ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

「ノリタケの森」の赤レンガ建築

2014-11-09 23:03:06 | 建物(愛知県)
11月初旬に日帰りで名古屋に行ってきました。
しかし、あいにくの雨。名古屋駅近くの「ノリタケの森」だけ見て帰ってきました。


JR名古屋駅から地下鉄東山線で1駅目の亀島駅から歩いて5分です。


入口近くにある建物もレトロな感じです。



噴水ひろばの横に、



赤レンガの建物が並んでいます。

ノリタケの前身、森村組(モリムラブラザーズ)は森村市左衛門と弟・豊(とよ)が1876(明治9)年に東京銀座で輸出業を創業し、瀬戸で作らせた生地に京都や東京で絵付けをした花瓶、飾り皿、飾り壺などの陶磁器製品を輸出していましたが、1904(明治37)年に「日本陶器合名会社」として最初の工場がここ愛知県鷹場村則武に建てられました。
この赤レンガ工場は1975年まで使われていました。









一つの棟の屋上には太陽光発電システムがつけられていました。




煙突ひろば。
1933年に建てられた陶磁器焼成用トンネル窯の跡で、6本の煙突が立っています。






クラフトセンターの1・2階では、軟質磁器ボーンチャイナの製造過程を見たり、絵付け体験をすることができます。また、3・4階はノリタケミュージアムとなっていて、創業当初から第二次世界大戦終戦までに作られた「オールドノリタケ」や、デザイン画の画帖、ノリタケがこれまでに製造してきた数々のディナー皿まで、美しい陶磁器の数々を見ることができます。2015年9月6日までは「乃りたけの和食器」という企画展も開催されています。

他に、製品が買えるショップやレストラン、カフェ、展示ギャラリーなどがあります。


ノリタケミュージアムの展示の中に、昭和の高度経済成長期、頒布会方式で和洋食器をセットで売り出していた頃のディナー皿もあり、「うちにもあったなあ」と懐かしく思い出しました。


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名古屋市「文化のみち」 その他のたてもの

2012-05-06 02:29:48 | 建物(愛知県)
ふたば館周辺の名古屋市東区白壁地区「文化のみち」は、江戸時代は中・下級武士の屋敷が連なっていましたが、明治から昭和の初めにかけては、近代産業の担い手となる起業家、宗教家、ジャーナリストなど様々な人が居住し、印象深い建物がたくさん残され、名古屋の文化と歴史を感じさせる一帯となっています。

その建物のいくつかを紹介。


旧豊田佐助邸
豊田佐助はトヨタ創業者の豊田佐吉の実弟です。
この洋館の左手につながって木造二階建ての和館が建てられています。
1923(大正12)年築。家の中の廊下にガス灯がともされています。
町並み保存地区の伝統的建造物に指定されています。

開館時間 10:00~15:30
休館日:月曜、金曜、年末年始
入館料:無料


カトリック主税町教会礼拝堂。
1904(明治37)年築。名古屋最古の教会です。
町並み保存地区の伝統的建造物/都市景観重要建築物に指定されています。





この一帯では明治半ばには陶磁器の絵付け・加工業者などが集まるようになり、昭和の最盛期には日本で作られた輸出用の陶磁器の7〜8割がこの地域で生産(絵付け加工)されていました。

陶磁器商とし活躍した井元為三郎が、1926(大正15)年に建てた邸宅で、和館、洋館、東西二棟の蔵、茶室、庭園が残されています。
名古屋市指定有形文化財/景観重要建造物/町並み保存地区の伝統的建造物に指定されています。

開館時間 10:00~17:00
休館日:月曜、年末年始
入館料:200円




おまけ。

名古屋市中区大須にあるランの花を中心としたミニテーマパーク「ランの館」。
青い胡蝶蘭が開発されていました。

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貞奴と桃介のロマンスの跡 「文化のみち二葉館 」

2012-05-06 02:28:49 | 建物(愛知県)
中部地方のお屋敷を訪ねる旅、桑名の次は名古屋です。

名古屋城の東側、昔武家屋敷があった一帯にある川上貞奴旧宅「文化のみち二葉館 」を見に行きました。





川上貞奴は「オッペケペー節」で有名な明治の壮士、川上音二郎と結婚、川上一座が興行のため渡ったアメリカ、フランスで 女優「貞奴」として初めて舞台に立ち好評を得ました。
一方、福沢桃介は福沢諭吉の娘婿で養子となり、実業で才能を発揮して財をなしました。木曽川水系の水力発電事業で電力開発を進めました。

