ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

旧三井家下鴨別邸

2016-11-30 02:57:29 | 建物(京大以外の京都府の)
2016年10月1日から公開された旧三井家下鴨別邸、11月19日~12月4日には特別に公開されていたので、見に行ってきました。


通常の公開では1階とお庭だけですが、特別公開期間には3階とその上の望楼まで上がることができるので、この期間は大勢の人が来ていて、行列ができる盛況でした。
先ず門に入るまでに行列して20分程待ち、受付を通ってから庭に設定されたテントの椅子で待って、お家の中に入ってからも玄関で待ち、1階の部屋で待ち、2階の部屋で椅子に座って待ち、そしてやっと望楼に上ることができました。望楼の中は狭いので、10名ずつしか上ることができないのです。



建物は下鴨神社の南側、一の鳥居のすぐ横、京都家庭裁判所の南にあります。この地には1909(明治42)年に三井家の祖霊社が遷座され、その参拝の際の休憩所とするため、1925(大正14)年に建築されたのが現在の旧邸で、元は木屋町三条上るにあった三井家の明治期の別邸が主屋として移築されました。
1949(昭和24)年には国に譲渡され、1951年以降京都家庭裁判所の所長宿舎として2007年まで使用されていました。2011年に重要文化財に指定されています。



望楼からの眺めは大文字山をはじめ、東山連峰を眺望することができますが、その前に高い建物もぼつぼつ建てられてきているので、一部眺めを遮られるところもありました。



辺りに生えているニレ科の大木は糺の森の原始から残る木がそのまま残されていて、このすぐ北側に作られているマンション敷地では次々と切り倒されているのは残念至極です。






2階から見下ろしたひょうたん池です。泉川の水を引き入れています。
別棟の茶室は非公開でしたが、1868(慶応8)年の建築だということがわかっています。
原在正(はら ざいせい)筆の孔雀牡丹図杉戸絵や、朝ドラ「あさが来た」の主人公、三井家のお嬢さん関連の展示もありました。

この特別公開の期間にはものすごくたくさんの人が押し寄せたので、建物にとってはさぞやダメージだったことだろうと思われます。次回の特別公開は未定だそうですが、通常の公開は水曜日と年末の休館日以外はずっと行われているので、見学することができます。1月1日~3日はお正月のおもてなしもあるそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年高知県奈半利町への旅 もくじ

2016-11-25 01:44:34 | 土佐の国
2016年11月に高知県東部奈半利町に行きました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧魚梁瀬森林鉄道アーチ橋

2016-11-25 01:11:41 | 土佐の国
奈半利の町の土佐漆喰の家々を見て歩いた後、町のはずれにある昔の森林鉄道の廃線跡のアーチ型の橋を見に行きました。

奈半利川の上流域は、秋田杉・吉野杉と並ぶ魚梁瀬(やなせ)美林と言われる杉の名産地です。この魚梁瀬美林の運搬にかつて活躍した旧魚梁瀬森林鉄道の遺構は国指定の重要文化財となっています。その一つが奈半利町内にある報恩寺跨線橋です。


魚梁瀬森林鉄道は、1895(明治28)年の牛馬道の開設から始まり、1910年(明治43年)から鉄道が建設され、1942(昭和17)年に安田川線、奈半利川線の両幹線に加え、各支線を含めた総延長250kmに及ぶ国内屈指、そして高知県内最大の森林鉄道網が完成しました。
一番最初は山からの下りは自然の重力を利用し、山へ帰る時は犬または牛にトロリーを牽かせていたということです。
陸上交通網が整備されつつあったことに加えて、魚梁瀬ダムの完成により軌道が水没したことから、1964(昭和39)年3月30日に全線廃止となりました。
2009(平成21)年に、林業技術史上重要な遺産であるトンネルや橋などの施設が「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定されました。その一つである北川村にある小島橋のことはこちらに書いてあります。
全部で18ヶ所の重要文化財遺産の説明等、詳しく書かれた「魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム」はこちら



