ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

2016年紀伊半島一周の旅(3)潮岬灯台

2016-12-27 23:21:24 | 建物(和歌山県)
樫野崎灯台、トルコ記念館のある紀伊大島から、くしもと大橋を渡って、串本町・本州南端の潮岬側に戻ってきました。

潮岬の突端に芝生の広場があり、その先端に「本州最南端」碑がありました。芝生は約10万㎡の広さで、明治時代、海軍の望楼(物見櫓)があったので「望楼の芝生」といい、毎年1月の最終土曜日にはここで本州最南端の火祭り(芝焼き)が催されます。



少し西側に潮岬灯台がありました。
しかし、官舎だけ写して、どういうわけか灯台の写真が無くなってしまっている(汗)。

樫野崎灯台に続いてこの灯台も、1870(明治3)年にイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン設計によって造られ、以来、海上交通の要所として沖行く船を照らし続けています。30mの断崖に建つ白亜の灯台で、塔内の68段のらせん階段を上って展望台に登ることができます。また、灯台1階には灯台資料展示室が併設されていて、灯台の歴史、機能・役割などを学べ、2代目潮岬灯台レンズをはじめとした資料が多数展示されています。
灯台の高さは19.55m、光度130万カンデラ、光は19海里の遠くまで達します。

潮岬灯台の見学は
  年中無休
  営業時間:10月~4月・・・9時~16時 / 5月~9月・・・9時~16時30分
  入場料:大人200円(中学生以上) 小学生以下 無料
  駐車場:1回300円



灯台下の海岸。



灯台から西方面の眺め。



灯台の写真の代わりは地酒の写真で。



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2016年紀伊半島一周の旅(2)樫野崎灯台

2016-12-27 23:20:11 | 建物(和歌山県)
串本町紀伊大島の東端に樫野崎灯台があります。

1866(慶応2)年の江戸条約で建設が決められた8灯台の一つで、1870(明治3)年6月10日に点灯され、日本で最古の石造灯台として貴重な財産となっています。



現在は自動点灯の無人灯台で内部は非公開ですが、平成14年に展望台が造られ、らせん階段で上まで登ることができます。



灯台の高さ10.20m、光力は53万カンテラで18.5海里(約34km)先まで光が届きます。



灯台の手前に旧官舎があります。

この建物を作ったのは、リチャード・ヘンリー・ブラントン(1841-1901)で、英国スコットランド生れ、明治元年に灯台技師団のリーダーとして来日、愛媛県松山市の釣島灯台、千葉県銚子市の犬吠崎灯台などを整備、また「修技校」を設置し、後継者育成にも尽力、日本の灯台建築の基礎を築き、「日本の灯台の父」と呼ばれました。
1869(明治2)年4月に着工、1870(明治3)年7月に竣工した日本最古の石造灯台官舎で、平屋建、寄棟造、建築面積162㎡、エルトゥールル号遭難の時には救助の拠点となったことでも知られています。
2003年に国登録有形文化財に指定され、2010年~2011年にかけて改修工事が行われ、竣工当時の部材を大切にして、保存できるものはすべて現状のまま残す処理が行われました。

■樫野崎灯台旧官舎
TEL (0735)65-8515
開館日 土日祝日、11月1日(灯台記念日)、年末年始(12月29日~1月3日)
開館時間 9:00~17:00  
入館料 大人(中学生以上) 100円 (トルコ記念館と共通で510円、トルコ記念館・日米館との3館共通で560円)


官舎の前庭には明治初期に常駐していたイギリス人技師が故郷を思い植えたと言われる水仙が今も群生しており、12月にもう花を咲かせていました。


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2013年青春18冬の旅(3)和歌山市加太 中村邸(旧加太警察署)

