国指定重要文化財「岩科学校」は、1879(明治12)年4月に着工、1880(明治13)年9月に完成した伊豆地域最古の小学校です。
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日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古いものとして知られ、旧開智学校とは平成17年に姉妹館提携しています。
この頃松崎の村内では教育振興熱が高く、校舎新築費2630円66銭のうち、四割余りが寄付金で集まりました。
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11:43長八美術館前発の西伊豆東海バスで11:49重文岩科学校に着き、3分程歩くと、松崎の町はずれ農村地帯の山際に、白い漆喰の目立つ建物が突然現れてきます。
なまこ壁をいかした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた建物です。
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<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人300円【中学生以下無料】
なお、明治商家中瀬邸、伊豆の長八美術館との3館共通入館券は700円で購入することができます。
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正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣・三条実美の書です。
庇下の龍の彫刻は入江長八によると言われています。入江長八は、1880(明治13)年 65歳の時にもう一度故郷を訪れ、岩科学校や岩科町役場などで制作作業を行いました。
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玄関の上は半円形のバルコニーになっています。
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生徒の入口は男女別々で、正面入口の両側の廊下側から入ることになっています。
開校当初の生徒数は、男子89名、女子60名の計149で、6名の男性教員が教えていました。
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校長室には校長の人形が。
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教室の授業風景。
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小使い室。
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始業の合図は太鼓で行われました。
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教室で昔の教科書や農具、早場繭の資料などが展示されていました。
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二階正面のバルコニーを内側から見たところ。
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バルコニー室の天井にある漆喰鏝絵のランプ掛けと、
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上部壁の鳳凰の鏝絵(作者不詳)。
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二階の廊下。
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二階和室は裁縫や作法の授業に使われていましたが、四方の長押壁に長八の代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されています。和室では見たこともないような青い壁地の上に、138羽もの鶴が小さな鏝で描かれて部屋をぐるりと取り巻いて舞っています。
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脇床の「山水図」と「美人賞蓮の図」も長八の作品です。
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鶴の置物も、
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この壺も漆喰で作られています。
長年念願だった伊豆の長八の傑作「鶴の間」をやっと見ることができて、大満足。伊豆の農村の子供達でもこんなに美しい建物の学校で勉強できたことはちょっとうらやましい感じがしてしまいました。
「岩科学校」の建物は、1975年国の重要文化財指定の翌月まで幼稚園として利用され、隣に岩科小学校の新しい校舎ができていましたが、少子化の波とともに2007年に廃校となり、「松崎小学校」に統合されてしまいました。
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敷地内には1875(明治8)年に建設された岩科商社、のちに岩科村役場として使用された建物が移築復元され、「開花亭」の名称で喫茶・休憩所・お土産品売り場として利用されています。
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開花亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものです。
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開花亭でお茶を飲んでから、13:26重文岩科学校発のバスで長八美術館前に帰ってきて、松崎の町を再び散策しました。
2016年西伊豆の旅(6)に続く。