ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

堺筋倶楽部

2015-11-02 00:35:13 | 建物(大阪府)
2015年11月1日の大阪建物散策の最後は、「堺筋倶楽部」です。この日は10時から17時までの間、館内を自由に見学することができました。

元は関東の川崎財閥が経営した川崎貯蓄銀行の大阪支店として、1931(昭和6)年に建てられました。設計者は川崎貯蓄銀行建築課で、東京川崎財閥系の建築物を多く手がけた矢部又吉の設計と推定されています。矢部が建築設計を学んだプロイセンのバロック・新古典主義の歴史的な建築様式が採用されており、日本の近代建築としては珍しいそうです。 



大阪市中央区南船場1-15-12。地下鉄堺筋線長堀橋駅から北へ三筋、堺筋に面して建っています。2001年からはレストランとして活用され、1階の元営業室はイタリアン、2階3階の元役員室や金庫室、電話交換室などはフレンチ、4階の元集会室はパーティスペースとなっています。









先ず、レトロな階段を上がって、上の階から見学しました。この建物にはエレベーターがありません。



フレンチレストランの個室。



パーティスペース。結婚式場としても使われます。







洗面所も優雅です。



1階は銀行営業室の面影が残っています。



その天井は3階まで吹き抜けになっています。


元の金庫はワインセラーとして使われています。時計は11時55分で止まっています。



この日はミニコンサートが行われていたようです。



床のタイルが素敵!



ランチとまではできませんでしたが、優雅にお茶をいただいて帰りました。

大大阪時代の堺筋の繁栄をそのままに、今も優雅に、堂々と、建物の内外ともあまり変えることなく上手に活かされ使われています。
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大阪農林会館

2015-11-02 00:34:13 | 建物(大阪府)
原田産業株式会社本社ビルのすぐ近く、三休橋筋と 安堂寺橋通りの交差点に大阪農林会館があります。


大阪市中央区南船場3-2-6。1930(昭和5)年築。三菱合資会社地所部設計。
元は三菱商事大阪支店として建てられ、戦後、農林省関係のビルとなり、1972(昭和47)年に株式会社大阪農林会館として貸しビル業となりました。 







三休橋筋側の入口。


中には地階から5階まで、たくさんのショップが入って営業しています。


1階ホール。大理石の壁、床はタイル、大きな古時計、天井にはシャンデリアがあります。


ホールから二階に続く階段。


階段の床は長年の使用で擦り減っています。


上の階の「郵便差入口」から郵便物を投入し、1階からまとめて発送する箱の名残りがありました。


今は使われていなくて、エアコンの配管が通されていました。


郵便物の収集時刻が書いてあります。

レトロな建物を活かして、おしゃれなお店がそれぞれに営業しておられます。

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原田産業株式会社大阪本社ビル

2015-11-02 00:32:32 | 建物(大阪府)
新井ビルのある北浜地域から地下鉄堺筋線で二駅南下して、長堀橋駅で降りて少し歩き、三休橋筋近くにある原田産業株式会社大阪本社ビルに行きました。


大阪市中央区南船場2-10-14。1928(昭和3)年築。小笠原建築事務所小笠原祥光の設計。
1923年に創業した貿易商社の本社として、1928年に建てられ、現在まで続けて使われています。
2階建ての小ぶりな洋館、左右対称をわざと崩したデザインや重厚なエントランス、バルコニーを持つ大きなガラスの開口部が特徴的です。





内部も、吹抜のホールと優雅な階段の曲線など、見所いっぱいらしいのですが、ガイドツアーの時間に行けなかったので、内部の写真はこちらからご覧ください。




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新井ビル

2015-11-02 00:31:17 | 建物(大阪府)
大阪証券取引所ビルから堺筋を南に下がってすぐの所にある新井ビルに行きました。


元は報徳銀行大阪支店。大阪市中央区今橋2丁目、境筋通りに面しています。
1922(大正11)年の建築。設計は皇居二重橋や奈良ホテル等を設計した河合浩蔵 。国登録有形文化財。

現在は洋菓子屋さん「五感・北浜本館」 がテナントとして入っているので、お店や喫茶室の様子は前に行った時の記事に書いてあります。

 

今回は「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪2015」 の特別公開なので、上の方の階や屋上まで見せていただきました。



1・2階は洋菓子の「五感」が入っていますが、他に地下にはヘアーサロン、3・4階には設計事務所等のテナントがたくさん入って利用されています。


屋上。まわりにより高いビルが建ってきているので、見晴らしはあまりよくありませんが、元のままに保たれていたのはよかったです。

船場に残る近代建築のオーナーが中心となり、大阪の文化遺産である近代建築の魅力を様々な方法で発信しているグループ「船場近代建築ネットワーク」に当ビルも参加しています。
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大阪証券取引所ビル

2015-11-02 00:29:52 | 建物(大阪府)
2015年10月31日に続いて、11月1日にも、「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪2015」に出かけました。