お寺に向かう参道が鉄道線路の上をまたいでつけられ、上部は階段、下は短いトンネルを作っています。1933(昭和8)年頃建設の石造アーチ橋です。



線路の跡は今は道路になっています。



奈半利の港。ここから木材が船に積まれて出荷されたのでしょう。



帰りの「ごめん・なはり線」の電車は北川村にある「モネの庭」のデコレーション列車でした。



高知市中心部に帰ってきて、こちらは「はりまや橋」交差点横のビルにあるからくり時計。
通常は四角形ですが、定時になると上部から高知城、右からはりまや橋と(坊さんがかんざしを買って彼女にプレゼントしたという)純真・お馬の人形、左からは桂浜と龍馬像、下からはよさこい鳴子踊り子隊が出てきて、曲を演奏・踊ります。5分間くらいは鳴り続けて、終わるとまた引っ込んで四角い時計だけが残ります。




2016年11月の高知の旅はこれで終わります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土佐漆喰の町・奈半利(2)

2016-11-25 01:03:22 | 建物(高知県)
奈半利の町の土佐漆喰の家も随分たくさんあって、歩き疲れてきたので、途中で一服することにしました。

唯一お家の中に入って見ることができたお宅、高田屋(竹崎家)さんで、蔵は資料館ギャラリーに、母屋の座敷が喫茶とお土産品販売処になっています。



右が蔵、左が母屋で、間が土間になっています。建築年代は明治23年頃です。



座敷の喫茶処。



お庭を眺めながら、



コーヒーをいただきました。



蔵の入口は防犯のため家屋内部にあり、水害に備えて一段高くなっています。

高田屋は藩政時代から樟脳の製造に携わって巨利を得、田畑・山林を購入して明治の新興地主となりました。三代目才吉は自由民権運動に参加、政界で活躍、四代目音吉は寺田寅彦と親友、夏目漱石の熊本時代の教え子、浜口雄幸の世話で大蔵省に入り、五代目達雄は昭和13年に高知に帰り、高坂女学校の教師を務めました。
その子孫の方が、河田小龍「土佐絵図」、古伊万里や九谷の絵皿などの調度品や工芸品、浜口雄幸・夏目漱石関連の写真や資料など、蔵のなかのお宝を見せてくださいました。

竹崎家(高田屋)蔵資料館は、9:00~17:00開館、入館料は無料です。



高田屋の向かいのお家も漆喰模様がきれいでした。



高田屋の南にある東山家住宅。
初代当主は製材業を営んでいました。主屋は1906(明治38)年頃の建築と伝えられ、つし二階建てで格子と戸袋がつく伝統的な商家のたたずまいです。



蔵は薬局の店舗に改装されています。敷地内にある便所・風呂場棟に藍色の装飾タイルがあるそうですが、見れなくて残念でした。



濱田典弥家住宅。
広い敷地に重厚な主屋・土蔵を持つ旧家です。現在の当主の曽祖父、幕末生まれの虎太郎により新築されました。当時、濱田家は奈半利町内に400人の小作人を持つ大地主でした。

主屋は1934(昭和9)年の築。当時の匠の技が随所に見られます。



土蔵は明治後期の築です。






皇帝ダリアが咲いている家がありました。



さらに水切り瓦の段数が多い蔵(住居?)がありました。

江戸・明治の古いものから最近できたようなものまで、水切り瓦を持つ土佐漆喰の建物がたくさん現役で使われている、奈半利の町はとてもおもしろい町でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土佐漆喰の町・奈半利(1)

2016-11-25 00:47:52 | 建物(高知県)
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終着駅・奈半利で降りて、駅のイタリアン料理店でお昼を食べてから、奈半利の町の散策に出かけました。

奈半利町は高知県の東部、阪神タイガースのキャンプで有名な安芸と室戸岬との中間、奈半利川の東岸にある交通の中心地で、古くは紀貫之の「土佐日記」でも「那波の泊」として記録され、山内一豊が土佐に入国した時にも宿泊したところです。
上流の木材を奈半利川の水運によって運搬・集散していましたが、やがて森林鉄道奈半利線ができてからさらに発展しました。さらに明治以降、樟脳や林産物・捕鯨・製糸業もさかんになって、この地域の中心地となり、その頃の伝統的建造物が今もたくさん残っています。それぞれの建物に説明文がついていましたが、ほとんどのお家が今も住み続けておられる民家です。


高札場。
ここを起点として高知県東端の東洋町野根まで、50km余りの野根山連山を尾根伝いに越えて行く野根山街道が続き、718(養老2)年にはすでに利用されていました。



江戸時代の旅籠屋、西尾家住宅。
主屋は江戸末期、台所・蔵・納屋・レンガ塀・便所は大正初期の建築です。
明治7年の佐賀の乱に敗れ、高知で捕えられた江藤新平が泊まったといわれています。