川上音二郎の死後女優を引退した貞奴と桃介が事業パートナーとして共に生活したのがこの家で、「二葉御殿」と呼ばれた斬新で豪華な建物でした。

竣工は1920(大正9)年。
設計施工は「あめりか屋」。

創建当時は、文化のみちエリアの北端、東二葉町にありましたが、平成12年に名古屋市に寄贈されてから平成17年にかけて現在の橦木町に移築復元され、公開されています。






ステンドグラスがふんだんに使われています。








木製でも優雅な曲線が作られているらせん階段。




電気が使い始められた時代の模範住宅として建てられたので、階段を照らす灯りにも電気が使われています。



二階にある貞奴が使っていた和室。




水まわりも当時としては斬新なものでした。




家の隅々にまで電気の配線が通されています。
屋根裏に並ぶ碍子の列。



配電盤。



貞奴は桃介と度々訪れた各務原市鵜沼の地に成田山貞照寺を建立し、死後はそこに葬られています。お寺には桃介との出会いと思い出の場面が描かれて掲げられているそうです。




名古屋市東区橦木町三丁目23番地
開館時間:午前10時~午後5時 
休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日) 12月29日~1月3日
入館料:200円

館内には川上貞奴、福沢桃介の紹介の他、愛知県ゆかりの文学資料も展示されています。
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2011年3月博物館明治村 もくじ

2011-03-21 01:49:11 | 建物(愛知県)
3月19日に愛知県犬山市にある博物館明治村に行って来ました。













 


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博物館明治村(14)司法・警察・軍関係

2011-03-21 01:47:44 | 建物(愛知県)

宮津裁判所法廷。(登録有形文化財)

 旧所在地:京都府宮津市本町
 建設年:1886(明治19)年
 解体年:1969(昭和44)年
 移築年:1977(昭和52)年

裁判の様子が人形を使って現わされています。高い壇上に裁判官と検事、書記が座り、弁護士、被告人は下段にいます。




金沢監獄正門。(登録有形文化財)

 旧所在地:金沢市小立野
 建設年:1907(明治40)年
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1977(昭和52)年

明治5年「監獄則 並図式」が公布され、近代的な監獄制度と放射型監獄舎房の規範が示されました。金沢監獄は周りを高いレンガ塀で囲われ、西面に向けてこの門が開けられています。レンガ造に白い石で装飾を入れ、いかめしいながらも明治建築の特徴をよく表わしている門です。



金沢監獄中央看守所・監房。(登録有形文化財)

 旧所在地:金沢市小立野
 建設年:1907(明治40)年
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1972(昭和47)年

八角形の建物が中央看守所。そこを中心にして、放射状に五つの舎房が配置されていましたが、明治村には左側の舎房一棟のみが移築されています。



舎房側から見たところ。


中央看守所の内部。八角形全周ガラス張りの看視室が中央にあり、ここから全ての舎房の廊下が一目で見渡せるようになっています。


舎房の廊下の両側に独居房が並んでいて、

その中の一部屋に入って、明治の監獄体験をすることができるようになっています。
一度囚人体験をしてみませんか。


この他に、前橋監獄雑居房(明治21年)もありましたが、そちらは江戸時代の牢そのままという感じで、吹きさらしの、牢名主がいそうな感じの獄舎でしたので、こちらの独居房の方がはるかに近代的になったということがわかりました。




東京駅警備巡査派出所。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都千代田区丸の内
 建設年:1914(大正3)年
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1972(昭和47)年

明治41年、それまで品川を起点としていた東海道線を皇居正面の丸の内まで延長することになり、東京駅が辰野金吾の設計で作られ、大正3年に完成しました。その時、駅前広場の整備が行われ、この派出所も作られています。
鉄筋コンクリート造りに化粧レンガを貼る構造で、駅本体とデザインを合わせた設計になっています。



歩兵第六聯隊兵舎。(登録有形文化財)

 旧所在地:名古屋市中区二の丸
 建設年:1873(明治6)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1965(昭和40)年

名古屋城内に置かれた歩兵第六聯隊の兵舎で、江戸幕府から明治政府に引き継がれたフランス式の兵舎となっています。戦後は昭和23年から38年まで名古屋大学が使用していましたが、明治村に移築後は元の兵舎の姿に復元されています。



