2017年4月から改修のために休館になっている京都市美術館の内部見学会が4月16日にあったので、普段見られなかったところもじっくり見てきました。
二階ホールの奥、西向き正面の部屋は、当初は貴賓室として作られていたようで、凝った作りになっています。

天井は折り上げ格天井で金の金具で飾られています。


床は組木細工。

ドアにも凝った彫り物があります。


スチームの覆いは細かな金具細工。

貴賓室の近くに特別の手洗い所がありました。
京都市美術館の風格ある外観、独特の意匠、占領の歴史を伝える遺構、等々、改修された後もどうか残されていてほしいものです。
改修前の京都市美術館ウォッチングはこれで終わりです。
いよいよ、通常は絶対に見られない部分へ。
地下室を見学させてもらいました。

地下に続く階段。

地下には使わなくなった展示ケース等、様々なものが置かれていました。

戦後美術館が占領軍に接収されていた時期に、靴磨きの部屋として使われていた部屋のドアには、「SHOE SHINE SERVICE」と書かれていました。

こちらのドアには「IF DOOR IS CLOSED,STAY OUT」と書かれています。

地下から館内に入った時期もあり、下足を預かるカウンターがありました。

一階の三列の陳列室の間には中庭がありますが、空調等の機械でほとんど塞がれていました。

中庭に面したアール状の壁。

一階東面入口の内側には、昔の展示ケースが隠されていました。
木枠にガラスのがっしりしたものでした。
占領時の事物、美術館の来し方を表わす遺品等、必ず残してほしい歴史遺産です。
休館になり、展示品がなくなってがらんとした展示室を見てまわりました。



外光が上方から入りこんで展示品に直接当たらないようになっています。


一階南側の通路。右側に出るといつも閉まっている南面入口があります。

通路の左側には二階に向かう螺旋状の階段があります。
「日本に京都があってよかった」のキャンペーン写真が撮られた場所です。
同じような階段が北側通路にもあります。


階段の下はトイレになっています。

階段の上には二階ホールがバルコニー状に突き出ています。

バルコニーの内側には、

半円状の大理石のベンチが作りつけられています。

その近くの床のタイル。
京都市美術館ウォッチングの続きです。

玄関を入ると重厚な大理石の柱が並んでいます。

玄関ホールの前に、風除け室のように扉で区切られた区画があります。

ホール正面に大きな階段があります。

途中から左右に分かれる階段。




階段室吹き抜け上の天井が見事です。

二階ホール。

そのタイル。

横の方にエレベーターもあるのを初めて知りました。
京都市美術館本館は2017年4月10日から約3年間、再整備工事のため、休館することになりました。
4月16日に、閉館になった美術館の内部を市民に公開し、写真撮影やスケッチもできる「京都市美術館で思い出づくり!」というイベントが実施されたので、美術館ウォッチングに出かけてきました。
先ずは、美術館の外観から。

前面(西面)の表玄関。和風の屋根を取り入れた帝冠様式と言われる造りです。
敷地の西南部分は既に塀で囲われて、文化財発掘調査が行われていました。

1933(昭和8)年に開館。設計は前田健二郎。当初は「大禮記念京都美術館」という名称でしたが、敗戦後駐留軍により接収、1952(昭和27)年に接収解除され、「京都市美術館」に改称されました。

正面玄関の重厚な入口。

南面。

南面屋根近くの装飾。

南面バルコニー角の置物。

東面には和風庭園が広がり、

その奥に低層の新館収蔵庫が隠れています。

収蔵庫の屋上には外部階段から自由に上ることができます。

東面。

東面入口。通常は閉まっています。

東面の屋根も和風屋根です。

北面。
滋賀県琵琶湖の北方、高島市マキノ町の海津地区大崎の琵琶湖岸にお花見に行って来ました。

9:48京都発の湖西線新快速でマキノ駅に着いたのが10:50.