このお家には説明板はついていませんでしたが、奈半利の住宅の特徴は、このような漆喰の壁に水切り瓦がついて強い雨風に当たっても大丈夫なように造られています。
土佐漆喰は消石灰に発酵させたワラすさを加え水でこねたもので、糊を使わないので水に濡れても戻りがなく、厚塗りが可能できめが細かくなっています。



奈半利町4号津波避難タワー。海に近い町なので、このようなタワーがあちこちにありました。



うだつのある家・浜田家住宅(増田屋)。
主屋・店舗・レンガ蔵は1903(明治36)年築、大蔵・蔵は江戸末期築です。1795(寛政7)年創業で造り酒屋と質屋を営んでいました。主屋一階になまこ壁、二階にうだつが付けられ、土間の梁は50cm角、長さ12mの松材で地域随一の大きさです。



大蔵(酒蔵)と蔵(米蔵と道具蔵)。



曲線を描いた塀。



レンガ蔵。寄棟造り桟瓦葺き二階建、内部に木造の螺旋階段があります。
奈半利で見られるレンガの多くは阪神地方に木材を運んだ船が帰りにバランスをとるために積んできたものです。



改田家住宅。
主屋は大正初期の建築で、敷地内に主屋・釜屋・便所・風呂棟等があり、周囲を石塀で囲っています。



南面の石塀は、浜石を両面に埋めこんで高さ2.1m、厚さ36cm、長さ23mになっています。



東面の石塀はこの家独特のものです。






次は、登録有形文化財、近代化産業遺産の藤村製絲株式会社繭蔵です。



1899(明治32)年築。当初は酒蔵でしたが、大正6年に四国で唯一の製絲会社の繭蔵となり、平成17年までここで操業していましたが、現在はブラジルで行っています。



6段の水切り瓦は奈半利で最も大きなものです。






敷地の周りの石塀も明治のもの。門の右側は丸石、



左側は浜石を半割りにして小口を見せたものです。




近くに高知県の天然記念物、二重柿(ふたえがき)の木がありました。



樹齢は推定100年。渋柿で、内皮と外皮の二重になっています。



森家住宅。
「土佐の交通王」と言われた実業家・野村茂久馬の元住宅で、蔵は明治中期築、主屋と東西南石塀は1918(大正7)年頃の築です。戦後は料亭が経営されていました。
主屋は入母屋、桟瓦葺、西面は下見板張り、上げ下げ窓の洋風意匠です。






東側の塀にはレンガのアーチ門があります。



野村家住宅。
主屋は1922(大正11)年頃、東と南の石塀は明治後期の築です。
藩政時代は年貢米を集める地主で、「倉床(くらとこ)」と呼ばれていました。門の中には曲線を描いた石塀があります。



元奈半利町農協の米蔵、斉藤家住宅。
1938(昭和13)年築の蔵で、昭和23年設立の奈半利町農業協同組合の倉庫として利用されていました。妻面は腰壁に下見板張り、土佐漆喰の壁に水切り瓦、明かり取り用の窓に鉄製の扉がつけられています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬路村へ行こうとしたけれど

2016-11-24 23:31:24 | 土佐の国
2016年11月に高知に行きました。今回は高知までの往復は、京都からの直通バスにしました。

翌日、東部の山間にあるゆずの里・馬路村に行こうと思い、高知駅9:19発の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗りました。土讃線から土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線には後免駅でそのまま乗り入れています。



車内の様子。途中のあかおか駅までは女性アテンダントも乗っていました。



安芸を過ぎて、10:42に安田駅に着きました。
やなせたかしさんがつけたこの駅の愛称は「やすだアユ君」です。近くの安田川であゆがよく獲れるのです。



安田駅のホームは高架になっていて、



まわりの田んぼが見渡せます。
正面の山の奥が馬路村です。



ここからバスに乗り換えて馬路村まで35分ほど、乗換え時間が3分しかないのに、バス停がどこにあるのかわかりません。駅に案内も書いてないし、人に尋ねるにも、人っ子一人いません。
うろうろしているうちに、目の前の通りをバスがさーっと横切って行きました。とほほ。
横断歩道を渡ると、



何と、左に見える棒くいがバス停の印でした。横から見ると棒がただ一本立っているだけにしか見えませんでした。涙涙・・・。やはり乗り継ぎ時間は余裕を持って計画しておくことですね。