近衛局本部附属舎。(登録有形文化財)
  
 旧所在地:東京都千代田区千代田
 建設年:1888(明治21)年
 解体年:1967(昭和42)年
 移築年:1977(昭和52)年

  皇居坂下門内に皇宮警察の庁舎の一部として建てられましたが、近衛局、皇宮警察本部と変わり、坂下護衛所として昭和42年まで使用されていました。
  木造平屋建瓦葺、漆喰壁塗りで、アーチの廊下壁が軽快な感じのする建物です。




この他に、移民関係の建物(ハワイ移民集会所、ブラジル移民住宅、シアトル日系福音教会)や京都市電や蒸気機関車などもありましたが、明治村の記事はこれで終わりとします。



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博物館明治村(13)乗り物・交通関係

2011-03-21 01:46:41 | 建物(愛知県)

鉄道寮新橋工場。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都品川区大井町 日本国有鉄道大井工場
 建設年:1872(明治5)年
 解体年:1967(昭和42)年
 移築年:1968(昭和43)年

明治5年に開業した新橋ステーションにあった機関車修復所です。全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設されました。


明治村では、広い内部を明治の機械類の展示場として使っています。
これは紡績の機械。





鉄道局新橋工場。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都品川区大井町 日本国有鉄道大井工場
 建設年:1889(明治22)年
 解体年:1966(昭和41)年
 移築年:1966(昭和41)年

先の鉄道寮新橋工場と違って、鋳鉄柱、小屋組鉄トラス、鉄製下見板、サッシ等を組み立てて作られた国産の鉄製工場の初期の例です。


その工場の中にあるのは、

明治天皇と昭憲皇太后の御料車です。(いずれも鉄道記念物)


明治天皇御料車(6号御料車)は1910(明治43)年、昭憲皇太后御料車(5号御料車)は1902(明治35)年の製造、いずれも超豪華な装飾を施された車内が前にテレビで映されていましたが、ここでは中には入れなくて窓の外からちょこっと覗き見するしかありませんでした。




名鉄岩倉変電所。(登録有形文化財)

 旧所在地:愛知県岩倉市下本町
 建設年:1912(明治45)年
 解体年:1974(昭和49)年
 移築年:1975(昭和50)年

大正元年に開業した名鉄犬山線、一宮線の動力供給用として建設されました。
レンガ造、天然スレート葺きです。




六郷川鉄橋。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都蒲田、神奈川県川崎間の六郷川(多摩川の下流)
 建設年:1877(明治10)年
 解体年:1965(昭和40)年
 移築年:1988(昭和63)年

日本最初の複線鉄道用鉄製の橋です。お雇い英国人技士ボイルの設計になります。
全長500m三連のうち、一連のみが保存されています。


橋の上右手には、尾西鉄道蒸気機関車1号が停まっています。
明治30年製造の機関車で、尾西鉄道、名古屋鉄道、日本曹達株式会社内の工場専用車として働いた車です。




隅田川新大橋。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京中央区浜町から江東区深川
 建設年:1912(明治45)年
 解体年:1974(昭和49)年
 移築年:1975(昭和50)年

全長173mのうち、23m分だけが残されています。隅田川に架かる五大橋のうち、関東大震災の時に唯一落ちなかった橋です。この上を市電も走っていました。
国産鉄材の生産はまだ少なかったため、鉄材はすべてアメリカカーネギー社のものを使っています。






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博物館明治村(12)工場建築等

2011-03-21 01:45:38 | 建物(愛知県)
菊の世酒蔵。(登録有形文化財)

 旧所在地:愛知県刈谷市銀座
 建設年:1868(明治初)年頃
 解体年:1969(昭和44)年
 移築年:1983(昭和58)年

元は愛知県碧南市に明治初年に穀物蔵として建てられたものを、明治28年に刈谷市に移され、菊の世広瀬酒造の仕込み蔵として使われることになりました。

ちょっと高台にあったので、近くまで行けず、遠くから眺めただけでした。






工部省品川硝子製造所。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都品川区北品川
 建設年:1877(明治10)年
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1969(昭和44)年
 
 明治6年イギリス人技術者を雇い入れて品川興業社硝子製造所が開設され、明治9年工部省がこれを買い上げて官営の工場としました。壁はレンガ造イギリス積み、屋根は瓦葺きです。
イギリスのガラス工の指導の下、食器など日用ガラス器の製造をしていました。明治18年民間に払い下げになりました。