マキノ駅の駅前は大きな通りが琵琶湖までまっすぐ続いて、お花見の船の発着場になっています。
平日とはいえ、マキノ駅に降りたお花見客はものすごい数。駅前から4月11日~14日・17日~18日だけ出ているお花見バスに乗りましたが、これもぎっしり満員でした。マキノ駅から海津大崎の半島をまわり、マキノ駅に巡回しているバスで一日乗り放題で800円です。
15日・16日の土日だけはマキノ駅前~大崎並木口間をピストン運行するシャトルバスが走っています。(200円)
他に常時運行している路線バスが大崎並木口の近くまで通じていますが、便数が少ないので時間を調べて行ったほうがいいです。(220円均一)
駅前から大崎並木口まで歩くと30分程かかり、他にレンタサイクルもあります。
詳しくは、高島市の「海津大崎の桜情報」でお確かめください。

お花見バスで5分程、大崎並木口で降りた辺りは旧街道沿いで、前に高島市新旭町針江地区生水(しょうず)の里で見たような水を貯めて鯉を飼っている池があちこちにありました。この辺りにもきれいな水がたくさん湧き出てきているようです。

琵琶湖とは反対の山側に10分程歩いていくと、田畑の中に桜がたくさん咲いていて、

とりわけ大きな桜の古木がありました。「清水(しょうず)の桜」というアズマヒガンザクラで、樹齢300年を超えるそうです。加賀の前田侯が上洛の折り、何度も振り返って花を愛でたことから「見返り桜」とも言われ、水上勉の小説「桜守」の中でも賞賛されています。
この木は墓地の中に生えていて、お墓の多くは軍人のもので、この近くから多くの人が戦争で犠牲になったことがわかりました。

三・四分咲きの時には花はもっと紅いそうです。

もう一度大崎並木口まで歩き、琵琶湖に出ました。
この辺りの湖岸は、1703年に甲府領の代官として赴任した西与一左衛門が風雨の度に宅地に被害が甚だしいのを憐れんで築いた石垣が残っています。石積は何代にもわたって修復が続けられてきています。

ここから湖岸道路に沿って、半島の先端にある大崎寺を経て反対側の付け根までぐるりと桜並木が続いています。
半島の西側は高島市、東側は長浜市になっています。

車道より下側、湖岸に沿って狭いですが人の通る道がつけられています。並木口から大崎寺まで約2km、歩いて30分程です。

所によっては、砂浜に波が打ち寄せる横を歩きます。

途中にお花見遊覧船、湖上タクシーの乗り場もあり、15分1000円、40分2000円で、すぐ乗れるようでした。

桜並木の自動車道は渋滞で花を見ながらゆっくり走る車が連なっていました。

大崎寺の近くまで歩いてきたところに次のお花見バスがやってきたので、大崎寺には寄らず、バスに乗ってマキノ駅まで帰りました。バスのガイドはボランティアのおじさんが引き受けておられて、チケットの販売から、沿線の説明、最後には「琵琶湖周航の歌」まで歌ってくれました。お花見バスは一日乗り放題と言っても便数が多くないので、2回乗っただけでしたが、全部歩くと相当な距離になるので、まっ仕方ないかというところでした。
ここからただJRに乗って帰るにはまだ早い午後2時だったので、路線バスに乗って「マキノ高原温泉さらさ」に行ってきました。

14:00マキノ駅前発のバスで、前に行ったことのあるメタセコイア並木を通って、「マキノ高原温泉さらさ」に14:13に着きました。メタセコイア並木はまだ茶色い枝ばかりの冬の姿でしたが、5月になれば緑の若葉が出てくるのでしょう。
このバスも1時間に1本です。
温泉は大浴場と露店風呂の他に水着で入るバーデゾーンもある広い施設で、ほっこり暖まりました。ちょうど月・金曜日が65才以上が700円が600円になるシニア・デーだったのでラッキーでした。

ここは冬はマキノスキー場、グランドゴルフやキャンプ場になっているところです。この辺りは八重桜が多く、まだまだこれから花が楽しめそうです。山の頂上にはまだ雪が残っていました。
1時間後のバスに乗ってマキノ駅に戻り、新快速で京都に帰ってきました。

9:48京都発の湖西線新快速でマキノ駅に着いたのが10:50.

マキノ駅の駅前は大きな通りが琵琶湖までまっすぐ続いて、お花見の船の発着場になっています。
平日とはいえ、マキノ駅に降りたお花見客はものすごい数。駅前から4月11日~14日・17日~18日だけ出ているお花見バスに乗りましたが、これもぎっしり満員でした。マキノ駅から海津大崎の半島をまわり、マキノ駅に巡回しているバスで一日乗り放題で800円です。
15日・16日の土日だけはマキノ駅前~大崎並木口間をピストン運行するシャトルバスが走っています。(200円)
他に常時運行している路線バスが大崎並木口の近くまで通じていますが、便数が少ないので時間を調べて行ったほうがいいです。(220円均一)
駅前から大崎並木口まで歩くと30分程かかり、他にレンタサイクルもあります。
詳しくは、高島市の「海津大崎の桜情報」でお確かめください。

