12月21日~22日、武道館に第九を聴きに行ったついでに東京見物をしてきました。
東京庭園巡りの最後は、
浜離宮恩賜庭園です。
江戸時代には江戸城の出城としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園。
明治以後は皇室の離宮となっていたのが、昭和20年11月に東京都に下賜されたので恩賜庭園と言われています。国の特別名勝及び特別史跡。

海水を引き入れた広い池に多くの海水魚や水鳥が生息しています。

広々としていていい気分。バックの高層建築も違和感がありながら、今では風景の一部になっている。

お伝い橋を渡って中島の御茶屋に行きます。

118mもある総檜造りの橋。

園内には二つの鴨場があり、将軍がよく鴨狩りを楽しんでいました。
鴨池から囮のアヒルと餌で鴨をこの狭い引き堀におびき寄せ、

こちら側の小窓から様子を伺っていて、機を見て土手の陰から網ですくいとったそうです。
この鴨場で皇室のさるお二人が交際を始めた頃にデートされたとか、きっと閉園の日に庭園を借り切って楽しんだのでしょうな。

池の突端にある水門。

その向こうは東京湾に続いています。

「将軍お上がり場」。将軍が舟でやってきて上陸する場所でした。

園内には水上バスの乗り場もあり、浅草、お台場海浜公園、豊洲、晴海、東京ビッグサイト、パレットタウン等への船が出ていますが、

時間もなかったので、日の出桟橋まで約5分間だけ船に乗り、夕陽のレインボーブリッジを見て東京庭園巡りの旅を終えました。
清澄白河駅から都営大江戸線で二つ目の駅、月島に移動。
月島と言えば、「もんじゃ焼き!」でしょう。
東京下町に行ったら、いっぺん食べてみたいと思っていたのです。

駅から徒歩1分くらいの所にもんじゃ焼きのお店が並ぶ商店街があります。

手近なお店に入りました。

ご近所の中学生らしきグループがもんじゃパーティーで盛り上がっていました。

もんじゃ焼きの作り方がわからないので、お店の人に教えてもらい、1枚目は作りながら説明をしてもらって、2枚目は自分達で焼きました。
もんじゃはお好み焼きよりも大きく鉄板を使うので、1回に一枚(一人前)しか焼けません。
以下、これがもんじゃ焼きの正しい焼き方です
。


注文すると「具」と「生地(お好み焼きの粉をずっと薄く水でのばしたようなもの)」が別々の入れ物で運ばれてきます。
メニューは多種多様なバリエーションがあります。
これは生イカ&タコ&ブタ&桜えびの「ミックス」(1,000円)。

先ず、具材だけを先に油を引いた鉄板に広げて、大きくかきまぜていためます。
お好み焼きだったら、最初に具と生地をかき混ぜて、どろどろにしてから焼きますが、もんじゃはここが違うところで、最初は別々に焼くのですね。文明のショックを受けました。

具の中心となるキャベツはお好み焼きよりもずっと細かく刻まれていました。

しんなりしてきたら、平たい円の中心を空けて廻りを具の土手で囲むようにします。

この土手の中に生地を流し込みます。

生地がグツグツしてきたら土手を壊して全体を素早くかき混ぜます。

できあがり。生地をいれてからほとんど時間が経っておらず、まだ生のような気がしますが、もうこれでできあがりだそうです。

小さなこて(「はがし」)で端から掻き取りながら食べます。
思ったよりずっとおいしかったです
。やみつきになりそう。

ここも三菱関係の庭園です。元は紀伊国屋文左衛門の屋敷跡とも言われていますが、1880(明治13)年に岩崎弥太郎が社員の慰安や賓客を招待する場所として造園し、「深川親睦園」として開園しました。
またまた岩崎家の膨大な財力を感じてしまいました。

