)年・1936(昭和11)年増築
設計 : 武田五一・永瀬狂三








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京都大学土木工学教室のヒマラヤ杉

2011-09-04 01:29:32 | 建物(京大)
以前に見た京都大学の中の建物をいくつかご紹介します。


先ずは、吉田本部構内にある工学部土木工学専攻教室の建物。
土木工学専攻は今は改組されて工学研究科社会基盤工学専攻の中に含まれています。



1917(大正6)年建築、レンガ造り2階建て。
設計は山本治兵衛・永瀬狂三。

赤いレンガに花崗岩の白い装飾が映えてきれいです。




雪の日に。




窓も大きくとられていて明るい感じです。



裏にまわると、こんな小さな遊び心も隠されています。




裏庭にはテニスコートの跡(今は駐車場)やちょっとした和風の池と藤棚もあります。




そして、裏庭に大きくそびえる木が立っていて、



その下にあった石碑によると、何とあの琵琶湖疏水を作った田邊朔郎先生のお手植えのヒマラヤ杉だというのです。

寄贈とあるので、「お手植え」ではないかもしれませんが。



石碑の裏側。

田邊朔郎が琵琶湖疏水を作ったのはまだ東京大学の前身工部大学校卒業後間もない頃、その後年月を経て、京都大学土木工学教室で教えることになったそうなので、ここにゆかりのヒマラヤ杉があるのも納得できますが、それにしても随分大きくなったものです。



「理工科大学」の石碑も。
京大の中で一番早く創設されたのが理工科大学、1897(明治30)年9月のことです。



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楽友会館がリニューアルオープン

2010-11-27 01:40:35 | 建物(京大)
京大楽友会館が耐震改修工事を終えて、今年10月にリニューアルオープンしました。
(27日にまた行ったので、写真とコメントを追加しました)



1925(大正14)年、京都帝国大学創立25周年記念事業により同窓会館として竣工され、設計は当時建築学科助教授に就任したばかりの森田慶一氏が担当しました。
国指定の登録有形文化財。




正面入口入った所の両壁にある彫り物がかわいいです。



階段の窓のステンドグラスもそのまま、ほとんど元のままですが、トイレが改修されたり、エレベーターがついています。




京大会館に入っていたレストランもこちらで再開されたというので、早速行ってみました。入って左手奥の突き当たりが「喫茶食堂」です。



日替わりランチを食べました。これにスープコーヒーもついて980円、エビのピカタがおいしかったです。あの伝説の(かなり大げさ)エビフライもまたここで味わうことができるようになったのですね。

11月22日~12月4日、リニューアルオープンを記念して、レストランメニューがすべて20%引きになるそうです。
ただし、日曜・祝日はお休み。12月1日は14:00までの営業となっています。
京大関係者だけでなく、一般の方も利用できます。


京大会館の方は大学文書館になるようです。
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京都大学吉田寮

2010-02-28 01:29:11 | 建物(京大)
続いて、学生集会所の奥の吉田寮も入口だけお触りで。



門から寮の玄関までの並木道は、ここでも楽器の練習や指揮の練習をする学生の姿が見られます。


左側には火事で半分焼けた寮食堂の残りの建物があり、



時々演劇やライブが行われているようです。




一番奥の突き当たりが寮の入口です。

竣工は1913(大正2)年。旧制第三高等学校の学生寄宿舎の廃材を利用して建てられた木造二階建てで、現存する最古の大学寄宿舎です。

ここから先は入ったことがありません。
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京都大学学生集会所

2010-02-28 00:40:38 | 建物(京大)
この際寄り道ついでに、はるか昔に撮影したままお蔵入りしていた京大学生集会所の写真をアップすることにします。
(撮影は2007年6月)


東大路近衛の通りに面した東側、吉田寮入口の右側にある木造二階建ての古色蒼然とした建物です。昔はその名の通り学生の集会や演説会もあったようですが、今は音楽系サークルのための部室になっています。




入口ホールから二階に続く階段があり、

ぎしぎしと上がっていくと、




廊下でも楽器の練習に励んでいる学生さん達がいて、一心不乱でこちらには振り向きもされません。


天井の模様が素敵。


外に出て、吉田寮側の奥から見た建物。


東大路の西側から見るとかなりの大きさの建物でした。


2010年3月3日の京都新聞朝刊「あのころ ちかごろ」に「木造学舎に染み込む弦楽器の音」という記事で出ていました。
「99歳の木造建築」と出ているので、1911年築になりますか、いやー、これは貴重な建物ですわ

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京都大学総合博物館

2009-12-05 05:46:02 | 建物(京大)

文学部陳列館の東半分は昔のまま、西半分は総合博物館に建て替えられてしまいました。


総合博物館。
東大路通り側に入口が開かれています。

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「ジョサイア・コンドル建築図面展」

2009-12-02 05:46:54 | 建物(京大)
京都大学総合博物館での企画展のお知らせです。



「日本文化に見た夢 お雇い外国人建築家コンドル先生
重要文化財 ジョサイア・コンドル建築図面」展
2009年12月2日~12月24日に開催されます。




明治初期にお雇い外国人教師としてイギリスから来日、東京帝国大学で建築を教えた「日本近代建築の父」と言われるジョサイア・コンドル。退官後も数々の洋館邸宅を建てています。その設計図や外観見取り図が美術品としても鑑賞できるほど美しく描かれています。京都大学工学部建築学専攻が教材として所蔵していたものが2006年に重要文化財に指定され、全468点のコレクションの中からセレクトした原本約30点が展示されるとともに、日本画、生け花など日本文化にも造詣が深く、西洋に日本文化を紹介したコンドルの著書も併せ紹介されています。デジタル修復の紹介もあり。


コンドルの主な建築物は、
(今はなき)鹿鳴館、東京茅町の岩崎邸、古河邸、綱町三井倶楽部、神田のニコライ堂、桑名の諸戸邸...うーーん、凄いです。


開館時間は 9:30~16:30(入館は16:00まで)
月曜日、火曜日(平日・祝日にかかわらず)、年末・年始(12月28日~1月4日) が休館
観覧料は400円です。


12月11日(金)には、14:00~15:00、博物館ミューズラボにて京都大学大学院工学研究科教授の高橋康夫氏による記念講演会「ジョサイア・コンドルと日本文化」もあります。
興味のある方はどうぞ。


ミーハーのつぶやき:東大構内に建っているコンドル先生の銅像の実物大写真も展示されていますが、「カックイーーイ」オノコです。
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