ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2016年青春18夏の旅 生野銀山への旅(3)朝来市旧生野鉱山職員宿舎

2016-09-03 00:05:37 | 建物(兵庫県)
生野鉱山とJR生野駅近くの口銀谷(くちがなや)地区は、銀山で働く人達が町を作り、当時の繁栄を物語る独特の景観を残しています。400年以上にわたり、採掘・製錬・運輸といった鉱業と鉱山町の発展に伴って形成されてきた「国内唯一の鉱山の歴史と生業が今も生き続ける現役鉱山都市」として、国の重要文化的景観に選定されています。

生野銀山からの帰りは、14:42生野銀山口発のバスに乗りましたが、駅までの途中で降りて、口銀谷の町並みを見ながら歩いて帰りました。
この橋の向こう側には山神宮が祀られています。昔は川に沿って鉱石を運ぶ「鉱石の道」がつけられていて、大正時代には電気機関車がトロッコを引いて走っていました。

これより前、明治9年から生野銀山と兵庫県の飾磨津(現姫路港)との間に、生野鉱山で産出した鉱石、鉱山で必要な機材や物資を運ぶために馬車で結ぶ舗装道路が作られ、「銀の馬車道」と呼ばれていました。日本初の高速産業道路でしたが、明治28年に播但鉄道(現JR播但線)ができてからは、そちらに役割を譲り、その跡は今は大部分が国道や県道となって残っているそうです。



バスを降りて少し歩いた所に「朝来市旧生野鉱山職員宿舎(甲社宅)」があります。
生野鉱山に勤めていた職員の住宅のうち甲社宅の通称だった5棟が平成22年に復元整備され、公開されています。



うち3棟は1876(明治9)年に明治政府直轄であった生野鉱山の上級官吏用宿舎として建てられ、2棟は1896(明治29)年に三菱合資会社に払下げられてから建てられた社宅です。修復する時にそれぞれ明治初期と後期、大正期、昭和中期の設備、建具、家具、調度品を備えて、時代によって変化してきた日本人の生活様式を見ることができるようにしています。



大正期の宿舎は「志村喬記念館」となっています。
俳優・志村喬さん(1905-1982)のお父さんは生野鉱山の冶金技師で、幼少の頃にこの宿舎に住んでいました。実際の生家(甲11号棟)は今はありませんが、甲7号棟を大正時代の様式に改修して志村さんの写真や映画の資料を展示しています。



その家の台所土間の様子。



廊下に座っているのは岡田准一くん。黒田官兵衛を演じた時にここを訪れた時の写真です。



昭和期の台所。



カラミ石(中央瓦の下の四角い石)と三菱の紋がついた生野瓦。
カラミ石は鉱石から銀や銅などを製錬した後のカスを方形に成形した約100kgの石。固くて重いので家の土台や塀材として生野町のあちこちに残っています。
生野瓦は寒冷地の気候に適して固く焼き締められた独特の赤い色をした瓦です。

生野にはこれら甲社宅の他に、鉱山長社宅、乙社宅、寺の上社宅、茶畑社宅など700戸以上の社宅がありました。



生野鉱山の町に住む社員や技師は都会から転勤で来る人も多く、その家族もふくめて職員宿舎に暮らす人々の生活は当時では”ハイカラ”なものでした。都会から持ち込まれた食べもの、ハヤシライスが今では生野の名物になっています。町のあちこちのお店でそれぞれの味のハヤシライスが出されていますが、これは生野銀山の食堂で食べたものです。



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2016年青春18夏の旅 赤穂(1)赤穂市立民俗資料館(旧日本専売公社赤穂支局)

