旧河島家。
ここは唯一公開されている武家屋敷で、地役人の組頭まで昇進した上級武家の構えを伝えています。地役人は幕府から派遣されて来る代官に仕えて、代々土着で銀山の支配をした武士です。
大森の町並みでは商家と武家屋敷が入り混じって建っていますが、商家は道に面しており、武家屋敷は塀や門構えの内側に建物があります。
この家も1800(寛政12)年頃に建てられています。
市指定文化財、入館料200円。
内部には当時使われていた調度品が展示されています。
人が顔を出している二階の部屋は女中部屋です。
しかし、上級武士の家よりも豪商熊谷家住宅の方がはるかに大きかったのは、なんかおもしろい現象でした。
大森の町並みから1分程歩いた山の斜面に五百羅漢の石窟があります。
銀山で働いて亡くなった人や先祖の霊を供養するために観世音寺住職の月海浄印が、造立を発願し、月海和尚没後は、田安中納言宗武卿(8代将軍吉宗の次男)が支援を行い、30年近い歳月をかけて1766(明和3)年に完成しました。
石窟の向かい側に川と車道を隔てて、真言宗羅漢寺があり、五百羅漢を護っています。
入山料500円。
石窟は3室あり、中央の石窟には釈迦三尊が、左右の石窟に250体づつ計500体の羅漢が安置されています。500体それぞれ顔が異なり、仕草や表情が豊かです。
五百羅漢像は温泉津町福光の石工、坪内平七一門の人々が刻んだということです。
石窟の中は撮影禁止でしたので、遠景だけで。
石窟の右手には、「三百水」と名づけられた湧水があり、地元の人々がこの水を桶で担いで銀山まで運び、一荷300文で売り歩いたそうです。島根の名水100選にも選ばれています。
ここまで見た龍源寺間歩、石見銀山資料館、熊谷家住宅、旧河島家住宅、五百羅漢は全部が1,500円で見られる共通券(発行日から2日間有効)があったので、それで見てまわりました。