次のバスは3時間も先になるので、仕方なく馬路村に行くのは諦め、1時間程安田駅で時間をつぶして次の電車で終点奈半利に向かうことにしました。馬路村にはまたの機会に行きたいです。
安田駅のホームで、上の田んぼ風景をたっぷり楽しみました。


次の電車は車体の横にオープンデッキがついているタイプでした。海沿いの高架上を走るので、潮風を直に受けながら景色を楽しむことができます。



海辺の狭い土地にビニールハウスが立ち並んでいます。



奈半利駅近くの鉄橋は立派なものです。



奈半利駅のシンボルは「なは りこちゃん」です。

臨機応変に予定を変更できるのが、一人旅ならではのいいところです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖護院門跡の特別公開

2016-11-19 00:24:15 | ぶらり都めぐり
聖護院門跡が3年ぶりに特別公開されています。(2016年12月18日まで)
東大路通り熊野神社前から一筋上り東へ一筋入った所にあります。
公開時間:9時30分~16時30分(受付は16時まで)。拝観料:800円。

役行者が開創した修験道(山伏)の総本山として、智証大師圓珍が1090年に「聖護院」という寺を賜り、度々の火災にあった後、1676(延宝4)年にこの地に移されてきました。後白河天皇の皇子が宮門跡となって以来、明治維新まで代々皇室や摂家から門跡を迎えてきました。
たくさんの不動明王像や、江戸時代前期の狩野派絵師による130面の障壁画があり、案内の方が詳しく説明してくれましたが、内部の撮影はできなかったので、画像は建物の外観だけです。

大玄関。



宸殿。
1788(天明8)年の天明の大火で御所が焼失した後3年間、光格天皇が仮の御所とした建物です。上段の間は光格天皇の対面所として使われました。
1854(安政元)年にも御所が炎上した時も孝明天皇の仮御所となりました。



宸殿の前の庭には、公開中7匹の猫の置物が置かれていました。
節分の時にはここで大護摩が焚かれます。



宸殿の奥には、後水尾天皇が女院のために建てた御殿(右奥の建物)が移築されていて、優美な室内を見ることができました。重要文化財となっている書院です。



11月中旬、お庭の紅葉が進み始めて緑の苔に映えていました。

聖護院のこの辺りは明治まで鬱蒼とした森で、この森の紅葉は錦の織物のように美しいということから、「錦林」という地名がついたそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅 もくじ

2016-11-14 22:35:19 | 遠出(国内)
2016年11月中旬に行った西伊豆の旅です。








伊豆の長八を訪ねて前から行きたかった西伊豆の町を歩き、独特の建物や文化、珍しい自然に触れることができました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(7)下田駅から熱海経由で帰る

2016-11-14 22:34:28 | 遠出(国内)
三四郎島で海が割れるのを見てから、堂ヶ島から下田を回って帰途につきました。

11時40分堂ヶ島発の西伊豆東海バスでバサラ峠を越えて、12時38分に伊豆急下田駅前に着きました。



駅前広場の椰子の木の下からも温泉が出ています。



駅の構内で金目鯛の駅弁を食べました。



13:16伊豆急下田発の電車は途中でJR線に乗り入れし、運転手も車掌もJRの人に変わります。



東伊豆の海を眺めながら走っているうちに雨が降ってきて、15:14熱海に着きました。



熱海の駅はさすがに観光客であふれていました。



駅前の足湯にもたくさんの人が入っていましたが、暖まってから、15:46熱海発のこだまに乗り、18:44京都に帰ってきました。

西伊豆の旅はこれで終わりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(6)海が割れる島ー三四郎島

2016-11-14 22:33:26 | 遠出(国内)
松崎の町を散策した後、再びバスに乗って昨日訪れた西伊豆町堂ヶ島に戻りました。
なぜ昨日堂ヶ島に寄ったかというと、天気予報で翌日から下り坂になるということだったので、晴れた昨日のうちに遊覧船に乗って景色を楽しみたかったからです。その目論みが当たって堂ヶ島の海を楽しんだ様子はこちらです。