隅田川から水を引いた広い池と、各所に全国から取り寄せた名石が配され、回遊式林泉庭園になっています。


磯渡り。

庭園では結婚式を挙げられたカップルが記念撮影をしていました。

名石でできたいろいろな蹲もあって、それぞれに石種が書かれていました。

石は伊豆磯石、伊豆式根島石、伊豆青石、生駒石、佐渡赤玉石、相州真鶴石、備中御影石、加茂真黒石、京都保津川石、讃岐御影石、利根川石などです。

二の丸庭園から大きな石垣の間を通って、いよいよ江戸城本丸に入ります。


ここの石垣も大きかったですが、一つの石の大きさでは大阪城の方が大きいようでした。

百人番所。大手門から本丸に入る間にあった江戸城最大の検問所で、甲賀組、根来組、伊賀組、二十五騎組などが各組100人ずつで警護していました。

大番所。

このあたりが松の大廊下があった所。あの刃傷事件が起こった廊下で、長い畳敷きの廊下に松と千鳥の絵が描かれた襖戸がありましたが、今は何も残っていません。


ここが江戸城天主閣跡。
天守閣は1606(慶長11)年に建てられ、この上に金のシャチを頂く五層の天主がそびえていましたが、1675(明暦3)年の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。
この前に、本丸の建物が立ち並んでいましたが、今は広い芝生地になっています。

桃華楽堂。
天守閣の近くにある音楽堂で、昭和41年に香淳皇后の還暦を記念して建てられました。雅楽の演奏などが行われるそうですが、この地にはちょっと似つかわしくない異様な建物でした。
西本智実指揮の「第九」を聴いた日本武道館は皇居北の丸公園にありますが、その翌日に皇居東御苑に行ってみました。

これは泊まった竹橋駅近くのホテルからの眺め。皇居一円とはるかに東京タワーも見渡せました。

皇居東御苑に入るには大手門、平川門、北桔橋門(きたばねばしもん)の三箇所からお堀を渡って入ることができます。橋を渡った所にある発券所で入場券をもらって入り、どの門でもいいので、出る時に券を戻して出ます。入場料は無料なのでうれしいです。
ホテルから近い平川門から入りました。
平川門は城内に死人や罪人が出た時に出す門であり、また大奥の人達が出入りした門でもありました。

先ず、一番近くにある二の丸庭園を散策しました。
三代将軍家光の時に作られたけれど、火災等で消滅していたのを、昭和43年に九代将軍家重の時代の庭園図を参考にして復元し、一般に公開されたもので、池泉回遊式の庭園です。

12月末だというのに、まだ紅葉がきれいに残っていました。

諏訪の茶屋。
この近くに日本各県の都道府県の木も植えられていました。
(京都は北山杉)

武蔵野の風情を残した雑木林もあります。
花菖蒲園もありました。花の咲いている時に来てみたいものです。

皇居正門石橋旧飾電灯。皇居正門石橋はいわゆる二重橋のこと、そこに明治21年から設置されていた飾り電灯で、現在のものと同じだそうです。
どうしたわけか、1個だけここに鎮座していました。
御苑のあちこちに冬の花もたくさん咲いていました。

赤

白

ピンクのサザンカ。

ツワブキに

ムラサキシキブも。

早くも梅やボケも咲いていました。
大都会の真ん中にこんなに広くて静かな庭園があるとは、全く意外でした。しかも、無料で、人が少なくて緑いっぱい、心の休まる庭園でした。東京駅や大手町駅からも歩いてすぐに行けるので、東京でちょっと時間が空いた時に散策してみるのもいいと思います。
皇居東御苑の休園日は基本的に以下の通り、
(1)月曜と金曜日
(2)12月28日から翌年1月3日まで
(3)行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日
詳しくは、こちらを。
年末に武道館での第九コンサートを聴きに東京に行った時に見聞きしたものをアップします。
東京駅丸の内南口から歩いて5分くらいです。(東京都千代田区丸の内2-6-2)
1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。
老朽化により、1968(昭和43)年に解体されましたが、2010年4月にコンドルの設計に則って同じ所に復元され、「三菱一号館美術館」として公開されました。




建物の裏側から見たところ。裏の高層ビルとの間が庭園になっていて、バラなどいろいろの植栽が植えられ、憩いの場所になっています。
美術館では「カンディンスキーと青騎士展」が開催されていました。(2011年2月6日まで)
館内には「歴史資料室」もあり、「ジョサイア・コンドルの岩崎邸建築展」が開催されていました。。(2011年2月6日まで。こちらは入場無料)
コンドルが携わった建物の中で、最大のパトロンであった岩崎家のために設計した西洋館の数々の写真や設計図が展示されていて、たまたまいい時に訪れてよかったと思いました。(例えば、湯島の旧岩崎邸はこんな所)

