大山崎山荘をつくった加賀正太郎は、日本における蘭栽培の黎明期である大正から昭和の約30年間に1140種1万株近くの洋ランを栽培しました。しかし、太平洋戦争前後には温室暖房もままならず、失われていく蘭の姿を残そうと「蘭花譜」を作らせました。
木版画83点、カラー図版14点、単色写真図版7点の104点で構成されており、なかでも木版画は日本画家の原画を浮世絵の技法で刷りあげ、素晴らしい美術品です。
展示品は撮影できないので、絵葉書でその美しさの一端をご覧ください。
加賀正太郎は交配で新しく作り出した多くの品種に「オオヤマザキ」の名前をつけて登録しましたが、今はその品種もわずかにしか残っていないそうです。
さて、4月29日、大山崎山荘は新緑の懐に包まれていました。
本館の北側の池の奥の高台になっている所に昔は大きな温室があったようです。
温室に向かう通路もガラス貼り。
館内に少しだけ洋ランの鉢植えも展示されていました。
広いベランダからは木津川、宇治川、桂川の三川合流の広大な眺めが見渡せます。
この川と山に挟まれた地が霧を沸き起こらせ、蘭の栽培には適していたそうです。
広い庭では、
ウコン桜がまだ咲いていました。
シャガが花盛り。
ヤマブキもきれいでした。