この日も早目に宿に入って海に沈む夕陽を見る企みです。

宿はバス停から歩いて10分程、海の側の断崖の上にあり、



部屋のベランダから見下ろすと、この絶壁です。






雲が多くなってきていましたが、何とか夕陽を見ることができました。このころは16時半頃が日没の時刻でした。

宿の近くの温泉何館かのお風呂を楽しめるチケットをもらって、お隣のホテルの温泉を楽しんでからお部屋での夕食タイム。


豪勢な夕食。



伊勢えびのお刺身は



後でみそ汁の出汁になりました。



『海が割れるのよ~♪ 道ができるのよ~♪ 島と島とが~つながるの~♪』 天童よしみの歌謡曲『珍島(チンド)物語』(1996年)に歌われているのは、朝鮮半島の南西端にある珍島ですが、西伊豆海岸にも海割れ(トンボロ現象)が起きる島がありました。堂ヶ島にある三四郎島では、大潮の時に砂の道(砂州)が出現して海岸とつながり、歩いて渡れるそうです。
三四郎島という名前は見る方向によって四つの島が三つに見えたりするからです。

この日海割れの起こる時間は午前10時10分頃とのこと。宿のベランダから見ていると、9時頃に三四郎島の中の一番海岸寄りの伝兵衛島(象島)と海岸の間に砂州が出始めました。






宿から20分程歩いて、砂州の付け根の所に行ってみました。海岸のバス道路から急な崖を降りた所です。



10時頃になりましたが、この日は完全には海に道ができないようでした。
それでも、一人の人が向こうの島まで渡っていったのは、長い防水ズボンをはいた漁師の方でしょうか。この辺りの海ではテングサがたくさん獲れるので、海にもぐったりして収穫しているのです。



ちょうど堂ヶ島の海岸付近では、暖かい海岸地方に多いツワブキがたくさん咲いてきれいでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(5)岩科学校

2016-11-14 22:32:31 | 建物(静岡県)
国指定重要文化財「岩科学校」は、1879(明治12)年4月に着工、1880(明治13)年9月に完成した伊豆地域最古の小学校です。


日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古いものとして知られ、旧開智学校とは平成17年に姉妹館提携しています。
この頃松崎の村内では教育振興熱が高く、校舎新築費2630円66銭のうち、四割余りが寄付金で集まりました。



11:43長八美術館前発の西伊豆東海バスで11:49重文岩科学校に着き、3分程歩くと、松崎の町はずれ農村地帯の山際に、白い漆喰の目立つ建物が突然現れてきます。
なまこ壁をいかした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた建物です。






<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人300円【中学生以下無料】

なお、明治商家中瀬邸、伊豆の長八美術館との3館共通入館券は700円で購入することができます。



正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣・三条実美の書です。
庇下の龍の彫刻は入江長八によると言われています。入江長八は、1880(明治13)年 65歳の時にもう一度故郷を訪れ、岩科学校や岩科町役場などで制作作業を行いました。






玄関の上は半円形のバルコニーになっています。



生徒の入口は男女別々で、正面入口の両側の廊下側から入ることになっています。
開校当初の生徒数は、男子89名、女子60名の計149で、6名の男性教員が教えていました。



校長室には校長の人形が。



教室の授業風景。



小使い室。



始業の合図は太鼓で行われました。



教室で昔の教科書や農具、早場繭の資料などが展示されていました。



二階正面のバルコニーを内側から見たところ。



バルコニー室の天井にある漆喰鏝絵のランプ掛けと、



上部壁の鳳凰の鏝絵(作者不詳)。






二階の廊下。


二階和室は裁縫や作法の授業に使われていましたが、四方の長押壁に長八の代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されています。和室では見たこともないような青い壁地の上に、138羽もの鶴が小さな鏝で描かれて部屋をぐるりと取り巻いて舞っています。









脇床の「山水図」と「美人賞蓮の図」も長八の作品です。






鶴の置物も、



この壺も漆喰で作られています。

長年念願だった伊豆の長八の傑作「鶴の間」をやっと見ることができて、大満足。伊豆の農村の子供達でもこんなに美しい建物の学校で勉強できたことはちょっとうらやましい感じがしてしまいました。

「岩科学校」の建物は、1975年国の重要文化財指定の翌月まで幼稚園として利用され、隣に岩科小学校の新しい校舎ができていましたが、少子化の波とともに2007年に廃校となり、「松崎小学校」に統合されてしまいました。



敷地内には1875(明治8)年に建設された岩科商社、のちに岩科村役場として使用された建物が移築復元され、「開花亭」の名称で喫茶・休憩所・お土産品売り場として利用されています。






開花亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものです。







開花亭でお茶を飲んでから、13:26重文岩科学校発のバスで長八美術館前に帰ってきて、松崎の町を再び散策しました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(4)伊豆の長八を訪ねて