2014-01-02 01:21:25 | 建物(和歌山県)
加太駅から徒歩5分程のところに素敵な建物がありました。


中村邸。

1964(昭和39)年まで加太警察署として使われていました。
この地域は、昭和36年に和歌山市に合併されるまで加太町として町制を敷いており、かつては、深山・加太砲台、友ヶ島と大阪湾を守る重要な要塞地域でもあり、自由に出入りできないものの活気のある町でした。そのため警察署としての存在は大きく、建物も実に立派なものでした。300坪あまりの敷地には本館・取調室・留置場・道場・会議室・署長官舎など必要な物は全て揃っていたそうですが、現在は本館と署長室があった棟が残っています。



明治末期、もしくは大正初期の築。木造2階建。
設計者:松田茂樹
施工者:大彦組

下見板張りの外壁が特徴的で、警察署にしては、優しい雰囲気がします。




登録有形文化財に指定されています。




昭和38年頃に県の公示入札を通して中村清文氏が取得し、以来、住友金属が繁栄をなした時代には独身寮に、海水浴が大盛況だった時代には民宿に、と用途を変えながら今日まで大切に使い続けてこられています。
現在もきれいに外壁が塗りなおされ、大切に保存されている様子がわかりました。

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2013年青春18冬の旅(1)南海電気鉄道加太駅

2014-01-01 00:33:28 | 建物(和歌山県)
年末に青春18切符を使って日帰り旅行に行きました。


9:14京都駅発、JR阪和線で和歌山駅へ、そこからJR紀勢線に乗換えて二つ目の駅、和歌山市駅に11:51に着きました。

JRと南海電鉄の駅を兼ねています。
南海電鉄3代目駅舎となるこの「南海和歌山ビル」は、1973(昭和48)年に竣工、地上7階・地下1階建です。銀行、飲食店街や百貨店タカシマヤが入っています。



和歌山駅が賑わっているのに対して、こちらの駅前はかなり人気が少なくて、駅舎は立派なのに寂しさを感じてしまいました。




和歌山市駅から出ている南海電気鉄道加太線に乗りました。
南海加太線は1912(明治45)年加太軽便鉄道として開通、1930(昭和5)年電化に伴って加太電気鉄道と改称、1942(昭和17)年南海鉄道に吸収合併され、加太線として運行を開始しました。

その昔京都から加太の海にはるばる海水浴に来た時に乗ったはずですが、ほとんど記憶にありません。


ワンマン電車です。



和歌山市駅から約25分、320円、8つ目の終着駅、加太駅です。12:47着。
1912(明治45)年6月に建てられた古い駅ですが、下見板張りでかわいい駅です。




加太軽便鉄道の開業以来、淡路・四国方面と本州を結ぶ加太港から、和歌山市への連絡輸送口として、軍需物資や兵員輸送にも利用されましたが、戦後は主に行楽地への玄関口として親しまれてきました。








ホームは二本ありますが、ほとんど一番ホームだけで乗り降りされています。


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2009年湯浅町の旅(6)湯浅小学校

2009-03-30 02:14:27 | 建物(和歌山県)
湯浅町の近代建築は現役の小学校の講堂でした。


湯浅町立湯浅小学校。
講堂は1935(昭和10)年の建築で登録有形文化財です。


鉄骨平屋建て、巨大な切妻屋根で玄関部分にアーチ型の開口部があります。


内部は柱のない大きな空間となっており、高い舟底形の天井の美しいデザインだそうですが、玄関から覗き見るだけだったので、よくわかりませんでした。


中では離任式(?)の準備が整っていたようです。

補修をしながら現在も大切に使われているそうです。


後方から見たところ。

湯浅小学校の場所は、ネットのおおまかな地図しか情報がなくて、歩き回ってやっと見つけました。学校を見つけてからも、講堂がなかなか見えず、最初に見つけたのはこの後ろ姿でした。
それからまた学校の敷地周りをぐるっと回ってやっと講堂正面にたどり着きました。半分諦めかけていたけれど、見つかってよかった、よかった。

こんなかわいい金次郎さんも学んでいました。


タイムスリップの町-湯浅町は見所いっぱいで、懐かしさに溢れていました。

まだまだゆっくり見たいところですが、またの機会にして、和歌山の旅を続けました。

コメント (3)
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