明治村では1階はガラス製品などのお土産売り場とバーレストラン、2階は展示場になっています。

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博物館明治村(11)住宅等

2011-03-21 01:44:43 | 建物(愛知県)

西郷従道(つぐみち)邸。(重要文化財)
 
 旧所在地:東京都目黒区上目黒
 建設年:1877(明治10)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1964(昭和39)年
 設計者:フランス人技師レスカス

木造2階建て銅板葺き。廻り階段、半円形に張り出したベランダのデザインが斬新、耐震性を高める工夫もなされています。室内の部品はほとんど舶来品で、日本人が真似たものではない、純洋風建築です。

 

西郷隆盛の弟従道は明治政府の要人であり、「西郷山」と言われる広大な敷地の中に接客用として建てた洋館。 
明治村トップテン第2位(と勝手にvivasanが認定した)の建物ですが、個人の住居というよりは社交のための公的な建物だったといえそうです。


内部も見てみたかったのですが、解説の時間に間に合わず、中に入ることができなかったのが残念です。解説の時間に間に合った人達が内部を見学しています。




神戸山手西洋人住居。(登録有形文化財)

 旧所在地:神戸市生田区山本通
 建設年:1887(明治20)年代
 解体年:1966(昭和41)年
 移築年:1969(昭和44)年
 
当初は外国人のものでしたが、明治29年には日本人増田周助の所有となっています。
主屋の後ろ側に付属屋が建てられ、付属屋の2階は和室で、主屋の2階から渡り廊下で行き来するようになっています。

開港以来西洋との貿易港となった神戸のお洒落な洋館の一つです。



西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」。(登録有形文化財)

 旧所在地:静岡県清水市興津清見寺町
 建設年:1920(大正9)年
 解体年:1970(昭和45)年
 移築年:1971(昭和46)年

明治の元老、西園寺公望が政治の一線を退いた後、清水港の近くに建てた別荘ですが、実際には晩年もここから日本の政治に深く関わっていたものと思われます。
 木造桟瓦葺き、軒先に軽い銅板を廻らせた純和風の建物ですが、昭和初期になって洋間、洋式トイレ等が増設されています。
建物前面に純和風の庭園も作られています。
「坐漁荘」という名前は太公望の故事にならって、何もせずのんびり座って魚を釣って暮らすという意味でつけられています。



これは前にも触れた芝川又右衛門邸。

 旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目
 建築年:1911(明治44)年
 解体年:1995(平成7)年
 移築年:2007(平成19)年
 設計者:武田五一


詳しくは前の文参照で。



住宅建築としては、他にも「学習院長官舎」「森鴎外・夏目漱石住宅」「幸田露伴住宅蝸牛庵」「茶室亦楽庵(えきらくあん)」「長崎居留地二十五番館」がありましたが、省略します。

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博物館明治村(10)商業建築など

2011-03-21 01:43:11 | 建物(愛知県)


呉服(くれは)座。(重要文化財)

 旧所在地:大阪府池田市西本町
 建設年:1892(明治25)年
 解体年:1969(昭和44)年
 移築年:1971(昭和46)年

江戸時代の伝統建築の名残を留める芝居小屋ですが、地方巡業の歌舞伎をはじめ、新派、落語、浪曲、講談、漫才、壮士芝居等様々な娯楽が演じられるとともに、尾崎行雄や幸徳秋水等が立憲政治や社会主義の演説会も開催していました。

残念ながら修理中のため、屋根に覆いがかぶせられていました。


呉服座の内部は枡席、桟敷、花道、奈落、廻り舞台等、伝統的な芝居小屋の設備が整っています。



小泉八雲避暑の家(右)と本郷喜之床(左)。(いずれも登録有形文化財)

小泉八雲避暑の家
 旧所在地:静岡県焼津市城之越
 建設年:1868(明治初)年頃
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1971(昭和46)年
 小泉八雲は島根松江で結婚、帰化した後、帝国大学に招聘されて東京に移りました。
 東京に住むようになってからは、毎年夏には焼津で過ごすようになり、身を寄せていたのが、魚屋山口乙吉のこの家でした。
明治村では駄菓子屋として使われていました。

