2泊目は高山からバスで1時間ほど入った所にある平湯温泉に泊まりました。

中央に見えるのが平湯温泉の家々。
平湯温泉から徒歩20分くらい行った所に平湯大滝があります。滝も川もみんな凍りついていました。


平湯温泉から新穂高ロープウェイに向かって行く道には、福地温泉、新平湯温泉、栃尾温泉、新穂高温泉と続き、奥飛騨は温泉だらけ、しかも露天風呂が最も多い地帯だそうです。
平湯温泉からバスで1時間ほどで、新穂高ロープウェイに着きました。前日は風が強くて止まっていたそうですが、この日は晴れていたので、乗ることができました。
ロープウェイの新穂高温泉駅(標高1117m)から2本のロープウェイを乗り継いで、終点の西穂高口駅(標高2156m)まで、日本で一番標高差の大きいロープウェイだそうです。2本目の区間は2階立てゴンドラです。
終点駅の展望台は気温マイナス9度で建物の床も手摺も何もかも凍ってしまっていました。

展望台から眺めた槍ヶ岳は、頭は雲の中でした。


ゴンドラから見下ろした木が樹氷状になってとてもきれいでした。
こうして見返しても、ほんとに寒い景色ばかりです。雪の季節もよかったですが、秋なんかもきっと素晴らしい景色が見られるだろうと思います。
クリスマス・イヴの日、高山は雪が降り続いていました。


国指定史跡、高山陣屋。
飛騨は1692(元禄5)年から幕府の直轄領となり、代々江戸から派遣された代官、郡代が支配してきました。高山陣屋は、そのお役所兼お代官の住宅兼年貢米の蔵の建物群で、復元修理されて公開されています。「お代官さま~」のお屋敷です。

降り続く雪の中、雪国の仕事は雪下ろしが欠かせません。高山陣屋の屋根からも雪を下ろしていましたが、下ろした雪が軒の高さくらいまできていました。

古い町並みの残る上三之町のあたり。



宮川にかかる鍛冶橋の欄干には「手長」の像が、

反対側の欄干には「足長」の像がありました。この像は、嘉永元年に名工谷口与鹿が高山屋台の恵比寿台にとりつけたものを模したもので、「手長」は山の幸を得るために手が長くなり、「足長」は海の幸を得るために足が長くなった中国の仙人だそうです。
12月23日下呂温泉に行きました。ちょうど大雪の日
で、特急列車は関が原辺りで、「前の方で除雪しています」ということで止まったり進んだり、下呂に着くのに1時間50分遅れてしまいました。

でも、雪がいっぱい降っているのは珍しくて、何だか楽しい。ルンルンと雪をかきわけて行ってまいりました。

宿の窓からの景色。

下呂温泉は白鷺が温泉に導いたという伝説があり、「鷺の足湯」がありました。

こちらは「ビーナスの足湯」

「下呂温泉合掌村」には白川郷から移築してきた合掌造りの民家が10棟あります。

しらさぎ座では大衆演劇が上演されるそうです。

合掌造りの旧大戸家住宅は1833(天保4)年から13年間かかって作られたもの。1階の座敷にはご主人さまが座っておられました。

2階建ての大きな家に昔は大家族で住んでいました。2階はカイコを飼う棚があったり、昔の民具類が展示されていました。

餅を木の枝につけて花のようにした飾りがきれいでした。
この合掌村の中には「狛犬博物館」もあり、狛犬のルーツは古代オリエントのライオンがシルクロードから中国・日本へ伝わり、神社の守り神になったとか。木彫、陶器、金属などいろいろな狛犬が集められていました。
きもの歴史展を見に行った鷹峯に史跡御土居跡がありました。
史跡御土居公園や「しょうざん」のお土居跡よりさらに北側にあり、京の町を取り囲んで秀吉が突貫工事で作らせた城砦、お土居とお堀の一番北西の角にあたる所です。
仏教大学前から光悦寺へ向かうバス通りの道端に史跡の石碑が立っています。お土居はどこかと見回しましたが、それらしきものは見当たらず、ただの道路です。ただこの辺りの道は急な坂になっているので、御土居の盛り土の名残かもしれないと思いましたが、暗くなっていたので、それ以上は探検できませんでした。帰ってから「御土居堀ものがたり」で確かめると、少し西奥に入ったところに名残が見える所があるようです。
横の電柱の標語は「やめて下さい!違法駐車」だったんだけど、「やめて下さい!お土居の破壊」と読んだほうがいいかも。