お花見バスで5分程、大崎並木口で降りた辺りは旧街道沿いで、前に高島市新旭町針江地区生水(しょうず)の里で見たような水を貯めて鯉を飼っている池があちこちにありました。この辺りにもきれいな水がたくさん湧き出てきているようです。

琵琶湖とは反対の山側に10分程歩いていくと、田畑の中に桜がたくさん咲いていて、

とりわけ大きな桜の古木がありました。「清水(しょうず)の桜」というアズマヒガンザクラで、樹齢300年を超えるそうです。加賀の前田侯が上洛の折り、何度も振り返って花を愛でたことから「見返り桜」とも言われ、水上勉の小説「桜守」の中でも賞賛されています。
この木は墓地の中に生えていて、お墓の多くは軍人のもので、この近くから多くの人が戦争で犠牲になったことがわかりました。

三・四分咲きの時には花はもっと紅いそうです。

もう一度大崎並木口まで歩き、琵琶湖に出ました。
この辺りの湖岸は、1703年に甲府領の代官として赴任した西与一左衛門が風雨の度に宅地に被害が甚だしいのを憐れんで築いた石垣が残っています。石積は何代にもわたって修復が続けられてきています。

ここから湖岸道路に沿って、半島の先端にある大崎寺を経て反対側の付け根までぐるりと桜並木が続いています。
半島の西側は高島市、東側は長浜市になっています。

車道より下側、湖岸に沿って狭いですが人の通る道がつけられています。並木口から大崎寺まで約2km、歩いて30分程です。

所によっては、砂浜に波が打ち寄せる横を歩きます。

途中にお花見遊覧船、湖上タクシーの乗り場もあり、15分1000円、40分2000円で、すぐ乗れるようでした。

桜並木の自動車道は渋滞で花を見ながらゆっくり走る車が連なっていました。

大崎寺の近くまで歩いてきたところに次のお花見バスがやってきたので、大崎寺には寄らず、バスに乗ってマキノ駅まで帰りました。バスのガイドはボランティアのおじさんが引き受けておられて、チケットの販売から、沿線の説明、最後には「琵琶湖周航の歌」まで歌ってくれました。お花見バスは一日乗り放題と言っても便数が多くないので、2回乗っただけでしたが、全部歩くと相当な距離になるので、まっ仕方ないかというところでした。
ここからただJRに乗って帰るにはまだ早い午後2時だったので、路線バスに乗って「マキノ高原温泉さらさ」に行ってきました。

14:00マキノ駅前発のバスで、前に行ったことのあるメタセコイア並木を通って、「マキノ高原温泉さらさ」に14:13に着きました。メタセコイア並木はまだ茶色い枝ばかりの冬の姿でしたが、5月になれば緑の若葉が出てくるのでしょう。
このバスも1時間に1本です。
温泉は大浴場と露店風呂の他に水着で入るバーデゾーンもある広い施設で、ほっこり暖まりました。ちょうど月・金曜日が65才以上が700円が600円になるシニア・デーだったのでラッキーでした。

ここは冬はマキノスキー場、グランドゴルフやキャンプ場になっているところです。この辺りは八重桜が多く、まだまだこれから花が楽しめそうです。山の頂上にはまだ雪が残っていました。
1時間後のバスに乗ってマキノ駅に戻り、新快速で京都に帰ってきました。
3月末から4月になっても例年にない寒さが続き、今年は桜の開花が随分遅れていましたが、4月第一週を過ぎて京都でもやっと満開になってきました。
しかし、週末は雨の日が続き、なかなかお花見に行けず、9日になって雨の止み間にやっと近場の桜を見てまわることができました。

府立植物園の側の鴨川堤防に続く紅しだれ桜並木では、8・9日の二日間例年のように「鴨川茶店」が開催されていました。

ほとんどのしだれ桜はまだこれくらいの咲き具合でした。

少しだけ咲き進んでいたのはこのようにきれいな花でした。

鴨川堤防のソメイヨシノは満開になっていました。

北大路通り府立大学前のバス停辺りから南西に向かって鴨川を越えると紫明通りに続く斜めの道は、実は松ヶ崎疎水通りが暗渠になって下を流れている通りです。その道の中央分離帯には桜並木が続いています。奥に見えるのは比叡山です。

