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2019年10月29日に、タイ企業のホテルにされようとしている元植柳小学校を見に行きました。
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七條通りの北、東本願寺と西本願寺の中間の地点にあります。
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4階建の立派な学校の建物があり、運動場には地域の運動会が開かれていたようで、万国旗が飾られていました。
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体育館も昭和のなつかしい感じが残った建物です。
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二宮金次郎さんもまだお勉強したはりました。
京都市はこの土地をタイの企業に貸し出し、運動場も含めて敷地いっぱいにホテルが建てられようとしています。
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学校跡地がこれまで果たしていた災害時の避難所の役割はどうするかといえば、学校の南側にある公園を潰して、地下に避難所を作るというのです。
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地下の避難所なんて、電気も使えない災害時にお年寄りが降りていくこともできません。トイレの度に上がってくることもできません。さすがにこれは全くお話にならないので、地下避難所の話は撤回されたようですが、先行きはどうなることか、学校跡地を住民のために使えるようにしてもらいたいものです。また、こんなことで子供のための公園がなくされるのも信じられない京都市の姿勢です。
10月27日、SL北びわこ号を見に行ったついでに、米原の町をちょっとだけ散策しました。
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舞鶴駅は交通の要衝のわりには小ぶりです。
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駅前に「舞鶴湊」の碑と、江戸時代に琵琶湖を航行した船の模型が置かれていました。伊井家が彦根藩主となってから、それまで寒村だった米原に湊を置き、琵琶湖と陸路との通行の便を図ったので、米原は急速に栄えていったそうです。
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駅前の大きな通りから一筋奥に昔の街道らしい町並みが続いています。
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米原の町のマンホール。
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前にも訪れたことのある青岸寺に行こうとして坂を登って行くと、前にあった木造の懐かしい姿の小学校が消えていて、今は保育園になっていました。
前に見た、旧米原尋常高等小学校(2011年11月)
素敵な建物だったのに、老朽化で壊されてしまったのでしょうか。ショック!です。
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青岸寺の玄関前に広がるイワヒバ、この日は葉が緑にあふれていました。
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庭園の苔は青々として、窪地になっているところには苔の上に水が溜まって池になっていました。水が溜まるのは梅雨時だと聞いていたのですが、最近雨の日が多く、池になっているのだそうです。2・3日晴れの日が続くと、池の水はなくなって、苔だけの池になるのだそうです。
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池の水には絶えず小さな水紋が沸き上がっています。裏山からしみ出した水が池を満たし、庭の外に流れ出ていくのです。
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ツワブキがきれいに咲いていました。
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お寺では現在カフェを営業していて、庭園前の座敷や廊下でお茶をいただくことができるようになっていたので、お抹茶をいただきました。静かなお庭を眺めながらお茶をいただく至福の時間でした。
10月27日、長浜駅と米原駅にSL北びわこ号を見に行きました。
SL北びわこ号は特定の時期だけ臨時列車として米原駅から木ノ本駅の間を走っています。この秋の走行は10月13日20日27日・11月3日10日、それぞれ一日に一回のみです。
しかし、その指定席切符はネット販売も予約販売もなく、1ケ月前に駅の緑の窓口に買いに行かねば手に入らないことになっています。一度買いに行ったのですが、あっという間に売り切れになっていました。それで、乗車することはすっかり諦め、せめて走っているのを見に行くことにしたのです。
北びわこ号が米原駅を発車するのが、10時9分、長浜駅に着くのが10時12分頃なので、その前に長浜駅に着く普通列車で京都から向かいました。米原駅を通り過ぎる時に駅の手前で煙を吐いて待機している蒸気機関車を見つけました。
長浜駅のホームでしばらく待っていると、約1分遅れでやってきました、SL北びわこ号!!
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蒸気の煙と轟音、長い汽笛も鳴らしてくれて、迫力満点でした。
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長浜駅で3分程停車していたので、ゆっくり見ることができました。
駅のホームにも、途中の沿道にもカメラを構えたファンが大勢待ち構えていました。
汽車が通り過ぎてから、木ノ本駅から折り返して来るのを見るために、長浜駅から米原駅に電車に乗って帰ってきました。
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米原駅で待つ間に駅弁を買って食べました。
SL運転記念の「伊吹釜めし」です。
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松茸、鶏肉、栗などが入った炊き込みご飯でした。
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ご飯を食べた後、待ちきれなくて米原の町散策に出かけたので、SLがどのようにして米原駅に帰ってきたのか見ることができませんでした。しかし、1時間程のちに米原駅から京都に向かって帰る電車の窓から、SLが別の気動車に繋がれて、米原駅のはずれに停まっているのを見ました。まだ蒸気の煙をはいて、静かにクールダウンしているようでした。
SL自体に乗ることはできませんでしたが、走っているのや、停まっているところをいっぱい見ることができて、大満足でした。
2019年10月18日に団体旅行で、琵琶湖クルーズに行きました。
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浜大津港から「ビアンカ」に乗りました。
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午前中、雨模様のどんよりしたお天気でしたが、なんとか大降りにならず、午後からは薄日がさしてきました。
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船は浜大津から出港して、琵琶湖大橋までの間の琵琶湖の中をぐるぐると廻って航海してゆきました。
大津近くのホテル、マンション、競艇場、琵琶湖会館、遠くには近江富士山などを見ながら、ゆっくりと進んで行きます。
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やがて、昼食の時間になり、ビュッフェ形式のお料理をいただきました。
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大津港に帰ってくると、「ミシガン」も停まっていました。
「ビアンカ」による琵琶湖クルーズ、約3時間の航海でした。
2019年10月15日、京都府立京都学・歴彩館で映画「笠置ロック」を見ました。
京都府笠置町の魅力を掘り下げる企画の一環で、映画と講演が行われました。
笠置町一帯は巨岩がごろごろ転がっていて、岩に登るボルダリングが盛んで、映画もボルダリングがテーマになっているものでした。
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館内に「笠置寺磨崖線刻菩薩像」の拓本が展示されていました。
この磨崖仏は笠置寺の花崗岩の絶壁に彫られた高さ12mの虚空蔵菩薩と言われ、制作年代は定かではなく、奈良時代末期、平安時代、13世紀などの諸説があります。1934年頃に拓本が採られたと伝えられています。(694X455cm)
寺には更に大きな高さ15mの弥勒磨崖仏もあり、本尊とされています。
2019年9月1日から10月31日まで京都北山通り一帯で開かれている「北山モザイク」展、その中の一つ、「京都モザイク展 ひびく」が上賀茂南大路町にある「瑞雲庵」で10月1日から15日まで開催されています。11時~17時(最終日は15時まで)無料。
上賀茂菖蒲園町で市バスを降りて少し北に歩くと、
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大きな農家が並ぶ風情のある上賀茂の通りが続いています。
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その中に大きなお屋敷があり、そこが「瑞雲庵」です。
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玄関前にモザイクの犬「まる」がいました。
「瑞雲庵」は、築 100年になる元両替商の邸宅だった立派なお家で、財団法人が家屋と庭園をきれいに修復して、芸術の創造支援、展示などを行っているところです。
その室内や庭園、蔵の中に国内外の作家30人のモザイク作品が置かれています。
モザイクとは大理石やガラス、タイルなどを並べて描く装飾美術です。
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茶室の床の間にもモザイクが飾られています。
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二階の吹き抜け板の間にモザイクが。
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庭園の中にもモザイク作品がおかれています。
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作品の一つ。
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桜の花びらは石のかけら。
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蔵の入口の上には漆喰の鏝絵が。
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そして、蔵の中には、最近壊された京都商工会議所の床から一つずつ剥がして取り出された大理石の十二支モザイクが展示されていました。
これは矢橋六郎が作ったもので、商工会議所から取り出された後、府立陶板名画の庭で展示され、その後ここに来ているものです。
京都商工会議所にあった頃の様子はこちら。この独特の作品が壊されずにかろうじて残されたことは本当によかったです。
近江八幡で水郷めぐりをした後、バスで40分程で彦根城に着きました。
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駐車場の側に滋賀県の護国神社がありました。
駐車場から中堀に沿って、たくさんの松の木が植えられていて、「いろは松」と呼ばれている所を過ぎ、
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二の丸佐和口多門櫓(国重要文化財)。
1767(明和4)年に火災で類焼し、明和6年から8年にかけて再建された建物です。この道の突き当りにあった櫓門は、明治になって失われました。
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中堀の外側のこの中央辺りに、幕末の大老、井伊直弼が藩主の14男として産まれ、まだ部屋住みの時代に住んでいた「埋木舎(うもれぎのや)」がありました。
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佐和口から入り、重臣達の屋敷がある二の丸に「馬屋」がありました。(国重要文化財)。城内に馬屋が残る例は彦根城だけであり、平成27年度に本格的な文化財保存修理を終えました。
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藩主などの馬が21頭つながれていた場所で、レプリカの馬さんがいました。
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内堀には観光船が進んでいました。
ここから、彦根城天守閣に登るグループと玄宮園庭園を見学するグループに別れました。天守閣には昔登ったことがあるので、玄宮園に行くことにしました。
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途中、井伊直弼像がありました。彦根城を訪れた観光客は、大河ドラマ「花の生涯」の時が最も多かったそうです。
国の名勝・玄宮楽々園は、大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園と、御殿に続く池泉・枯山水庭園である楽々園を合わせた総称で、天守閣のある本丸、西の丸と内堀を隔てて、彦根城東北部分に広がり、その外側には琵琶湖の内湖が広がっていました。
江戸時代前期には作庭されていましたが、10代直幸の頃に初めて「玄宮園」という名で呼ばれています。
彦根城天守閣と玄宮園セットなら大人800円ですが、玄宮園だけなら200円で入ることができます。
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復元された水田。藩主が領内の五穀豊穣を祈って、田植え神事が行われていました。近くに藩主が競べ馬を見物した馬場もありました。
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玄宮園の中には4つの茶屋があり、藩主の慰安や社交の場として使われました。
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一番高い所にある茶屋で、500円でお茶とお菓子で休憩することができます。
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茶屋から広い池と庭を見下ろす素晴らしい眺め。
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槻御殿(けやきごてん)。
楽々園の中心的建物で、「奥向書院」とも言います。第4代藩主が1677年に着手して下屋敷として築造され、第13代直中が1812年に隠居するにあたり、大きく増改築しました。井伊直弼は1815(文化12)年にここで生まれました。
この書院から連続して、御茶座敷「地震の間」があります。石畳みの土台の上に舟形状の木製枕が置かれ、その上に平屋建ての建物がのっていて、地震の時には建物の底が土台の石畳みの上を滑る免震構造になっています。
この時は、楽々園の一帯はまだ修復中で、遠くから建物を見るだけしかできませんでした。
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庭園から天守閣を見上げると、池に天守の影が映って見えます。
池泉回遊式の大名庭園、池と緑の静かな景観が素晴らしく、時によって、蛍を鑑賞する会や、秋の虫の音を聴く会などが開催されているようです。
14時半から16時くらいまで彦根城を見学した後、バスで彦根を出発、琵琶湖大橋を渡り、比叡山を超えて18時過ぎに京都に帰ってきました。
2019年10月8日に近江八幡水郷巡りに行きました。
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京都からバスで山中越え、琵琶湖大橋、湖岸道路を通って、約80分で、近江八幡長命寺港のびわこ観光船乗り場に着きました。
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ここからは琵琶湖めぐりと水郷めぐりのいろいろなコースが出ていますが、水郷めぐり貸切船、1時間10分で水郷ヨシ群生地と西の湖をめぐるコースの屋形船(12名乗りで18,000円)に乗りました。
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船頭さんがモーター船を運転しながら案内してくれました。
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琵琶湖と長命寺川の境目にある水門。
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水門を船が通る時は、船が狭い通路に入ると前後の水門を上下して水の高さを調節する閘門方式でした。
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長命寺川を遡って行くと、ヨシが生い茂っている水郷地帯が広がっています。
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木の橋が何ヶ所か架かっていて、時代劇の撮影にぴったりの風情でした。この辺りでこれまでも様々の映画、ドラマが撮影されています。
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手漕ぎの船も何艘か出ていて、観光船会社と船の乗り場もいくつかあるようでした。
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ヨシの群生地を抜けると、西の湖の広い水面に出、カイツブリを始めとする水鳥があちこちに泳いでいたり、遠くに飛んでいました。周りには安土山や豊臣秀次の八幡山が見えました。
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長命寺港に帰ってきて、歩いてすぐの所にある水茎焼陶芸の里「水茎」で昼食を食べました。
お料理は近江八幡の郷土料理。赤こんにゃくの郷土煮、丁子麩の辛子和え、琵琶湖のウロリ、琵琶マスの揚げ物などで、
食器は全てこの水色が特徴の水茎焼の陶器でした。
松ヶ崎北山通りの民家の庭先にあった石弥勒(2004年)。 平安時代、延暦寺の末寺の一つ歓喜寺の頃に作られたという古い石仏です。
最近気づいてみると、いつのまにか松ヶ崎大国天の本堂の前にお引越ししていました。
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