そのすぐ前に和菓子屋さんの光悦堂があります。このお店の辺りがちょうど御土居の真上にあたるらしいです。

御土居餅が名物だということなので、買って帰りました。

あずきの入ったお餅にきなこがかけてあって、土手らしく作られています。
史跡御土居公園や「しょうざん」のお土居跡よりさらに北側にあり、京の町を取り囲んで秀吉が突貫工事で作らせた城砦、お土居とお堀の一番北西の角にあたる所です。
仏教大学前から光悦寺へ向かうバス通りの道端に史跡の石碑が立っています。お土居はどこかと見回しましたが、それらしきものは見当たらず、ただの道路です。ただこの辺りの道は急な坂になっているので、御土居の盛り土の名残かもしれないと思いましたが、暗くなっていたので、それ以上は探検できませんでした。帰ってから「御土居堀ものがたり」で確かめると、少し西奥に入ったところに名残が見える所があるようです。
横の電柱の標語は「やめて下さい!違法駐車」だったんだけど、「やめて下さい!お土居の破壊」と読んだほうがいいかも。

そのすぐ前に和菓子屋さんの光悦堂があります。このお店の辺りがちょうど御土居の真上にあたるらしいです。

御土居餅が名物だということなので、買って帰りました。

あずきの入ったお餅にきなこがかけてあって、土手らしく作られています。

「きもの歴史展~江戸・明治・大正・昭和の着物~」というのをやってるという記事を京都新聞で見つけたので、早速行ってきました。
12月19日(月)~22日(木)午前10時~午後8時(最終日は午後6時まで)
会場は洛北染色工芸館(北区鷹峯土天井町1-1)バス停土天井町で降りてすぐです。(075-492-3327)
入場無料
主催:NPO法人日本伝統衣装保存研究所
展示内容は江戸時代から昭和初期までの着物と帯、友禅や刺繍の打ち掛け、銘仙、お召しの着物などでした。

テレビドラマ「大奥」の女性達が着ているような打ち掛けがたくさんあって、繊細な技と美しい色使いにうっとりしました。
12月19日(月)~22日(木)午前10時~午後8時(最終日は午後6時まで)
会場は洛北染色工芸館(北区鷹峯土天井町1-1)バス停土天井町で降りてすぐです。(075-492-3327)
入場無料
主催:NPO法人日本伝統衣装保存研究所
展示内容は江戸時代から昭和初期までの着物と帯、友禅や刺繍の打ち掛け、銘仙、お召しの着物などでした。

テレビドラマ「大奥」の女性達が着ているような打ち掛けがたくさんあって、繊細な技と美しい色使いにうっとりしました。
12月14日は赤穂浪士討入の日でしたが、西陣の妙蓮寺にも四十六士の遺髪墓があります。奥の墓地の中にあり、討入した中でただ一人生き残った寺坂吉右衛門が四十六士の遺髪を持ち帰り、伏見に住んでいた片岡源五右衛門の姉に託したのが、こちらのお寺に祀られるようになったものです。

お墓は元禄17年主君の3回忌に作られたのを平成14年に再建したものです。

2005年12月15日付け「市民しんぶん左京区版 左京のいしぶみ」に載っていました。
松ヶ崎東町妙円寺(大黒さん)の境内、山の麓あたりにある古井戸です。

この井戸には次のような話が伝えられています。
ある日、キツネの子が井戸に落ちて死んだ。すると、稲荷の親キツネが現れて、「今後、井戸を一切掘ってはならぬ。掘れば不幸が訪れる。その代わり、どんな日照りのときでも、神通力で井戸が涸れないようにする。」と告げた。
以来、人々は水道ができるまでこの井戸一つで過ごしたと言われています。
松ヶ崎東町妙円寺(大黒さん)の境内、山の麓あたりにある古井戸です。

この井戸には次のような話が伝えられています。
ある日、キツネの子が井戸に落ちて死んだ。すると、稲荷の親キツネが現れて、「今後、井戸を一切掘ってはならぬ。掘れば不幸が訪れる。その代わり、どんな日照りのときでも、神通力で井戸が涸れないようにする。」と告げた。
以来、人々は水道ができるまでこの井戸一つで過ごしたと言われています。
たまたま通りがかったら、「木屋町ランプの旅」で、高瀬川に灯りがともされていました。
立誠小学校の前の川の中央に雪の結晶のような形のランプが並んで立てられていて、川面にもイルミネーションがちりばめられています。立誠まちづくり委員会と成安造形大の学生が協力して8日から11日まで灯していたのだそうです。

夜の高瀬川が幻想的な光に包まれていました。



もう師走だなあという感じです。
立誠小学校の前の川の中央に雪の結晶のような形のランプが並んで立てられていて、川面にもイルミネーションがちりばめられています。立誠まちづくり委員会と成安造形大の学生が協力して8日から11日まで灯していたのだそうです。

夜の高瀬川が幻想的な光に包まれていました。



もう師走だなあという感じです。
12月1日に撮影した松ヶ崎疏水の紅葉風景。



日のあたる土手には水仙の若葉とかたばみの花が群生していました。春が楽しみです。

妙法の山が黄色く燃えていました。

何となく落ち葉を集めてみたくなりました。