北大路通りを北に越えると、疎水が暗渠に入り込む口があります。

そこから東に向かって疎水ベリに桜並木が続いていて、今が見頃の松ヶ崎疎水通りです。

閑静な住宅街の中に緑の疎水の両側に満開の桜並木が続いていて、人通りも多くなく、ゆったりと花見を味わうことができます。

あまり人に教えたくないお花見の穴場です。


松ヶ崎浄水場の前で今度は疎水が高野川を越えて流れ込んでくる口が開いています。

高野川の堤防も桜が延々と続いて見事です。


川端通り。

しかし、税金の無駄使いをする無粋な橋工事も強行されていました。

高野川を渡っても疎水は続き、一乗寺、北白川、哲学の道、南禅寺界隈へと続きます。こちらから流れて行くのではなく、琵琶湖から流れてきて、今日見て来た流れを逆に流れ下っていくのです。
しかし、週末は雨の日が続き、なかなかお花見に行けず、9日になって雨の止み間にやっと近場の桜を見てまわることができました。

府立植物園の側の鴨川堤防に続く紅しだれ桜並木では、8・9日の二日間例年のように「鴨川茶店」が開催されていました。

ほとんどのしだれ桜はまだこれくらいの咲き具合でした。

少しだけ咲き進んでいたのはこのようにきれいな花でした。

鴨川堤防のソメイヨシノは満開になっていました。

北大路通り府立大学前のバス停辺りから南西に向かって鴨川を越えると紫明通りに続く斜めの道は、実は松ヶ崎疎水通りが暗渠になって下を流れている通りです。その道の中央分離帯には桜並木が続いています。奥に見えるのは比叡山です。

北大路通りを北に越えると、疎水が暗渠に入り込む口があります。

そこから東に向かって疎水ベリに桜並木が続いていて、今が見頃の松ヶ崎疎水通りです。

閑静な住宅街の中に緑の疎水の両側に満開の桜並木が続いていて、人通りも多くなく、ゆったりと花見を味わうことができます。

あまり人に教えたくないお花見の穴場です。


松ヶ崎浄水場の前で今度は疎水が高野川を越えて流れ込んでくる口が開いています。

高野川の堤防も桜が延々と続いて見事です。


川端通り。

しかし、税金の無駄使いをする無粋な橋工事も強行されていました。

高野川を渡っても疎水は続き、一乗寺、北白川、哲学の道、南禅寺界隈へと続きます。こちらから流れて行くのではなく、琵琶湖から流れてきて、今日見て来た流れを逆に流れ下っていくのです。
2017年4月初旬に青春18切符を使って2泊3日の旅に行ってきました。
京都から山陰線で鳥取まで行き、1泊。翌日鳥取から発ち伯耆大山から中国山地内部に入り、備中神代、備後落合経由で木次線で島根県仁多郡奥出雲町亀嵩まで行って1泊、帰りは宍道から松江まわり、また伯備線で岡山に出て山陽・東海道線で京都に帰って来ました。大きな八の字回りでした。
亀嵩で一晩過ごした翌朝、宿の車で駅まで送ってもらい、9:18亀嵩発宍道行きの普通列車に乗りこみました。
JR木次線を全線乗るために、昨日乗って来たのとは逆の方向に向かって、日本海側に山を下って行くことになります。

出雲八代(やしろ)駅も昔の風情が残る駅でした。
木次線の駅にはこんな感じの駅がまだたくさん残っているようです。


10:02に木次(きすき)駅に着き、ここで18分間の停車でした。


木次駅は木次線の中では大きな駅で、みどりの窓口設置駅です。

近くの斐伊川堤防に桜並木があり、お花見の名所のようです。駅の周りにも桜が咲いているのが見られました。

構内に木次鉄道部の車両基地があります。

宍道(しんじ)駅に10:55に着きました。

11:02宍道発米子行きの普通列車に乗り、11:24に松江に着きました。

12:01松江発岡山行きの特急やくも16号に乗りました。

青春18ばかりだと京都に帰るのに時間的にも体力的にも無理があったので、ここだけ別料金を払って特急列車を使うことにしたのです。

再び大山を車窓に見て、伯耆大山から備中神代までは昨日通った同じ線路をもう一度、今度は高速で通過しました。

備中神代からも伯備線で岡山に向かい、新見駅を通り過ぎる頃、

不思議な建造物が見えました。またいつか新見に来てみて、あれが何か確かめてみたいものです。

14:38に岡山駅に着き、15:11岡山発16:17相生着、16:18相生発18:14京都着の新快速で16駅目の京都に帰り着きました。
2017年青春18春の旅はこれで終りです。
青春18を使って初めての2泊3日の旅でした。
松本清張の小説「砂の器」の舞台、島根県仁多郡仁多町(現在は仁多郡奥出雲町)亀嵩は今どうなっているのでしょうか。

