ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

新緑の法金剛院

2006-05-30 06:19:09 | お庭
妙心寺から御室仁和寺前まで行きましたが、ここでもお目当てのお店がお休みで振られてしまい、双ケ丘の麓を歩いて花園駅前の法金剛院に行きました。



平安時代の末に鳥羽上皇の中宮待賢門院が復興して、極楽浄土を模した池泉回遊式の庭園を作らせたものです。関西花の寺第十三番霊場となっており、四季いろいろのお花で楽しめるお庭です。



蓮の花がたくさん咲くようですが、見頃は7月初めから8月上旬だということです。




今は池の縁のカキツバタがきれいでした。












サツキもちらほら。








アジサイもこれからでした。




ウツギがきれいです。




オダマキも。




新緑が美しく心癒される静かなお寺でした。
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妙心寺でお茶会にふられる

2006-05-29 00:06:24 | ぶらり都めぐり
サントリー「伊右衛門」のお茶会が何回か催されていて、無料でお煎茶の会に参加できるというので、28日午後の部に出かけました。

ところが、整理券配布開始の1時に5分前に行ったところ、妙心寺退蔵院の前にはこの行列。

行列に並ぼうとすると、「定員になりましたので、申し訳ないですが」とお断りされてしまいました。(涙涙)

仕方がないので、妙心寺の本坊と大通院を参拝して帰りました。


多色の幟がつけられているところが法堂(はっとう)で1656(明暦2)年の再建。天井に狩野探幽筆の八方にらみ雲龍図が描かれています。
法堂の中に日本最古の鐘(698年)という国宝の鐘もありました。




浴室は1587(天正15)年に塔頭太嶺院(廃寺)の密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うために創建したもので、明智風呂と呼ばれています。蒸し風呂、いわゆるサウナ形式で、4と9のつく日だけお風呂が沸かされたそうです。


次は山内一豊と千代のお墓がある大通院。大河ドラマにあわせて特別公開されていました。山内家とこのお寺の関係は、一人娘のよねさんが地震で亡くなった頃に、千代さんが拾って養子として育てた子供が成長して湘南国師となり、このお寺を再興して山内家の菩提寺にしたのだそうです。



門は額縁のように向う側の景色が見えるので「額門」と呼ばれています。また、参拝に来た殿様が馬に乗ったまま門をくぐれるように背が高く作られているので、「馬上門」とも言われています。




もみじの緑がすがすがしい参道を通って行くと、




一豊と千代が祀られている霊屋(おたまや)があります。




二つの供養塔の大きさが同じなのは当時としては珍しいと言われていますが、今日の解説の方は「千代さんの方がやや大きいように見えるのはまさにこの夫婦の力関係です」とまで言っておられました。




霊屋の横手の墓地に小さなお墓があって、千代が徳川勢の陣地にいる一豊に石田三成の動静を書いて送った密書を運んだという家来田中孫作の墓だということでした。




「伊右衛門」お茶会にはふられちゃったし、当然もっくんにもりえちゃんにも会えなかった。上川隆也と仲間由紀恵の写真で我慢しておこう。

そうだ、一豊の通称は「伊右衛門」って言うんだったなんのこっちゃ。

それから、このお寺の庭は江戸時代の「都林泉名勝図絵」にも出るくらいだったけれど、明治の廃仏毀釈で取り払われてしまって、石木が平安神宮に移されたそうです。




コウホネの花。




門前の溝に黄菖蒲がたくさん咲いていました。
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北京故宮博物院展

2006-05-28 05:42:52 | ぶらり都めぐり


「北京故宮博物院展-清朝末期の宮廷芸術と文化-」も見にいきました。
西太后と清朝最後の皇帝溥儀に関連する故宮博物院の所蔵品が展示されていて、西太后が幼帝の後ろで政治を行った「垂簾聴政の間」の復元や、豪華な衣装、溥儀が使っていた自転車、めがね等がありました。

美術館「えき」KYOTO(JR ISETAN7階)で、5月28日(日)まで。午前10時~最終日は午後5時閉館、入場締切午後4時30分。
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京都国立博物館

