鞆の浦の港のすぐ側にある太田家住宅(旧保命酒屋)を見学しました。
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港に繋がる細い道に面しており、道の東側の別邸(太田家住宅朝宗亭)とともに重要文化財に指定されています。
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保命酒の生産・販売をしていたので、正面に杉玉がかかっています。
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裏の通り側の外壁は独特な模様のなまこ壁になっていました。
太田家住宅は、敷地の四方を道路で囲まれた中に、主屋と保命酒醸造蔵など9棟があり、主屋は18世紀中期、炊事場・蔵・釜屋などが18世紀後期から19世紀前期にかけて建造されています。
江戸時代中期から後期にかけて、保命酒屋中村家によって家屋敷を購入しながら拡張・増築されてほぼ現在の規模になり、明治期に廻船業を営んでいた太田家が受け継ぎました。
1996年から2001年にかけて保存修理され、江戸時代末期から明治時代初期の姿に復元されています。
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入口門をくぐって店土間に入り、内側から見たところ。右側のしも店が事務室・受付となっていて、左側に畳の店の間、玄関の間、座敷へと続いています。
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13室もある座敷と茶室。
長州藩など西国大名が参勤交代の時に宿所とし、「海の本陣」としての格式を備えていました。
幕末になって、尊王攘夷派の三條実美ほか7人の公卿が1863(文久3)年8月18日の政変で都を追われ、鞆の津に寄り、長州に向かいましたが、翌年(元治元年)7月18日から20日に上京の途中に中村家でくつろぎました。公卿たちは保命酒でもてなされ、三條実美は保命酒を讃える歌を詠んでいます。公卿たちは20日に鞆の津を出て、多度津に入港した時、蛤御門の変を知り、急遽鞆の津に集結し、再び長州へと下っていったのです。
太田家住宅は「鞆七卿落遺跡」として、県の史跡となっています。
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鶴の釘隠し。
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襖の中に箱階段が隠れていました。
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雪隠の前に陶器の手水鉢がありました。中に水をためておいて、手を洗う時に栓を開けて水を流します。
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店土間の奥に続く広い奥土間は炊事場になっていて、
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大きなかまどがありました。かまどの奥側は一段低くなっていて、煮炊きの火がよくおこるように、下の方に浜からの風を取り込む隙間がありました。
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土間から中庭に出ると、西蔵・南保命酒蔵・北保命酒蔵・東保命酒蔵・北土蔵・新蔵と、たくさんの土蔵が並んでいました。
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保命酒蔵の中には大きな甕がたくさん並んでいました。
保命酒は餅米を主原料に、粳米、焼酎、16種類の漢方薬を使って醸造した薬酒です。1655(明暦元)年に大阪から鞆に移り住んだ中村吉兵衛は、1659(万治2)年に漢方薬酒「十六味地黄保命酒」の製造・販売を始め、藩から専売権を与えられて一子相伝の秘法で伝えてきました。明治になって専売権がなくなり、保命酒醸造業者が増加して競争が激化し、明治34年に太田家住宅での製造を終えましたが、蔵の中には醸造時の様子が残されています。
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石の重しを天秤のようにしていました。
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作られていた保命酒の数々。
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白い木馬。
鞆の浦では、「八朔の馬出し」と言って、9月(旧暦8月1日に近い日曜日)に子どもの誕生と健やかな成長を願って、八朔の馬(台車付きの白い木馬)に子どもたちを乗せて町中を練り歩きます。
「太田家住宅」
開館時間 : 10:00~17:00
定休日 : 火曜(祝日の場合は翌日)、12/29~1/3
料金 : 中学生以上 400円
太田家住宅、BS朝日の「百年名家」でも取り上げられた名建築です。
鞆の浦の旅(4)に続く。