2016-08-24 00:14:30 | 建物(兵庫県)
8月の暑い日、青春18切符を使って播州赤穂に行ってきました。


9:00京都駅発の新快速で播州赤穂駅まで乗り換えなしで、11:09に着きました。

JR播州赤穂駅。



駅に着いて先ずは腹ごしらえ。駅の二階のお店で塩ラーメンを食べました。
赤穂のB級グルメ塩ラーメンはスープのだしは鶏がら、豚骨、魚介など様々でも「赤穂の塩」を使うことが条件になっています。
あっさりして、食べやすいお味でした。



駅から徒歩15分の距離ですが、暑いのでタクシーで赤穂市立民俗資料館に行きました。

建物は1905(明治38)年の塩専売法施行に伴い設置された大蔵省塩務局の庁舎として1908(明治41)年6月に完成しました。現存する日本最古の塩務局庁舎で、兵庫県の重要有形文化財に指定されています。
1982(昭和57)年からは赤穂市立民俗資料館となり、赤穂で使われていた日常生活用具、農耕生産用具、戦時資料や教科書などを展示しています。
開館時間:9:00~17:00 休館日:水曜日、年末年始 入館料:100円。



右ウィングにある正面入口。






入口内ホールの天井は高い吹き抜けになっています。



一階旧事務室がメインの展示室になっていて、ちょうど「ビートルズ来日50周年記念展」の開催中でした。懐かし~い。






メダイヨン(円形浮彫)。電球も円形につけられています。



奥の廊下の両側に元の小会議室、厨房、燃料室、分析室、宿直室などが並んでいて、今はそれぞれ民具の展示室になっています。



旧使丁宿直室は畳敷きで、家庭用民具が展示されていました。懐かしいものばっかり。



赤穂の特産品展示室に赤穂緞通がありました!
市内には緞通の工場もあり、見学ができる所もありましたが、時間がなくて行けなかったのは残念でした。



二階への階段。



階段上。



二階の旧監視課室。天井を支えるハンマービームの梁が独特です。



一階廊下の突き当たりから外に出ると広い庭があり、屋外展示場になっています。
建物裏側もすべて白の下見板貼りになっています。



レンガ造りの旧文書庫。



木造の旧塩倉庫。元は11棟ありました。



昔使われていた様々な農機具がありました。



赤穂の町の旧水道で使われていた土管や井戸もありました。

赤穂藩上水道は1616(元和2)年に池田藩に始まり、浅野藩で形を整え、森藩、明治、大正、昭和と320年もの間、赤穂の城下町を潤し、1944(昭和19)年に新上水道にその役目を引き継ぎました。
赤穂の町で上水道が作られたのは、海に近く井戸を掘っても海水が湧き出るような土地だったからで、千種川上流の取水口から水を引き、7キロ余りの導水路で運ばれてきた水をこし場で配水管に分岐し、赤穂城内と城下町へ送りました。城下町では各家の井戸まで給水されるという全国的にも稀な施設でした。

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2016年青春18春の旅(2)丹波篠山大正ロマン館

2016-04-09 02:03:29 | 建物(兵庫県)
JR篠山口駅に着いたのは、福知山駅から約1時間後の12:10。
しかし、丹波篠山の街は篠山口駅からはかなり離れています。駅から神姫グリーンバス篠山営業所行きに乗り、田園地帯を過ぎて15分程すると、篠山の城下町らしい古い町並みに入って来ました。







「二階町」バス停で降りると、お土産屋さんや食べ物屋さんが並ぶ中に、

大きなイノシシの頭が屋上からにょっきり出ているビルがありました。
そうか、丹波篠山の名物はぼたん鍋だったんだ。ぼたん鍋屋さんが何軒もありました。



そこから篠山城の方に歩いて行く途中に、レトロな建物がありました。

「大正ロマン館」(旧篠山町役場)です。



1922(大正11)年に建てられた木造平屋建、寄棟、下見板張り、L字型の建物で、L字の角部分に玄関を設けているのが特徴的です。1992(平成4)年まで篠山町役場として使われ、現在は観光施設「大正ロマン館」として利用されています。