2006-05-28 04:58:47 | 建物(京大以外の京都府の)
5月26日夕方「大絵巻展」を見に京都国立博物館に行ってきました。

6月4日までの開催だけれど、金曜日の夜は8時半まで開館時間が延長されているので、ねらい目だと思ったのです。(入場時間は7時半まで)
人出は、平日のこの時間なので幾分少な目だろうと思いますが、それでも、源氏物語と鳥獣戯画の部分は20分待ちの行列で、その他のところもなかなか人の列が途切れないので、最後のほうから空いている場所を選んで見ていきました。

絵巻は国宝や重文のものばかり、ものすごくたくさんの陳列で、圧倒されました。しかし、どれも一部分なので、一つの絵巻の続きをじっくり見てみたい気持になって何か物足りなさが残りました。
印象に残ったものは、「桑実寺縁起」。この前行った安土町にあるお寺です。


京都国立博物館旧本館と旧正門は、1895(明治28)年築の煉瓦造り、片山東熊、足立鳩吉の設計です。


よくこんなエキゾチックな建物を建てたものだと感心してしまいます。












建物の内部も、真っ白なコリント式の列柱と天井やドアの装飾が素晴らしかったけれど、撮影禁止でした。
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2006年5月安土の旅 もくじ

2006-05-23 01:54:54 | 近江の国
2006年5月21日、滋賀県の沙沙貴神社、伊庭邸、安土城に行きました。


 

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信長の安土城

2006-05-22 07:14:56 | 近江の国
安土に行ったら、やはり信長の遺跡に触れたいと、「安土城考古博物館」と「安土城天主 信長の館」に行ってみました。
沙沙貴神社、旧伊庭家住宅を見てから一旦安土駅まで帰り、レンタサイクルを借りて向かいました。

JR安土駅の前には信長のこんな像が立っています。



駅前から徒歩25分もかかるのに、バスの便もないので、レンタサイクルを借りました。これが、2時間まで500円、それを越えると1000円というお高さ、始めに聞いたもう1軒の店では2時間まで500円、3時間まで700円というのでした。
何としても2時間で帰ってこなければとあせりました。
沙沙貴神社に行く前から借りていたら、絶対2時間は越えていたから、借りずに歩いて行って正解でした。



雲一つない晴天の下、さわやかな風を受けてサイクリング、田んぼの中の道をチャリチャリして約10分。
おーっこれがあこがれの安土城のあった山です。
山というより小高い丘で、すぐ西の方には「西の湖」があり水郷めぐりの舟が出ているらしいです。安土城跡の発掘調査と環境整備が進められていて、春には桜がきれいだそうです。山にも登ってみたかったけれど、時間制限と体力の限界を感じてあきらめました。



安土城の山の右方にもっと高い山があって、山全体が佐々木六角氏の本拠観音寺城だったところです。
その山の麓に、「安土城考古博物館」と「安土城天主 信長の館」「文芸セミナリヨ(音楽
演劇などの文化施設)」「安土マリエート(体育館らしい)」などの建物群があり、一帯が歴史公園になっています。
よく電車の窓から眺めて何だろうと気になっていたところです。



これが滋賀県立安土城考古博物館。
第1常設展示が「弥生・古墳時代の近江にタイムスリップ」で、第2常設展示が「安土城と信長の謎に迫る」です。今は6月4日まで特別展「吾、天下を左治す。大王と豪族」という古墳時代の展示もしていました。
大型の模型やジオラマ、映像、コンピューターを使った展示がされていて、大人も楽しく、子供にも学習に役立つようになっています。中世の城の変遷や六角氏の資料が表わされていておもしろかったです。時間があったらゆっくり見に来られたらいいなと思いました。



中庭とそれを取り巻く回廊があって、回廊の横の部屋で発掘された遺物の整理、復元作業をしているのを回廊から見学できるようになっています。


次は、「安土城天主 信長の館」。1992年にスペイン、セビリアで開かれた万国博の日本館のメイン展示として、安土城天主の最上部が内部の障壁画と共に原寸大で復元され、その後安土町が譲り受けたものです。
安土城は1579(天正7)年に建築された日本で最初に天守閣を備えた城で、高さ46メートルの世界で初めての木造高層建築でしたが、1582年本能寺の変の後、半月足らずで焼失してしまいました。