亀嵩駅の前は大きな自動車道になっていました。

駅の近くにお地蔵さんが集まっている場所があり、近くには「和泉式部終焉の地」もあったようです。

駅前のバス停の時刻表です。
しかし、駅から宿まで行くにはどう行ったらよいかわからず、宿の車で迎えに来てもらいました。乗ってみると、かなりの距離がありました。小説にも「亀嵩の駅から亀嵩はまだ四キロぐらいはあった」と書かれています。

途中に湯野神社があり、

その鳥居横に「小説 砂の器 舞台の地」という記念碑があったので、宿の車に一時停車してもらって、見物させてもらいました。(一人だけの送迎だったので、わがままを許してもらいました。玉峰山荘さん、ありがとうございました。)
揮毫は松本清張本人によるそうです。

鳥居の反対側に樹齢450年の大ケヤキが立っていました。
映画「砂の器」では、亀嵩派出所の巡査 三木謙一が放浪中の親子を見つけるのがこの湯野神社の寝殿の床下でした。

宿に着いてから眺めた神社の風景です。

村の遠景。
新しい建物も所々に建っていますが、昔ながらの段々畑の農村風景が残った亀嵩「村」の様子です。
亀嵩の行政名は「村」とはなっていませんが、どうしても「村」というイメージを抱いてしまいます。

亀嵩温泉玉峰山荘のお部屋は、和室の窓際にさらに掘りごたつのある小部屋がある落ち着く部屋でした。

大浴場の温泉入口。

夕食(現地レストランで注文)も、

朝食も仁多米がおいしかったです。
亀嵩近くには、雲州そろばんの産地だったり、重要文化的景観になっているたたら製鉄の操業地や棚田もあるようですが、亀嵩村には一晩泊まっただけで、しかも足(車)がなかったので、ホテルの他はどこにも出かけられず、遠くから眺めるだけに終わってしまいました。
いつまでものどかな農村風景を留めてほしい亀嵩村の姿でした。
2017年青春18春の旅(9)に続く。
やって来ました、はるばると!

松本清張の小説「砂の器」の舞台、島根県JR木次線の亀嵩駅です。
殺人事件の犯人を追う刑事二人が、東北弁「カメダ」を手がかりに羽後亀田を訪ねるも空振りで、実は島根県の奥出雲地方に東北弁に似た発音の地域があり、「カメダケ」が「カメダ」と聞こえたことに気付いてこの駅を訪ね、20年も前に放浪する親子が親切な巡査に助けられたことを知る重要な場面です。
しかし、映画「砂の器」では、別の駅が使われたそうです。

駅に降りたのは私ひとりだけ、

駅にも人の姿が見当たりません。


冬になると、ストーブが焚かれる穴が天井にあります。

駅は1934(昭和9)年の開業です。
長くあこがれだった亀嵩駅にやっと来ることができて感激ひとしおでした。


昔の券売場窓口。

駅員事務室は今はおそば屋さんになっていて、乗車券の販売を委託されているそうです。

ここでおそばを食べるのを楽しみにして来たのに、なんと、残念なことに「4月中旬頃までお休み」になっていました。後で聞いたところによると、店主の方が入院されていたのだそうです。
通常は1時間以上前に予約しておけば、列車の通過時刻にあわせてホームに蕎麦を届けてもらい、車内で食べることもできるそうです。
2017年青春18春の旅(8)へ続く。
仁風閣と鳥取市中心部の近代建築を二つ見てから、鳥取駅に帰ってきて駅前で夕食を食べ、駅から徒歩3分のシティホテルに入りました。

夜、ホテルの部屋から鳥取駅のホームが見えました。

朝、同じ位置の眺め。
青春18の旅で列車に乗りづめするには、宿は駅の近くに取るのに限ります。

朝の鳥取駅。

駅前の広場に不思議なモニュメントが立っていました。
後で検索してみると、「夢時計21」という時計塔で、鳥取の子どもたちのブロンズ像21体が飾られ、日本時間、ロンドン時間、ニューヨーク時間を表す時計があったそうです。