 
本郷喜之床(きのとこ)
 旧所在地:東京都文京区本郷
 建設年:1910(明治末)年頃
 解体年:1978(昭和53)年
 移築年:1980(昭和55)年
 本郷にあった理髪店で、明治42年から2階の2間を石川啄木が間借りして、母、妻、長女とともに暮らしていました。
1階には当時の理髪店の姿が復元されています。


明治初年と末年の民家を比較してみると、2階の屋根の高さの違いがよくわかります。



半田東湯(あずまゆ)。(登録有形文化財)
 
 旧所在地:愛知県半田市亀崎町
 建設年:1910(明治末)年頃
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1980(昭和55)年

 外観の写真はありませんが、喜之床と同じような木造2階建瓦葺きの家です。
 港町のこじんまりとした銭湯で、表から覗いたところですが、手前右が番台、真ん中が脱衣場、一番奥が浴室です。




手前から、東松家住宅、京都中井酒造、安田銀行会津支店、札幌電話交換局。

東松家(とうまつけ)住宅。(重要文化財)
 旧所在地:名古屋市中村区舟入町
 建設年:1901(明治34)年
 解体年:1962(昭和37)年
 移築年:1965(昭和40)年
 名古屋の中心部にあった商家。油問屋から始まって、堀川貯蓄銀行を営んでいました。
 木造3階建て、2階には吹抜けに面して茶室もある、堂々とした町家です。


京都中井酒造。(登録有形文化財)
 旧所在地:京都市中京区御幸町通二条
 建設年:1870(明治3)年
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1993(平成5)年
 蛤御門の変で焼失した後再建された蔵元です。屋根にゆるいカーブがつけられている「むくり」、虫籠窓、酒屋格子など、京都の町家の特徴が見られます。
1階奥の土間で洗米、米蒸し、地下室で麹作りが行われ、仕込み、貯蔵などは別棟で行われていました。
明治村ではお抹茶がいただけるお休み処になっています。



安田銀行会津支店。(登録有形文化財)
 旧所在地:福島県会津若松市大町
 建設年:1907(明治40)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1965(昭和40)年
 東北地方に展開していた安田銀行の会津支店が明治23年に設けられ、明治40年にこの建物が建設されました。
伝統的な土蔵造を元にしていますが、要所には洋風のデザインを取り入れており、ナマコ壁の土蔵風建物の中に入ると、カウンターと吹き抜けの広いロビーがある銀行事務室になっています。
ちょっと写真が小さくて見えないとは思いますが。

 


大井牛肉店。(登録有形文化財)

 旧所在地:神戸市生田区元町
 建設年:1887(明治20)年頃
 解体年:1966(昭和41)年
 移築年:1968(昭和43)年

岸田伊之助が明治20年頃に外国人相手に牛肉の販売と牛鍋の店として建てました。
西洋古典様式の柱と半円アーチの窓を持つ洋風の中に、日本古来のデザインを取り入れ、木造白漆喰桟瓦葺きの造りになっています。
1階は牛肉の販売場所、2階には板敷きの部屋が4つあり、牛鍋を供していました。

明治村では実際に牛鍋(すき焼き)を食べれるレストランになっています。


高田小熊(たかだおぐま)写真館。(登録有形文化財)

 旧所在地:新潟県上越市本町
 建設年:1908(明治41)年頃
 解体年:1981(昭和56)年
 移築年:1982(昭和57)年

越後高田は明治41年に陸軍第十三師団が仙台から移転し、軍を中心とした街になりました。新潟柏崎出身の小熊和助は東京で修業した後、この年に洋風木造のこの建物を高田に建てて、写真館として開業しました。
その後、時代を経て増築や改装が加えられましたが、現在は小熊写真館の最も華やかな時代の昭和初期の姿に復元されています。



川崎銀行本店。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都中央区日本橋
 建設年:1927(昭和2)年頃
 解体年:1987(昭和62)年
 移築年:1990(平成2)年
 設計者:矢部又吉

鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38m、高さ約20mの建物の、移築されたのは左端のごく一部分のみです。
全く、これだけポツンと残されていてもどこの廃墟かとどきりとするだけで、元の建物の全体像もつかめず、移築保存の役割が果たせていません。しかも、建物の切り方が残酷で、なんで斜め切りになっているんだろう。せっかく移築するのならもう少し完全な形で残してほしいものです。