あまり大きすぎて全体像が入りません。



金ぴかです。



お城の全体像はこんなんです。



紙人形で信長の生涯を表わす企画展示もありました。

付近は「近江風土記の丘」として、県内各地から移築された建物がいくつかあります。
その中の「旧柳原(りゅうげん)学校校舎」。明治9年、新旭町に県下で初めて建てられた洋風学校建築です。
他には「旧安土巡査駐在所」「旧宮地家住宅」があります。

「安土城考古博物館」の入場料は大人350円、「安土城天主 信長の館」は500円、共通券は680円、今は特別展示とのセットで1,050円でした。
なお、6月4日には「あづち信長まつり」が開催され、武者行列などが行われるそうです。


その他に、安土の町を歩いていると、あちこちに古い町並みが残っていて、花もたくさん咲いているし、いい感じの町です。




安土町もなかなかおもしろい、特に安土城跡にはまた来て登ってみたいものです。
が、何しろ、交通の便が悪いのが最大の難点です。レンタサイクルのお高さと、車もない、自転車に乗れない人のことを考えたら、駅からこのゾーンまでのバスを絶対運行してもらいたいものです。
おーい、滋賀県、何をしている。箱ものを建てたらいいっつうもんではないでしょう。
町のあちこちに「福祉自動車」なる乗り場があったのですが、どんなものなんでしょう。福祉用と観光用を兼ねたらどうでしょうかね。

もう一つ言いたいことは、駅前に「味の楽市」というお食事処があるのに営業していなくて、安土城考古博物館ゾーンのレストランまで行かねばお昼を食べることができなかったことです。日曜日に営業してなくて、観光安土と言えるでしょうか。
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旧・伊庭家住宅

2006-05-22 06:41:40 | 建物(滋賀県)
ヴォーリズが設計した旧・伊庭家住宅が沙沙貴神社の近くにあります。
近くにあるというので、隣接していると勘違いした私は沙沙貴神社の周りをうろうろして探しましたが見つからず、結局神社の人に尋ねてやっとわかりました。
すると、来る途中で見かけた三角屋根の洋館がそうでした。あれじゃないかと思ったんですよね。
迷った原因は安土町の観光案内図にも出ていないし、一般には「郷土館」という名前で出ていて、駅から郷土館までは道路上に案内矢印が書いてあったのですが、沙沙貴神社からは何も誘導がなかったのです。

神社から数百メートル離れた田園地帯の中にありました。木造3階建天然石スレート葺き切妻屋根、外壁はハーフティンバーと呼ばれる赤い化粧梁が目だってきれいです。
建設は1913(大正2)年。住友家第2代総理事の伊庭貞剛が4男慎吉氏のために建てた家です。
伊庭慎吉氏は画家でしたが、沙沙貴神社の神主に就任してここに住み、後に安土町町長もされています。



建物は人出に渡り何度か改装され、荒れ果てていたそうですが、現在は安土町の所有になり、修復されて時々使われているようです。

今回は6月4日までの日曜日だけ公開されていて、ボランティアの人達が案内してくれています。見学の人も何組か来ていましたが、ボランティアの人も5人以上はいて各組について丁寧に解説してくれていました。



1階には和室が4つ。外観の洋館からは想像できない書院風の立派な和室です。



奥様の部屋には階段下に本棚のような収納部分も作りつけられていました。



1階の洋室食堂。



洋室の暖炉のタイルがきれいです。



洋室の前にはサンルーム風の部屋があって、後で増築された部分かもしれないと言われましたが、こういうサンルーム好きです。



階段下のホールには和風の流しが作られていて汲み置き水でちょっとした手洗い等できるようになっています。



和室廊下の天井は網代張りでした。



階段をあがって、



2階には、アトリエと寝室、使用人の部屋があります。



アトリエの暖炉。



さらに3階への階段があります。ベランダに出られるようになっているそうですが、3階には上がれませんでした。

外観は洋風なのに、中には巧みに和風が取り入れられていて、違和感なく溶け込んでいて、とても住み易そうなお家です。
フランスに留学して絵を学んだ画家でありながら、神社の神主でもあった住む人の生活をよく理解して建てられていると思いました。
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沙沙貴神社の百花苑