中にレストランとお土産品売り場がありました。


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姫路城天守閣「天空の白鷺」を見る

2014-01-09 01:03:48 | 建物(兵庫県)
平成の大改修中の姫路城天守閣を真横から見学できる見学施設『天空の白鷺』は2014年1月15日までで終了します。改修工事は2009年10月の着工から2014年まで丸5年かけて行われ、これから素屋根や足場を撤去していく予定なので、見学ができなくなるのです。

開催中に何とか間に合って見に行くことができました。



修理期間中、天守閣はすっぽりと鉄骨と屋根の覆いの中に入っています。





かっこいい「菱の門」を通って、




高い石垣の曲線を眺めて、





「天空の白鷺」の建物の中に入ります。
1階から8階までエレベーターで上がるのですが、その待ち時間がいきなり行くと1~2時間になることもあるというので、予め予約して行きました。
ところが、この日は雨だったせいか、エレベーターの前はこの状態で、全然待ち時間なしで見られました。
この後15日が近づいて来たらまた混雑するかもしれません。




8階に上がると、天守閣の最上層、5層の大屋根がガラス越しに目の前に現われます。
大迫力です。




もう修理の仕事はほぼ終わっているので、工事の人の姿はありませんが、もっと前なら瓦職人さんや左官さんが働いているのが見えたことでしょう。




階段で7階に下りると、一つ下の層が見えます。
白鷺城と言われるのは、屋根瓦の一つ一つの端が漆喰で塗り固められているので、白い部分がたくさん見えるからでしょう。




漆喰壁の塗り見本。
左から右へ、木に縄を絡めた下地の上に土壁、漆喰壁と何層にも塗り重ねていくのがわかります。





天守閣の高さから姫路市街を眺めたところ。
雨天の上に、ガラス越しで室内の景色が写りこんでしまって、お見苦しくてすみません。





西の丸を眺めたところ。





西の丸には、本多忠政が息子忠刻と千姫の居館として建てた御殿がありましたが、今は百廊下と化粧櫓だけが残っています。百間廊下は奥女中や家来達が居住した長屋廊下、化粧櫓は千姫が毎日百間廊下から男山天満宮を参拝する時に休憩した部屋です。





化粧櫓の中に千姫の人形がありました。





乾曲輪に今話題の黒田官兵衛ゆかりの瓦がありました。
中央の円い鬼瓦に十字模様が描かれていて、キリシタンだったという官兵衛に関係するものと言われています。

「ひめじの官兵衛 大河ドラマ館」なるイベントが1月12日から2015年まで開催されるらしく、今年の姫路は「官兵衛」で盛り上がることでしょう。




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2013年青春18夏の旅(1)和田山機関区

2013-08-26 23:31:59 | 建物(兵庫県)
今年の夏の青春18の旅、第一回目は山陰線から。

京都駅を8:05に出発、園部、福知山で乗り換えて、


10:45に和田山に着きました。



この駅で降りた目的はこれ!




旧和田山機関庫の車庫跡です。
駅のホームからレンガ造りの建物が見えます。



しかし、屋根が全然ありません。何と痛々しい!



これは1912(明治45)年3月に建築されたもので、1991(平成3)年3月からは車両整備工場として利用されていましたが、今は屋根も取り払われて放置されたままのようです。







横に同じ頃に作られた給水塔もあります。




明治の鉄道遺産、取り壊したりしないで何とか残してほしいものです。


駅から出てもっと近寄って見たいと思ったのですが、車庫のある線路の反対側に行くには、駅の左右どちらもかなり歩いて踏切を渡って回り道して行かねばならないようなので、残念ながら諦めて、駅の近くをぶらぶら歩くだけにしました。


和田山駅前の風景。



駅の横の緑地にミニ竹田城がありました。和田山と姫路を結ぶ播但線の次の駅、竹田駅の近くに天空の城竹田城があるようです。



駅の前にアンネのバラの鉢植えがありました。


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