川崎銀行は江戸時代、水戸藩の勘定方をつとめた川崎八右衛門が明治13年に設立した銀行で、その後川崎第百銀行、第百銀行と改称した後、昭和18年に三菱銀行と合併しました。
日本橋にあったこの建物が建て替えられる時に、正面玄関や柱のキャピトル部分が保存再利用されて、日本信託銀行ビルに生かされています。

明治村では、この建物は展望台として、3階まで階段を上がって広く見渡せるようになっています。



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博物館明治村(9)医療施設

2011-03-21 01:41:58 | 建物(愛知県)

日本赤十字社中央病院病棟。(登録有形文化財)
(右側の建物。奥は歩兵第六聯隊兵舎)

 
 旧所在地:東京都渋谷区広尾
 建築年:1890(明治23)年
 解体年:1973(昭和48)年
 移築年:1974(昭和49)年
 設計者:片山東熊

赤坂離宮、国立京都博物館等を設計した「熊さん」の設計ですが、これは病院らしく質素で落ち着いた建物です。

元は中庭を挟んでたくさんの病棟が繋がっていましたが、その中の一棟だけが移築されています。

木造下見板張り、瓦葺、ハーフティンバーのデザインで北側の窓が広く光を取り入れるように作られ、屋根の上の換気塔がかわいい感じを出しています。


廊下にあったのは、桐、竹、鳳凰が浮き彫りにされたもので、元は病院本館の破風に飾られていたものです。これは「熊さん」らしい。



北里研究所本館・医学館。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都港区白金
 建築年:1915(大正4)年
 解体年:1979(昭和54)年
 移築年:1980(昭和55)年
 
日本の細菌学の先駆者、北里柴三郎が建てた研究所の本館で、元は左にL字形に伸びていたものを一部除いて移築したものです。

顕微鏡観察のために部屋は北側に、廊下を南側に配置しています。
正面塔屋のデザインがすごく変わっていて印象的です。




医療関係施設はこの他にも、名古屋衛戌(えいじゅ)病院(1878年)(愛知県有形文化財)、清水医院(長野県須原、明治30年代)(登録有形文化財)がありましたが、パススルーです。


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博物館明治村(8)教会

2011-03-21 01:40:48 | 建物(愛知県)
明治村教会建築のトップは何と言っても、


聖ザビエル天主堂。(登録有形文化財)

 旧所在地;京都市中京区河原町通三条上ル
 建築年:1890(明治23)年
 解体年:1967(昭和42)年
 移築年:1973(昭和48)年

フランシスコ・ザビエルを記念して、かつてザビエルが布教していた京都の地に、フランス人ビリオン神父の監督のもと、日本人の手によって建てられました。
ゴシック様式、外周はレンガ造り、内部は木造、漆喰塗り、ステンドグラスは色ガラスに模様を描いたものです。



薔薇窓。



何故にこの美しい建物を京都河原町通りに残せなかったのでしょう(涙涙)。





次は聖ヨハネ教会堂。(重要文化財)

 旧所在地;京都市下京区河原町通五条下ル
 建築年:1907(明治40)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1964(昭和39)年
 設計者:ガーディナー

プロテスタントの一派聖公会の教会で2階が会堂、1階は日曜学校や幼稚園に使われていました。

中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に細部にゴシックのデザインを交えています。


京都の気候に合わせて天井には竹の簀が使われています。





もう一つは、大明寺聖パウロ教会堂。(登録有形文化財)

 旧所在地;長崎県西彼杵郡伊王町
 建築年:1879(明治12)年
 解体年:1975(昭和50)年
 移築年:1994(平成6)年

フランス人宣教師ブレル牧師の指導のもと、地元伊王島の大渡伊勢吉によって建てられました。キリスト教が解禁になってから初期の段階に建てられた教会建築の姿です。


外観は和風の農家のようなのに、内部は「コウモリ天井」のちゃんとした教会堂になっています。



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博物館明治村(7)教育施設

2011-03-21 01:39:21 | 建物(愛知県)
明治村の中の教育関連施設です。


三重県尋常師範学校・蔵持小学校。(登録有形文化財)