2006-05-22 01:57:07 | 近江の国
沙沙貴神社は安土駅からすぐ近くだというイメージを持っていたので、駅前のレンタサイクル屋さんで勧められたのを断って、歩いて行きました。それが結構あったのです、私にとっては。
JRの踏み切りを超えて歩いていくと、田んぼの中の鎮守の森という感じの所が沙沙貴神社でした。


小さな神社だろうと思っていた予想も覆されて、結構大きくて立派な神社でした。



蒲生地方の古代豪族「沙沙貴山君」と、近江源氏「佐々木六角氏」の氏神として崇拝され、全国の佐々木氏の元締めとなっている神社です。



祭神は少彦名神(すくなひこなのかみ)。「磐境(いわさか)」と称する石が信仰の対象となっています。勾玉の後ろの大きな石です。

本殿の大屋根の下に大きな蜂の巣がありました。恐ろしや。


絵馬堂にこんなのもありました。
そんなことより、

境内には「近江の百花苑」と称して、いろいろな植物が植えられていて、それぞれに名札がつけられているので、楽しく見てまわりました。
先ずは実を食べるとおいしかったので「むべなるかな」と感嘆されたというムベの木。



赤花トキワマンサク。



カキツバタ「鷲の尾」。



斑入り葉ウツギ。



姫ウツギ。



ムサシアブミ。



鬱蒼とした森の木陰にウラシマソウの自生地がありました。



ウラシマソウ。ムサシアブミと同じサトイモ科の仲間ですが、残念ながらもう終わりかけで、釣竿のような長いひもが花の先から伸びているのは見ることができませんでした。






シャガの群生もありました。



お茶の木もありましたよ。
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沙沙貴神社のなんじゃもんじゃの木

2006-05-22 01:37:34 | 近江の国
滋賀県安土町の沙沙貴神社に行きました。
境内に「なんじゃもんじゃの木」があって、今花盛りでした。


本名は「ヒトツバダコ」というモクセイ科の植物、成長すると30メートルにもなる落葉樹で、日本では対馬と木曽川沿いに自生しているそうです。この神社の境内には何本かが植えられていました。
1週間くらいが見頃だそうです。




花びらが4枚に見えますが、実は1枚が4つに裂けたものです。
木全体が白い花で覆われて雪が積もったように見えます。
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任天堂旧本社

2006-05-21 02:31:25 | 建物(京大以外の京都府の)
正面橋を渡ってすぐ西に任天堂旧本社(今は正面営業所)があります。
1933(昭和8)年の竣工、増岡建築事務所の設計です。鉄筋コンクリート造りタイル貼りだけど、一部屋根には日本的要素も加えられています。






花札からトランプの製造で成功をおさめた任天堂が本社社屋として建てた建物で、当時としては先進的なデザインに凝った建物。中でも、玄関を入った所のアール・デコの装飾は出色だとか、外から写真を撮るしかないけれど、一目この中を見てみたいものです。




営業棟の後ろの方に住居部分、倉庫棟もあります。



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上御霊神社のイチハツ

2006-05-20 18:54:04 | ぶらり都めぐり
5月14日上御霊神社にイチハツを見に行きました。
地下鉄鞍馬口駅で降りて徒歩3分くらいで行けます。






こちらの神社では5月の始めより神さんがいらっしゃっていて、18日は還御祭ということで、お神輿が3基拝殿に鎮座していました。

毎月18日には「さえずり市」も開かれているそうです。




イチハツは南門外の溝の中にたくさん咲いていました。












アヤメ科の植物の中で一番早く咲くから一初と言われている花。水がなくてもきれいな花を咲かせていて、紫色が目に沁みる美しさでした。
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鷺森神社

2006-05-20 18:28:49 | ぶらり都めぐり
修学院離宮と曼殊院の間に鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)があります。
観光地ではない静かな境内、秋は紅葉に染められますが、今はもみじの緑を始めとして、新緑がとても美しいです。
参道のお掃除をしてくださっている婦人と、散歩をする人、親子で遊んでいる人などがちらほら、本殿の方はとても静かな鬱蒼とした森の中です。


