ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

出町柳の萩の寺

2011-09-29 22:06:37 | ぶらり都めぐり
もう2週間も前のことになりますが、出町柳を通りかかったら、ちょうど萩の寺、常林寺で萩まつりをしていました。

午後1時からミニコンサートが開かれるようで、門の外でもお寺の関係者の方が古本市を開いていました。



境内では萩の花がちょうど見頃のようでした。








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木戸孝允旧邸と達磨堂

2011-09-17 23:29:01 | 建物(京大以外の京都府の)
今年の「京の夏の旅」の文化財特別公開(2011年7月9日~9月30日)で、「木戸孝允旧邸と達磨堂」を見に行きました。


木戸孝允旧邸は河原町丸太町から東南に入ったところ、ちょうど旅館「石○ ○○園」の裏手にありました。道理で、「石○」さんの前に「木戸孝允旧邸跡」だの「明治天皇行幸跡」だとか何箇所も石碑があったのだ。
旧邸は鴨川に向かって折れ曲がった道を入り込んだ奥にあったので、今まで気がつかなかったのでした。



ここは元は近衛家の下屋敷「河原御殿」だったのを木戸孝允がもらったものです。明治10年5月19日に病床にあった孝允を明治天皇が見舞いましたが、孝允はそれからまもなく5月26日に45歳で亡くなっています。


この建物には手洗い、炊事の設備はなく、茶亭風の建物だったようです。
建物の他の部分は大正12年に移築されました。
大きな丸窓のある一階は10畳1間、周りに廊下をめぐらす質素な造りです。
京都御苑内の拾翠亭に通じる近世後期の公家邸宅の遺構です。


二階に上がる階段。



二階は6畳2間。
この座敷からは鴨川を隔ててなだらかな東山の山並みが望めます。



建物の前に広がる庭園には、


こんな石碑もあって、昔の橋の標識なのでしょうか。



庭園の横にある「かもがわ会館」は京都市の厚生施設。「京の夏の旅」拝観券600円でここでコーヒーなどの飲み物もいただくことができました。



木戸邸の北隣に建つ達磨堂は木戸孝允の息子、忠太郎がだるまを集めるのが趣味で、集めただるまを陳列するために建てたものです。



窓の形もだるま形。


屋根の上の鬼瓦も両脇に子だるまを従えた母だるまの形をしています。


だるまの背に「木戸家新築記念 大正十二年八月」とあります。


堂の中にはぎっしり所狭しとばかりにだるまさんが並べられています。
明りがよく入るように窓は高いところに広くとられています。


日本中のだるま、中国のだるま、ありとあらゆるだるまに関連するグッズが並べらえています。よくまあこんなに集めたものです。


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京都大学保健診療所

2011-09-16 02:11:08 | 建物(京大)
京大正門を入ると、左側二つ目の建物が保健診療所です。京大の学生・職員の健康を守るための活動をしています。

旧・電話拡張交換室 
1925(大正14)年築 /1931(昭和6)年・1936(昭和11)年増築
設計:武田五一・永瀬狂三


旧・電話拡張交換室 1925(大正14)年/1931(昭和6)年・1936(昭和11)年増築
設計 : 武田五一・永瀬狂三








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料亭「京都 阪口」の庭園

2011-09-10 22:51:46 | お庭
9月初旬東山二年坂から産寧坂へと下って来て、観光客の溢れかえる通りの横にこんな門があって、

あの化粧品屋さんと、く○ちく(和小物屋さん)、う○や(蕎麦屋さん)と、八つ橋屋さん、漬物屋さん、イ○ダ珈琲店といずれも京都のあちこちに展開している名の知れ渡ったお店が集合している一画ですが、ここは平成12年までは料亭「京都 阪口(霊鷲山荘)」だった所。今は「青龍苑」として、複合商業施設になっています。


「京都 阪口」は一見さんお断りの料亭だったそうですが、今でもここで営業しているようで、予約すれば誰でも入れそうですが、それでもやはり敷居が高くてなかなか入る機会がありません。









ま、誰でも入れるようになったお庭だけ楽しませていただきましょう。

ここは豊臣秀吉の正室北政所の甥、木下長嘯子(勝俊)の隠棲の地であり、古くから文芸的な雰囲気に包まれていたことに由来し、苑内にはいくつもの茶室があります。

一番高い位置にあるのが真の茶室「三玄(山の茶室)」。裏千家十一代・玄々斎精中によって江戸の徳川家領内に造営された茶室の主要部材を移築。近世の茶文化の一つの流れを生み出した記念碑的な建物だそうです。


左側池の上にあるのが、行の茶室「長嘯庵」。木下長嘯子にのっとり造られた草庵形式の茶室です。


池の手前にあるのが、草の茶室「清涼」。大正時代に開催された東山大茶会の一席になったと記録されている草庵形式を色濃く残した茶室です。

他に、高低差約五メートルの滝を眺めながらそのせせらぎを聞くことができる「滝見の待合」や、立派な構えの南側の門もあります。


手入れの行き届いたお庭を楽しませていただいた後は、こちらへ。

原発NO!の集会、円山公園音楽堂はぎっしりの人でした。
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京都大学土木工学教室のヒマラヤ杉

2011-09-04 01:29:32 | 建物(京大)
以前に見た京都大学の中の建物をいくつかご紹介します。


先ずは、吉田本部構内にある工学部土木工学専攻教室の建物。
土木工学専攻は今は改組されて工学研究科社会基盤工学専攻の中に含まれています。



1917(大正6)年建築、レンガ造り2階建て。
設計は山本治兵衛・永瀬狂三。

赤いレンガに花崗岩の白い装飾が映えてきれいです。




雪の日に。




窓も大きくとられていて明るい感じです。



裏にまわると、こんな小さな遊び心も隠されています。




裏庭にはテニスコートの跡(今は駐車場)やちょっとした和風の池と藤棚もあります。




そして、裏庭に大きくそびえる木が立っていて、



その下にあった石碑によると、何とあの琵琶湖疏水を作った田邊朔郎先生のお手植えのヒマラヤ杉だというのです。

寄贈とあるので、「お手植え」ではないかもしれませんが。



石碑の裏側。

田邊朔郎が琵琶湖疏水を作ったのはまだ東京大学の前身工部大学校卒業後間もない頃、その後年月を経て、京都大学土木工学教室で教えることになったそうなので、ここにゆかりのヒマラヤ杉があるのも納得できますが、それにしても随分大きくなったものです。



「理工科大学」の石碑も。
京大の中で一番早く創設されたのが理工科大学、1897(明治30)年9月のことです。



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