嵯峨野からトロッコ列車に乗って亀岡に行き、「楽々荘」を訪ねました。
「楽々荘」はトロッコ列車の旧山陰線生みの親、田中源太郎翁の生家を譲り受けて料理旅館としたものです。
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楽々荘は田中源太郎翁の旧邸を今に伝えるものです。源太郎は生家を明治三十年代後半に五年の歳月をかけ、京都鉄道(山陰線)の開通 に合わせ改築しました。山陰線(現在のトロッコ列車)のトンネルや鉄橋と同じレンガをつかった洋館や豪壮な書院造りの和館や玄関(平成九年国登録有形文化財指定)と六百五十坪の庭園が見事な対比を見せています。この回遊式池泉庭園は明治の元勲山縣有朋の別荘「無隣庵」や平安神宮神苑等の庭で近代造園の総合プロデューサーとして有名な七代目小川治兵衞 (植治)の作と伝えられています。明るく開放的な作風の中に伝統的な造園法が巧みに取り入れられています。庭園内には、源太郎が山陰線建設の時に買収した亀山城にあったとされるものが多く伝わっています。亀山城は明智光秀の築城になりますが、本能寺の変の後豊臣の所有となりました。そしてその豊臣の紋の入った大きな石燈篭や鉄の井筒が昔を今に伝えています。(「楽々荘」ホームページより)*****
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の中、たどり着いてみれば、ランチ
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の時間を過ぎて、ディナー
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の時間には早く、喫茶
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は春から秋の季節のいいときしかやっていないようで、残念ながら中には入れませんでした。ところが、お庭だけは、別の門からオープンガーデンになっていて見ることができ、ラッキーでした。
650坪のお庭は夏にはビアガーデン
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になっているそうです。さすが植治のお庭、手入れも行き届いて美しいのだけれど、枯山水の流れを現している上に桟敷を敷いて、ビアガーデンにしてもいいものだろうか?それ程違和感は感じさせないように作ってありましたけれど。
ところが、背景はこの有様
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洋館も素敵でした。