2016-11-14 22:31:24 | 建物(静岡県)
西伊豆松崎町は「伊豆の長八」の産まれた町です。
入江長八(1815(文化12)年 ~1889( 明治22)年)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した左官職人の名工です。貧しい農家の長男でしたが、生来の手先の器用さから12歳のとき左官棟梁のもとに弟子入りし、19歳の時江戸へ出て絵を狩野派に学びました。かたわら彫塑の技を修めて左官の業に応用し、漆喰を使って絵を画き彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいてついに長八独特の芸術を完成、「伊豆の長八」として名を馳せました。
松崎の町には長八の作品が多く残されているというので、前から訪ねてみたかった念願がついに叶いました。


浄感寺。浄土真宗本願寺派。
長八の菩提寺でしたが、元禄時代の松崎村大火で焼失してから仮本堂となっていたのを、1845(弘化2)年~1847(弘化4)年に再建されました。この時31歳の長八は、浄感寺塾で学び育てられた恩返しにと、弟子2人を連れて江戸から帰り、再建に尽くし、本堂内陣天井の『八方睨みの竜』と、壁に漆喰細工の天女一対を描きました。(静岡県有形文化財)

現在、浄感寺の本堂は「長八記念館」となっています。
<開館時間> 9:00~16:00(不定休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】

残念ながら、堂内は撮影禁止で長八の作品の画像はありません。


本堂の正面柱、梁、海老虹梁は江戸時代の名人彫刻師石田半兵衛邦秀の透かし彫りが彫られています。
これは一木で彫られた波の中に鯛が泳ぐ彫刻です。



こちらは波の中に亀がいます。









境内にある入江長八のお墓。



長八の像。



長八が使った鏝を集めた展示です。
どれも繊細な細工をするのにふさわしい小ぶりなものです。




次に、すぐ近くの「伊豆の長八美術館」に行きました。
入江長八の仕事を残し、伝統の左官技術のすばらしさも一般の人に知ってもらいたいという思いが、松崎町活性化事業と共鳴して、1984(昭和59)年に建てられました。
館内には入江長八の作品約60点が展示されていて、入口で拡大鏡をもらい、細かい部分まで鑑賞することができます。残念ですが、こちらも館内撮影はNGなので、長八作品をお見せ
できません。

<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】



建物の設計は石山修武氏で、1985(昭和60)年に建築部門の優れた作品を表彰する「吉田五十八賞」を受賞しました。



建築にあたっては、数多くの優能な技術者が全国から集まり、伝統の左官技術が建物や園内全体にちりばめられています。土佐漆喰の技も。



園内に左官技術の継承のために新しく作られたなまこ壁の建物がありました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(3)明治商家中瀬邸

2016-11-14 22:30:02 | 建物(静岡県)
松崎のなまこ壁の家の中でも特別立派な「明治商家中瀬邸」がときわ大橋のたもとにあります。

明治20年、呉服商家を営んでいた依田家はわずか数代のうちに財をなした大地主でした。昭和63年に母屋や土蔵など七棟からなる邸を町が買いとり、総合案内所やジオパークビジターセンターとして活用しています。館内には、当時の呉服商の再現、観光案内、地場産品の販売、喫茶などが設けられています。

<開館時間>9:00~17:00(年中無休)
<入館料金>大人100円、中学生以下無料



正面の蔵は松崎ビジターセンターとして、伊豆半島のジオサイトを展示しており、こちらは無料です。



蔵の入口の扉には鏝絵(こて絵、左官が壁を塗るこてで漆喰の絵を描いたもの)で龍と、


虎が描かれていました。



中瀬邸の前には時計塔がありました。
大正13年昭和天皇のご成婚を記念して青年団により建設され、昭和13年の水害で水没しましたが、昭和62年にまちづくりの一つとして、再建されました。漆喰で作られています。



中瀬邸に入ったところは土間に続くお店の間で、5つ玉のそろばん等当時の呉服商のお店が再現されています。



明治時代の着物も展示してありました。



人力車もあり。



座敷は喫茶コーナーになっていました。



家紋の橘の花模様がかわいい釘隠し。



店の間から繋がっている土蔵の入口です。蔵の扉は黒漆喰で塗られています。



蔵の中の窓にも鏝絵がありました。









蔵を外から見るとこんな感じのなまこ壁です。



中庭。




舟底天井の渡り廊下の先にはギャラリーとアトリエがあり、昔早場繭の産地だった松崎の様子を表す機織り機などが展示されていました。

別の部屋では現代の名工の鏝絵の実演コーナーもありました。



家の裏側の道路に面した所に足湯がありました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(2)松崎の町