朝8時4分鳥取発米子行きの電車に乗りました。


途中の駅に停まっていたコナン電車。鳥取は漫画「名探偵コナン」の作者、青山剛昌の出身地なので、あちこちにコナンがいます。

倉吉近くに来ると、2016(平成28)年10月21日に起きた鳥取県中部地震の痕跡で、まだブルーシートが掛けられた家があちらこちらに見られました。

御来屋(みくりや)駅。

御来屋駅は山陰最古の駅舎です。
1902(明治35)年の官設鉄道 境(現在の境港駅) - 米子 - 御来屋間の山陰鉄道開業時以来のものを今も使用しています。

終点米子の手前、鳥取駅から21駅目の伯耆大山(ほうきだいせん)駅に10:33に着きました。

駅のホームから大きな大山が見えます。

11:14伯耆大山発、新見(にいみ)行きに乗りました。

伯備線で中国山地に分け入り、鳥取県日野郡日野町の中心地にある根雨(ねう)駅を通りました。

特急やくもも停車していました。

12:52に伯耆大山から12駅目の備中神代(びっちゅうこうじろ)駅(岡山県新見市)に着き、ここで芸備線に乗り換えです。

駅の外に出てみました。

小さな待合室がありました。

雪かき用のラッセル車が待機していました。

備中神代駅は新見・岡山方面行きの伯備線と備後落合・三次方面行きの芸備線の分岐する駅です。

13:11備中神代発備後落合(びんごおちあい)行きの列車に乗りました。

14:25に10駅目の備後落合駅(広島県庄原市)に着きました。
芸備線は伯備線よりもさらに山の中に分けいっていく感じです。

備後落合駅は芸備線と木次線(きすきせん)の分岐する駅で、乗ってきた列車はここまで、芸備線の先に進む三次行きの列車が待っていました。

それには乗らず、駅舎に出てみました。

木次線の列車本数は一日にわずかしかありません。1両編成のディーゼルカーが1日に3往復走るのみです。駅前にはお店らしきものもありません。

14:41備後落合発、宍道行きの木次線の列車に乗りました。

さらに険しい山の中を走って行くと、線路の脇にはまだ雪がたくさん残っていました。平地では梅や桜が咲いていたのに、ここははるかに寒い高地だということがわかります。

「奥出雲おろちループ」という自動車道が大きなカーブを描いているのが車窓に見えました。二重ループ式道路の様子が、とぐろを巻くヤマタノオロチのイメージに重なっているのだそうです。


出雲坂根駅(島根県仁多郡奥出雲町)。駅舎は2010年4月に新しく建て替えられていますが、無人駅です。

駅の前後でJR西日本では唯一の三段式スイッチバックが存在しており、折り返して急な傾斜を下っていきます。

15:59に備後落合から6駅目の亀嵩(かめだけ)駅に着きました。
この日はほとんど一日中普通列車を乗り継いで幾山川を越えてきたものです。昼食は乗り換え駅で何か買って食べようかと思っていた思わくは見事に外れ、どこにも売店も駅前のお店もなく、お菓子を少々持っていたので、何とか我慢できました。
2017年青春18春の旅(7)に続く。
もう一つの鳥取市の近代建築も旧鳥取県立図書館のすぐ近くにありました。

五臓圓ビルです。
大正から昭和初期に最も栄えた中心商店街の智頭街道と二階町通りの交差点にある鉄筋コンクリート造3階建のビル。鳥取市内で現存最古の本格的な鉄筋コンクリート造建築です。1931(昭和6)年に建てられ、施工は旧県立図書館と同じ大阪の新〈アタラシ〉工務所ですが、設計者は不詳です。

一階は薬局の店舗、二階は住居、三階はレストランと喫茶になっていました。

昭和18年の鳥取大震災では建物に影響を受けませんでしたが、昭和27年の鳥取大火では内部を全焼しました。

江戸時代から続く薬種商森下家は藩政時代よりこの地で代々「石見屋」の屋号で生薬等の商いを営んでいた老舗です。初代の頃、僧より伝授された「三心五臓圓」という滋養強壮の家伝薬と各種生薬を代々扱い、日露戦争後は家庭用医薬を、大正には西洋医薬も卸小売する薬種商となり、現在まで営業を続けています。


建物の北角がR状にカーブしています。


建物外側の地面は小さなタイルで覆われています。

平成22年1月には国登録文化財に指定されました。


スクラッチタイルと大理石を張ったモダンで豪華な外観は、智頭街道商店街が最も繁栄した昭和10〜20年代には、街のシンボルとして輝いていたそうです。
いつまでもその姿を残してほしい鳥取の近代建築でした。
2017年青春18春の旅(6)に続く。