 旧所在地:三重県名張市蔵持
 建設年:1888(明治21)年
 解体年:1972(昭和47)年
 移設年:1973(昭和48)年
 設計者:清水義八

明治21年に尋常師範学校本館として建てられましたが、昭和3年に本館の改築に伴い、名張市の蔵持村に売却・移築され、小学校となりました。
三重県庁舎と同じ清水義八の設計ですが、こちらの方が約10年後の建築です。県庁舎と同じような中央に玄関を持つ左右対称の建物でしたが、明治村に移築する時に中央玄関と右の2教室だけが残されました。
玄関部分が漆喰の白壁、教室部分は下見板張りです。
玄関車寄の柱はトスカナ様式、2階のベランダなど、素敵な小学校です。

今は内部に明治時代からの学校関係資料が展示されています。


千早赤阪小学校講堂。(登録有形文化財)

 旧所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村
 建設年:1897(明治30)年
 解体年:1970(昭和45)年
 移設年:1976(昭和51)年

元は大阪市北区の堀川尋常小学校にありましたが、昭和4年に校舎の新築に際し、千早赤阪小学校に移築されました。

木造2階建桟瓦寄棟造で1階は雨天体操場、2階は講堂になっていて、奉安殿があります。
残念なことに1階は明治村の展示物でほとんど占領されていて建物が見えず、2階は公開されていなかったので、建物内部の原形を確認することができませんでした。



第八高等学校正門。(登録有形文化財)

 旧所在地:名古屋市瑞穂区瑞穂町
 建設年:1909(明治42)年
 解体年:1968(昭和43)年
 移設年:1970(昭和45)年

赤いレンガと白い花崗岩の配列は明治の建築によく見られます。

今は明治村の正門になっています。



この他にも、第四高等学校物理化学教室、第四高等学校武術道場「無声堂」、東京盲学校車寄、宗教大学車寄などの教育施設がありましたが、写真は撮れませんでした。
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博物館明治村(6)通信施設

2011-03-21 01:37:50 | 建物(愛知県)
明治村の中にある通信関係の施設です。
重要文化財だらけどっせ



先にもご紹介した宇治山田郵便局舎。(重要文化財)

 旧所在地:三重県伊勢市岩淵町
 建設年:1909(明治42)年
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1969(昭和44)年
 設計者:白石圓治

木造平屋建銅板葺、外壁は漆喰壁と下見板張の使い分けでハーフティンバー様式になっています。

明治3年から整備された郵便事業の施設として、各地に郵便役所(郵便局)が作られていきました。伊勢の宇治山田にも明治5年には開業し、転々としたあと、伊勢神宮外宮前にこの建物が新築されました。
中央に円錐形のドームを持つ斬新な形式で、当時は郵便局が文明開化のシンボルとなっていたのでしょう。
おされやな~


正面入口から入った所は、郵便局のお客さん用の円形のホール(公衆溜り)になっていて、その周りはカウンターになっています。


ホールの外側の事務室側から見たところ。今は歴代の郵便ポストや郵便の歴史関係の資料が展示されています。




品川燈台。(重要文化財)

 旧所在地:東京都港区品川第二台場
 建設年:1870(明治3)年
 解体年:1957(昭和32)年
 移築年:1964(昭和39)年
 建設者:フランス人燈台技手フロラン

江戸幕府と続いて明治政府は外国との通商条約によって、開港した港に燈台や航路標識を設置することを義務付けられ、東京湾沿岸にも4つの燈台が作られました。この燈台はその一つで、品川沖の人工島第二台場に建てられ、石油による明りがともされました。現存最古の洋式燈台となっています。当初はレンガ造りでしたが、明治村に移築する際に、建築基準法の関係でコンクリート造りに変えられています。



菅島燈台附属官舎。(重要文化財)

 旧所在地:三重県鳥羽市菅島町
 建設年:1873(明治6)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1964(昭和39)年
 建設者:イギリス人技術者ブラントン

伊勢湾の入口菅島に建てられた菅島燈台の管理人のための家。明治初期の燈台の管理は外国人によっていたので、その官舎もレンガ造りになっていました。この建物はレンガの壁の上に木造の小屋を載せ、桟瓦を葺いています。レンガや瓦は地元で作られたものが使われています。


品川燈台と菅島燈台附属官舎の遠景。
向こうは入鹿池。




札幌電話交換局。(重要文化財)

 旧所在地:札幌市大通西2丁目
 建設年:1898(明治31)年
 解体年:1962(昭和37)年
 移築年:1965(昭和40)年

電話事業も明治政府はいち早く整備に取り組み、明治23年に東京と横浜間で電話交換業務を開始、その後徐々に全国に普及していきました。この札幌電話交換局も明治32年から交換事業を開始しています。