2016-11-14 22:28:55 | 遠出(国内)
西伊豆松崎の宿、翌朝の朝食も漁師町らしくお魚たっぷりのごはんでした。


松崎の町はレトロな建物でいっぱいでした。

散髪屋さん。



無料お休み処になっていた家。



その中にあった金庫。
松崎町は俳句が盛んな町らしく、各家の前に俳句の書かれた行燈が立てられていたり、この家も俳句の展示場になっていました。



ときわ大橋。
橋の欄干がなまこ壁になっています。



なまこ壁だらけの家。
なまこ壁とは、平瓦を壁に貼りつけ、目地を漆喰で海の生物なまこのように盛り上げて格子状に塗って仕上げた壁のことです。防火性・保温性・保湿性に優れ、松崎町では今も190棟余り残っていて、補修・新作のできる職人が町の重要資源として保全・啓発活動を続けています。



なまこ壁通りの家。
江戸末期に建てられた薬種商近藤家の家で、明治10年に生まれた近藤平三郎は東京帝国大学薬学主任教授になり、アルカロイドの研究に足跡を残し、文化勲章を受章しました。






松崎町観光協会になっている建物。





観光用だけでなく、普通の家でもなまこ壁の家がそこここにあって、今でもそこで町の人達の生活が普通に営まれていて温かみが感じられる町でした。


お肉屋さんで「川のりコロッケ」を買って、松崎港で海を見ながら食べました。

松崎町のあちこちでドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」のロケがあったそうで、聖地マップも作られていました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年西伊豆の旅(1)堂ヶ島

2016-11-14 22:26:55 | 遠出(国内)
11月中旬に2泊3日で西伊豆に行ってきました。
7:59京都発の「こだま」で三島に10:45に着きました。

車窓から見た富士山は真っ白な雪をかぶっていました。



11:06三島発の伊豆箱根鉄道駿豆線で11:41に修善寺に着きました。






修善寺駅は2014(平成26)年に、建て替えられたばかりの新しい駅でした。


駅構内にある食堂で「しいたけうどん」を食べました。
やはり関東に来るとうどんの汁も黒い醤油味でからいものでした。


13:01修善寺駅前を出る東海バスに乗り、14:16に西伊豆町堂ヶ島に着きました。
バスは修善寺から深い伊豆の山並みの中を走り、やがて伊豆半島の西海岸に出、海沿いを走ります。
後方にちらっと富士山が見える所もありました。



堂ヶ島ではバス停のすぐ前に洞窟めぐり遊覧船の船着き場があります。近くにお土産所を兼ねた「加山雄三ミュージアム」もありました。
15:00発の堂ヶ島クルーズに乗船しました。堂ヶ島のリアス式海岸と島々を巡り、青の洞窟「天窓洞」へ向かうコースで、定員43名の船に約25分の乗船で1700円です。この他に、もっと長く乗っているコースもあります。



西伊豆の海岸は約2千万年前から2百万年前までの海底火山時代の地層が隆起し、海水に削られて様々な変化に富んだ景色が見られるジオサイトです。






海上からかすかに富士山も見られました。写真では写りませんでしたが、右の島の上のほうです。



四つの島からなる三四郎島を見て引き返しました。



洞窟の入口が見えてきました。



「天窓洞」です。




船の縁ぎいりぎりの岩に当たらないように上手に穴に入っていきます。



島の地下が海水が入り込む洞窟になっていて、その真ん中でぽっかり天井に穴が開いていて、差し込んだ光で海水がエメラルド色に輝いています。



天窓を見上げたところです。洞窟への入口は3ヶ所ありますが、船が入れるのは2ヶ所で、遊覧船が中でぶつからないように交代で入っています。
前から一度見てみたかった「天窓洞」をついに目にすることができて感激です。



堂ヶ島から8分間バスに乗って隣の松崎町に移動し、旅館のすぐ近くの松崎港で夕日を見ました。西伊豆は駿河湾に沈む夕日の絶景スポットがたくさんあります。
この日はとてもいいお天気で伊豆の海を堪能することができました。



宿の夕食は、7種類の獲れたて地魚お造りとサザエのつぼ焼きなど海の幸満載のものでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする