仙巌園に隣接して大きな近代建築が建っています。
尚古集成館本館。
1865(慶応元)年に島津斉彬によって始められた日本最古の機械工場、日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物で、国の重要文化財になっています。
1923(大正12)年からは島津家の歴史と近代化事業を紹介する博物館として公開され、現在は島津興業によって運営されています。
定期観光バスでは中には入らず、外観を見るしかありませんでした。
尚古集成館のさらに西側にもこんな素敵な建物がありました。
磯工芸館。
鹿児島郡吉野村(現 鹿児島市吉野町)から吉田村(現 鹿児島市吉田町)にかけて広がっていた吉野植林所の事務所として、1909(明治42)年に建てられたもので、昭和61年現在地に移築され、文化庁より登録有形文化財に指定されました。
集成館事業で作られていた独自のカットグラス「薩摩切子」を1985年に復元し、隣接する薩摩切子工場で生産し、ここをギャラリーショップとして販売もされています。
ここも外観だけ。
鹿児島市中心部では、定期観光バスで西郷どんの説明で盛り上がっている時、反対側の窓には次々と立派な近代建築が現われ、西郷像はそっちのけで撮影してしまいました。その時はそれぞれ何の建物かもわからなかったのですが、後で検索してみて、それらしきものを調べてみました。
鹿児島県立博物館(旧鹿児島県立図書館)。
1927(昭和2)年に九州初の鉄筋コンクリート造の図書館として竣工しました。設計は岩下松雄。国の登録有形文化財
鹿児島県教育会館。
1931(昭和6)年竣工。設計は畑村源次郎・三上昇。
鉄筋コンクリート造3階建て。
鹿児島市中央公民館(旧鹿児島市公会堂)。
1927(昭和2)年竣工。設計は片岡安。
1945(昭和20)年6月17日の鹿児島大空襲により、 外部構造を残して焼失したため、改修工事が行われ、 1949年(昭和24年)から中央公民館と改称して利用されています。
鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階。国登録有形文化財。
鹿児島県政記念館(旧鹿児島県庁舎本館玄関部分)。
1925年(大正14)年竣工。設計は曽禰中條建築事務所。
鉄筋コンクリート造3階建て。
鹿児島県庁は1996年(平成8年)に鴨池の新庁舎へ移転したため、 玄関部分を残して解体され、現在地へ約100mほど曳家されて、 展示室として活用されています。
ザビエル記念碑。
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本で初めて訪れたのが鹿児島だったとは知りませんでした。かつて記念教会がありましたが、太平洋戦争中に空襲で焼失、1949年、ザビエル来航400年を記念して公園を造営し、教会の廃材を使用してこのザビエル来鹿記念碑が設置されました。
公園の向かいには、ザビエルを記念したカトリック鹿児島カテドラル・ザビエル教会が建てられています。
鹿児島市役所。
1937(昭和12)年竣工。設計は大蔵省営繕管財局工務部。
鉄筋コンクリート造3階建て。国の登録有形文化財。
南日本銀行本店(鹿児島無尽鹿児島支店)。
1937(昭和12)年竣工。設計は鹿児島県技師三上昇。
もともとは4階建て(一部6階建て)でしたが、1967(昭和42)年に増築した際は地盤改良などを施し、地下1階地上8階に建て増しされました。全面建て替えの案も出ていましたが、保存を図ることになり、違和感なくうまく増築されています。
国登録有形文化財。
鹿児島最大の繁華街、天文館辺りにある山形屋デパート。
昭和初期のルネサンス調の外観で、電車通りに面して長く続くアーケードも古風な感じで趣きがあります。
天文館という地名は、第25代薩摩藩主島津重豪が天体観測や暦の研究施設として明時館(別名「天文館」)を建設したことに由来しています。
とにかく、鹿児島の町は近代建築がごろごろ、垂涎の町でしたが、駆け足でバスの窓からしか見ることができなかったのが残念です。
付け足し。
鹿児島市では市営の路面電車が走っています。
ここの特長としては、軌道敷のほとんどに芝生が植えられ、緑化が進んでいることです。
車が行きかう町中に芝生の緑が美しく、沿線の騒音が少なくなり、夏には近辺の温度をかなり下げる働きをしてヒートアイランド現象の緩和に役立っているそうです。
鹿児島駅の近くに電車の車庫がありました。