外部の壁は厚い石で囲われていますが、内部は木造、屋根は桟瓦で葺かれています。
1階と2階の間には大きな円形の花の紋が彫られた胴蛇腹があり、石造りのいかめしい建物の雰囲気を少し和らげています。




コメント (4)
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博物館明治村(5)官公庁施設

2011-03-21 01:36:00 | 建物(愛知県)
明治の初年、文明開化の先駆けとなった建物はお役所など官公庁の建物でした。


↑↓三重県庁舎。(重要文化財)
   旧所在地:三重県津市栄町
   建設年:1879(明治12)年
   解体年:1964(昭和39)年
   移築年:1966(昭和41)年
   木造漆喰塗り桟瓦葺、間口54mに及ぶ大きな建物で、正面中央の玄関を軸に左右対称になっている当時の官庁建築の典型的な姿をしています。
   設計は地元の大工、清水義八を中心に進められ、義八は三重県内の多くの洋風建築を手がけました。




東山梨 郡役所。(重要文化財)
  旧所在地:山梨市小原西
  建設年:1885(明治18)年
  解体年:1964(昭和39)年
  移築年:1965(昭和40)年
  木造桟瓦葺、正面二階にバルコニーを廻らせる左右対称の建物は三重県庁と同じ官庁建築の様式です。この建物も地元の職人が手がけ、伝統技法を駆使して洋風の意匠をこらしています。





内閣文庫。(登録有形文化財)
  旧所在地:東京都千代田区千代田
  建設年:1911(明治44)年
  解体年:1984-1985(昭和59-60)年
  移築年:1990(平成2)年
  設計者:大熊喜邦
  江戸幕府の紅葉山文庫本、昌平坂学問所本をはじめ、和漢書籍、記録などを集めて赤坂離宮内に太政官文庫とし、その後内閣文庫となり、昭和46年からは国立公文書館に引き継がれました。
  この建物は皇居大手門内に明治44年に新築された内閣文庫庁舎のうちの本館・事務棟です。元はこの後ろ側に書庫棟がありました。本格的なルネサンス様式のレンガ、石造建築で、古代ギリシャ・ローマの神殿建築を思わせます。


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博物館明治村(4)芝川又右衛門邸

2011-03-21 01:34:21 | 建物(愛知県)
明治村に一番最近移築された建物、芝川又右衛門邸です。(登録有形文化財)




旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目
建築年:1911(明治44)年
解体年:1995(平成7)年
移築年:2007(平成19)年
設計者:武田五一


大阪の豪商、芝川又右衛門の別荘として建てられ、日本の郊外住宅のさきがけとなるものです。
又右衛門は果樹園「甲東園」を開き、別荘としてこの建物を建て、日本庭園や茶室を整え、関西財界人との交友の場としました。
阪急今津線のこの近くには駅がなかったため、又右衛門は駅の設置費用と周辺の土地1万坪を阪急に提供し、駅ができるとともに、後にこの周辺の宅地開発の端緒となりました。
「洋館」の依頼を受けた武田五一は、ヨーロッパのグラスゴー派やゼツェッシェンと数奇屋など日本建築の伝統を融合したこの建物を建てました。
その後、何度か増改築が加えられ、当初は杉皮張りだった外壁は、関東大震災後に耐火を意識してスパニッシュ風に変更されました。
阪神・淡路大震災の際に被害を受け、明治村に移築されました。





1階ホール。床はリノリウムですが、壁は聚楽壁、天井は網代と葦簾を市松状に用いた和風です。


2階和室。


2階から屋根裏に上がる階段室の天井も網代で、壁も手のこんだ金色の塗り壁です。


1階洋室の暖炉。


2階和室の襖の中にも暖炉があります。
坊っちゃん風の男子と牛すき屋の仲居さん風の女の人が建物案内をしてくれましたが、ちょっと違うんじゃないか(時代が)と思いました。


2階の部屋外廻り縁にあったハート・マーク。武田五一はハート・マークがお好きだったようです。


武田五一デザインの照明台。


1階窓のステンドグラス。



武田五一は終生この建築と深い関わりを持ち続け、増改築の際にも図面や家具の設計図を残しています。
和の中に洋の意匠を取り込んで、日本人でもなじみやすい洋館となっている明治末から大正期の住宅建築です。


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