呉服(くれは)座。(重要文化財)
旧所在地:大阪府池田市西本町
建設年:1892(明治25)年
解体年:1969(昭和44)年
移築年:1971(昭和46)年
江戸時代の伝統建築の名残を留める芝居小屋ですが、地方巡業の歌舞伎をはじめ、新派、落語、浪曲、講談、漫才、壮士芝居等様々な娯楽が演じられるとともに、尾崎行雄や幸徳秋水等が立憲政治や社会主義の演説会も開催していました。
残念ながら修理中のため、屋根に覆いがかぶせられていました。
呉服座の内部は枡席、桟敷、花道、奈落、廻り舞台等、伝統的な芝居小屋の設備が整っています。
小泉八雲避暑の家(右)と本郷喜之床(左)。(いずれも登録有形文化財)
小泉八雲避暑の家
旧所在地:静岡県焼津市城之越
建設年:1868(明治初)年頃
解体年:1968(昭和43)年
移築年:1971(昭和46)年
小泉八雲は島根松江で結婚、帰化した後、帝国大学に招聘されて東京に移りました。
東京に住むようになってからは、毎年夏には焼津で過ごすようになり、身を寄せていたのが、魚屋山口乙吉のこの家でした。
明治村では駄菓子屋として使われていました。
本郷喜之床(きのとこ)
旧所在地:東京都文京区本郷
建設年:1910(明治末)年頃
解体年:1978(昭和53)年
移築年:1980(昭和55)年
本郷にあった理髪店で、明治42年から2階の2間を石川啄木が間借りして、母、妻、長女とともに暮らしていました。
1階には当時の理髪店の姿が復元されています。
明治初年と末年の民家を比較してみると、2階の屋根の高さの違いがよくわかります。
半田東湯(あずまゆ)。(登録有形文化財)
旧所在地:愛知県半田市亀崎町
建設年:1910(明治末)年頃
解体年:1971(昭和46)年
移築年:1980(昭和55)年
外観の写真はありませんが、喜之床と同じような木造2階建瓦葺きの家です。
港町のこじんまりとした銭湯で、表から覗いたところですが、手前右が番台、真ん中が脱衣場、一番奥が浴室です。
手前から、東松家住宅、京都中井酒造、安田銀行会津支店、札幌電話交換局。
東松家(とうまつけ)住宅。(重要文化財)
旧所在地:名古屋市中村区舟入町
建設年:1901(明治34)年
解体年:1962(昭和37)年
移築年:1965(昭和40)年
名古屋の中心部にあった商家。油問屋から始まって、堀川貯蓄銀行を営んでいました。
木造3階建て、2階には吹抜けに面して茶室もある、堂々とした町家です。
京都中井酒造。(登録有形文化財)
旧所在地:京都市中京区御幸町通二条
建設年:1870(明治3)年
解体年:1971(昭和46)年
移築年:1993(平成5)年
蛤御門の変で焼失した後再建された蔵元です。屋根にゆるいカーブがつけられている「むくり」、虫籠窓、酒屋格子など、京都の町家の特徴が見られます。
1階奥の土間で洗米、米蒸し、地下室で麹作りが行われ、仕込み、貯蔵などは別棟で行われていました。
明治村ではお抹茶がいただけるお休み処になっています。
安田銀行会津支店。(登録有形文化財)
旧所在地:福島県会津若松市大町
建設年:1907(明治40)年
解体年:1963(昭和38)年
移築年:1965(昭和40)年
東北地方に展開していた安田銀行の会津支店が明治23年に設けられ、明治40年にこの建物が建設されました。
伝統的な土蔵造を元にしていますが、要所には洋風のデザインを取り入れており、ナマコ壁の土蔵風建物の中に入ると、カウンターと吹き抜けの広いロビーがある銀行事務室になっています。
ちょっと写真が小さくて見えないとは思いますが。
大井牛肉店。(登録有形文化財)
旧所在地:神戸市生田区元町
建設年:1887(明治20)年頃
解体年:1966(昭和41)年
移築年:1968(昭和43)年
岸田伊之助が明治20年頃に外国人相手に牛肉の販売と牛鍋の店として建てました。
西洋古典様式の柱と半円アーチの窓を持つ洋風の中に、日本古来のデザインを取り入れ、木造白漆喰桟瓦葺きの造りになっています。
1階は牛肉の販売場所、2階には板敷きの部屋が4つあり、牛鍋を供していました。
明治村では実際に牛鍋(すき焼き)を食べれるレストランになっています。
高田小熊(たかだおぐま)写真館。(登録有形文化財)
旧所在地:新潟県上越市本町
建設年:1908(明治41)年頃
解体年:1981(昭和56)年
移築年:1982(昭和57)年
越後高田は明治41年に陸軍第十三師団が仙台から移転し、軍を中心とした街になりました。新潟柏崎出身の小熊和助は東京で修業した後、この年に洋風木造のこの建物を高田に建てて、写真館として開業しました。
その後、時代を経て増築や改装が加えられましたが、現在は小熊写真館の最も華やかな時代の昭和初期の姿に復元されています。
川崎銀行本店。(登録有形文化財)
旧所在地:東京都中央区日本橋
建設年:1927(昭和2)年頃
解体年:1987(昭和62)年
移築年:1990(平成2)年
設計者:矢部又吉
鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38m、高さ約20mの建物の、移築されたのは左端のごく一部分のみです。
全く、これだけポツンと残されていてもどこの廃墟かとどきりとするだけで、元の建物の全体像もつかめず、移築保存の役割が果たせていません。しかも、建物の切り方が残酷で、なんで斜め切りになっているんだろう。せっかく移築するのならもう少し完全な形で残してほしいものです。
川崎銀行は江戸時代、水戸藩の勘定方をつとめた川崎八右衛門が明治13年に設立した銀行で、その後川崎第百銀行、第百銀行と改称した後、昭和18年に三菱銀行と合併しました。
日本橋にあったこの建物が建て替えられる時に、正面玄関や柱のキャピトル部分が保存再利用されて、日本信託銀行ビルに生かされています。
明治村では、この建物は展望台として、3階まで階段を上がって広く見渡せるようになっています。