建物の一部はカフェ「Café 1894」になっていたので、ここでお茶を飲みました。

元は銀行だったところです。
京都の文化博物館(旧日本銀行京都支店)と似た感じですが、広さはこちらの方が狭いようでした。

高い天井を支えている柱の柱頭部分はアカンサス風の彫刻で飾られていて、ゴージャスな雰囲気です。

メニューのお値段は少々お高目でしたが、場所代だと思ってガマン。
とにかく、東京駅から皇居に向かう間の土地は、元は大名屋敷だった所が、明治以後陸軍の演習地になり、岩崎彌太郎が安く払い下げて、三菱一号館、二号館、三号館と建てていき、続いて一帯がレンガの洋館の並ぶ日本の最先端の街になり、そして、今は丸ビルなどの高層ビル街になっているのでした。そのへんの三菱一号館をめぐる歴史も「歴史資料室」でわかりやすく展示されていました。
しかし、岩崎彌太郎は「龍馬伝」でも見たようにチョー貧しい生活から身を興して、こんな洋館事務所や大邸宅を次々と建てていった才覚はやはりすごいと言わざるを得ません。
ついでに、東京駅近辺をぶらぶらして見つけた建物を少し。

三菱一号館の隣の高層ビルも入口部分には昔の建物の遺構が使われています。

東京駅すぐ前の中央郵便局は改築工事中。保存運動のおかげで、建物前面だけは残されていますが、後方部分は高いビルになっています。

前にも見たことがある東京銀行協会の建物。
2008年に見た東京中央郵便局と東京銀行協会はこちら。
12月21日(火)19時~
日本武道館に初めて行きました。

ベートーヴェンの交響曲第九番。
指揮:西本智実、演奏:東京交響楽団、
合唱は、舞台上だけでなく、階上階をぐるりと取り巻く5000人によるもので、武道館全体が大合唱で一つに盛り上がって、ぴしーっと決まって大感動のコンサートでした。

演奏前。

演奏後。中央は進行役のFM東京のアナウンサーさん。
今回の演奏会では3つの驚きがありました。
一つは5000人の合唱。プロの合唱団もいましたが、ほとんどの人は個人参加で、数回のレッスンを受けたり、リハーサルを受けた人もいましたが、FM東京で毎月話された西本さんの合唱指導を聞いただけで、個人で練習してきて、ぶっつけ本番という人達もいたそうなので、こんなにぴったり息があった演奏ができたのは、奇跡的みたいなものだそうです。いかに全員が指揮者に集中したかが伺えます。
二つ目は、第4楽章に入って合唱団が一斉に立ち上がる時、それまで真っ暗だった場内に煌々と明りがついてぱっと明るくなったこと。場内に驚きのざわめきが起こりました。
さらに三つ目は、演奏の最後、指揮者の棒が振り終わった途端に、パパーーンと大音響がして、キラキラ輝くテープが舞台から会場に向けて(まるで紅白歌合戦の最後のように)発射されたので、会場内みんな大びっくり!腰を抜かすような驚きでした。
しかも、この発射のタイミングが実によくって、実にうまい!と感心されました。
今回の「第九」はこういう演出もあって、少し通常のコンサートとは違っていたけれど、こういう試みもまた楽しいと思い、まだまだ興奮が消えやらず、思い出す度にドキドキしています。
5月に市民グリーンフェア(だったっけ?)で買った椎茸のホダ木にやっとシイタケが生えてきました
。
しかし、やっと1個だけ
。


2日後笠も開ききったようなので、収穫してみました。
マッチ箱と比べてみても、かなりの大きさです
。
焼きシイタケにしておいしくいただきました
。

しかし、やっと1個だけ



2日後笠も開ききったようなので、収穫してみました。
マッチ箱と比べてみても、かなりの大きさです

焼きシイタケにしておいしくいただきました