新緑がみずみずしい参道。




美しく整った本殿。祭神はスサノオノミコト。元は平安時代貞観年間に赤山明神の辺りに祀られていましたが、応仁の乱で社殿が消失、修学院の山中に移されていたのが、後水尾上皇が修学院離宮を造営するにあたり、1689(元禄2)年よりこの地に社地を賜って、修学院山端地域の氏神神社として続いているものです。
この本殿は1775(安永4)年に改築されたものです。




拝殿の奥に見えるのは正面参道。





拝殿の横に「左京区民誇りの木」の大きな杉の木が立っていました。








参道の半ばにあったヤマザクラは京都市指定の保存樹。
花は見事な白色で花径は3センチを超え、香りが強いのも特徴です。品種改良が盛んだった江戸時代に生み出されたものだそうです。
来年の春には咲いているところを見に来たいものです。
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曼殊院の黄菖蒲

2006-05-20 17:47:37 | ぶらり都めぐり
ブログの皆さんの報告で曼殊院の黄菖蒲がきれいに咲いていたのは去年の五月下旬、今年もそろそろではないかと見に行ってきました。(5月20日)

門の前にある弁天茶屋の池のはきれいに咲いていて見頃でした。








弁天堂の後ろの湿地の方はまだちらほらというところです。弁天池にたくさんがいました。
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正面橋で見つけたもの

2006-05-20 02:59:24 | ぶらり都めぐり
洛東遺芳館を見た後川端通りを下って、正面橋を渡りました。
正面橋は五条大橋と七条橋の間にある車線1本くらいの小さな橋。
正面通りを東に行くと、豊国神社に突き当たる真正面に当たるというのでつけられた通りの名前だそうです。


橋の上から流れを見下ろすと黒い鯉がたくさん泳いでいました。家族連れのようです。
あまりたくさん群れているので、川辺を散策する人達も立ち止まって見ていました。
鯉ヘルペスはもう収まったのかな。




橋の西のたもとに鐘の落し物がありました。
誰か持ち主を知りませんか?
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洛東遺芳館

2006-05-19 06:20:23 | ぶらり都めぐり
京の豪商であった「柏屋」現柏原家のお屋敷が「洛東遺芳館」として春と秋に年2回公開されています。
5月5日、この春の公開はこの日までだというので急に思い立って行ってきました。


東山区問屋町通り五条下ル、問屋町通りは川端通りから東へ1筋目なので、京阪五条から歩いて3分くらいですぐ行けます。拝観料300円。
建物は1763(宝暦13)年の建築、数百年来の商家の体裁を保っている京でも数少ないものです。昔の写真によると、問屋町通りに向かって商いされていたようです。
柏屋は1645(正保2)年より熊本出身の初代がこの地で京小間物・扇子等を鬻ぎ、徐々に身代を築いて寛文(1661~)頃より江戸に進出、木綿店・漆器展・紙店等を経営、寛政頃には江戸一の豪商となっています。
明治終わり頃東京に本拠を移し、営業主力を紙において柏原紙商事として現在も営業しています。展示館の中にあった日本橋近くの漆器店も古そうな建物で、今もそのまま使われているそうですから、いつか見てみたいものです。


立派なお玄関。




玄関脇に井戸があります。




玄関にあったねずみの靴べら。こいちゃさんが靴べらだと確かめられなかったそうなので、確認してきました。




たくさんのお座敷が続いています。












お庭も手が行き届いていて、心安らぐ日本庭園です。
連休中で公開最後の日だったせいか4・5組の拝観者がありましたが、それでも広いお屋敷なので、静かにゆっくりと見学させていただくことができました。












二階に上がる階段は箱階段になっています。古風で素敵な暖簾がかかっていましたが、真ん中部分が大きく破れていたので、横側からそっと入りました。見学者が通る所にこういう貴重な品を掛けておくのはやはり無理があったのでしょうか。監視の方も誰もいないし。心が痛みました。




屋根の上にはお猿さんが鬼方を守っていました。




お蔵の中の展示館では今期の特別展示をしていました。
写真は写せませんでしたが、おもしろかったのはカツラの着せ替えができるお人形です。娘の髪型から年増の髪型まで、年を経るにつれて変わる髪形のお勉強になったのでしょうか。




雛道具の中に、こいちゃさんの記事にもある「ねずみ取りに捕まったねずみ」もありました。








寄木細工の箪笥や小さな楽器まで、すごく精巧にできている。
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