ノートルダム女学院の「和中庵秋の特別公開2019」が、2019年(令和元年)11月22日(金)~12月1日(日)に行われていたので、11月29日に行ってみました。
「和中庵」は、滋賀県近江五箇荘出身の繊維製造販売(スキー毛糸)業者、藤井彦四郎(1876年-1956年)が1926(大正15)年に鹿ヶ谷の山裾の林を開拓し、贅を尽くし、粋を凝らして建てた広大な庭園を持つ邸宅です。(京都市左京区鹿ケ谷桜谷町)
中庸から採った「何事にも偏らず公平に」をモットーに、「和中庵」と名付けられ、皇族を始めとして、多くの来訪者を迎えました。
1949(昭和24)年にノートルダム教育修道女会が取得、修道院として改造・利用した後、2008(平成20)年にノートルダム女学院中学高等学校に移管されました。
京都市バス5番系統の真如堂前または錦林車庫前から東に向かって坂を上がっていくと、徒歩約10分で着きます。
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先ず、洋館から入ります。
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1階南側の
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階段を上って、
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階段途中の上向きの灯りと羊頭の飾り。
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二階のホール広間。修道院時代には聖堂として使われていました。
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暖炉。
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シャンデリア。
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床板は寄木細工で模様が描かれていました。
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聖堂を出ると、渡り廊下で客殿に繋がっています。
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渡り廊下に入る天井の飾りは和洋折衷になっています。
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渡り廊下から客殿を見たところ。
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渡り廊下から見た洋館。
南側にノートルダム女学院中学高等学校の校舎、西側にははるかに市街地が見渡せます。
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客殿の大広間。
修道院時代には、板張りになり、修道女の居室になっていました。
書院造りに欄間や床の間の天井に数寄屋風の意匠が取り入れられ、藤井彦四郎自身が設計に関わり、作り上げた見事な建築です。
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客殿の東と南側に庭があります。
東山から清らかな水が流れ出し、石橋が架けられています。
南庭には大きな井戸のような設備があり、お茶室に行く手前のつくばいになっていたのかもしれないそうです。
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洋館1階から下の段にあるお茶室に向かって下っていく階段がありました。
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洋館の西側には洋館の二階から行き来できるように繋がっていた本館がありましたが、老朽化していて壊され、この蔵跡の建物だけが残っていました。
洋館、奥座敷(客殿9、蔵、お茶室が残り、2014年から2015年にかけて改修工事を経て教育施設として、活用されています。
藤井彦四郎は、1934(昭和9)年に出身地である滋賀県五家荘にも自邸を建て、客殿と洋館、琵琶湖を模した池のある庭園は、滋賀県指定有形文化財になっています。