この日は先ず、企画の案内所にもなっている「大阪証券取引所ビル」から。

京阪電車北浜駅を降りてすぐ、半円形の特徴ある建物の前に若き五代友厚の銅像が立っています。
前面部分は1935(昭和10)年に長谷部竹腰建築事務所の設計で建てられた5階建て、全面御影石貼りの旧市場館の外観を保存、その後ろ側に2004年11月に地上24階、地下2階、塔屋1階の新しい建物が付け加えられました。
後ろの建物があまり目立たず、大阪株式取引所時代の町の繁栄を偲ばせる旧市場館の外観を保存できたことは、よかったのだろうと言えます。


前面ドーム部分は楕円形で、吹き抜けになっています。



窓のステンドグラス。


エレベーターに乗り、4階に上がると、大阪証券取引所の歴史や、株式やデリバティブについて学べるOSEギャラリーがあり、月曜日~金曜日、9時~16時30分に自由に見学することができます。

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グランサンクタス淀屋橋

2015-11-01 00:27:25 | 建物(大阪府)


建物が気に入って写真を撮って帰りましたが、その位置(大阪市中央区今橋3-2-2)から名前を調べると、「グランサンクタス淀屋橋」。って?何かと思ったら、以前には(1968年から)「八木通商」という繊維商社の本社屋だったのです。

元々は大阪農工銀行の建物。1917(大正6)年、 辰野金吾の大阪事務所が設計を担当し、赤レンガのデザインでしたが、前面道路の拡幅に伴い、1929(昭和4)年に國枝博という建築家の改修によって、道路側の壁面はアラベスク文様や唐草文様のイスラム様式のテラコッタタイルで覆われ、辰野の作風とはまったく異なる建築に変わりました。

八木通商の建物を2010年頃に不動産会社が取得してマンションに建て替えるにあたり、コストはかかるものの外壁保存によっ て行うことに。大阪市船場地区の建築制限上、外壁の位置を現状より奥に後退しなければならないという問題が立ち塞がりました。そこで内側と3階部分を解体した後、L字型に残った全長30m、重さ600トンの外壁を水平移動させる曳家工法という難工事を実施。その完了後、内側に地上13階、地下1階建てのマンションを建設し、2013(平成25)年に完成しました。 



新旧のデザインがあまり違和感なく見えるのは、色が統一されていること、開口部を縦長に統一したことによります。



大がかりな工事を行って、テラコッタタイルの外壁がそのまま残されて、とにかくよかったです。

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高麗橋野村ビルディング

2015-11-01 00:26:20 | 建物(大阪府)
生駒ビルヂング から堺筋を3筋上がると高麗橋通りの角に現れる「高麗橋野村ビルディング」。

大阪市中央区高麗橋2丁目1。
1927年築。設計は安井武雄、大林組施工、当時としてはまだ珍しかった 鉄筋鉄骨コンクリート造。戦前は地上は6階まででしたが、戦後に7階が増築されたそうです。 
東南角のカーブが特徴的、外壁のテラコッタの装飾に温かみを感じます。
1階は喫茶店、上階はオフィスが入っています。 



何度見ても気になる建物です。







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生駒ビルヂング 2015

2015-11-01 00:25:18 | 建物(大阪府)
船場ビルディングから東へ3筋で堺筋通りに着き、北に1筋上がると、生駒ビルヂングがあります。



大阪市中央区平野町2-2-12。
1930(昭和5)年建築のアールデコ様式。
宗(そう)建築事務所(大倉三郎、脇永一雄)の設計です。
国の登録有形文化財。






生駒時計店は明治3年淀屋橋筋で操業し、1923年「株式会社生駒商店」に、1954年に「生駒時計店」に社名を変更しました。建物は2002年に改装して、レンタルオフィス、貸し会議室などとして活用されています。


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船場ビルディング

2015-11-01 00:23:53 | 建物(大阪府)
綿業会館から三休橋通りを北へ2筋上がり、淡路町通りを東へ行くと、北側にあります。地下鉄堺筋線・京阪「北浜」駅、または地下鉄御堂筋線・京阪「淀屋橋」駅、地下鉄御堂筋線「本町」駅からいずれも徒歩7分 。

大阪市区淡路町2-5-8
1925(大正14)年築。設計は村上徹一
耐震耐火鉄筋コンクリート、レンガ工法 。
登録有形文化財。


地下1層、地上4階、塔屋1層の住宅兼事務所ビル。外観はタイル張オフィスビルの意匠ですが、内部中央に細長いパティオ風の中庭を設けて吹き抜けとし、その周囲に回廊を巡らす特色ある造りになっています。


・営業時間  平日7:00~19:30、土曜日は17:30まで
・休日  日曜・祝日

見学には事前連絡が必要ですが、10月31日と11月1日は「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪」の企画で各5回、見学することができました。


中央入口から入ると、エントランスの奥に細長い中庭があり、木レンガが敷かれています。問屋街として発展した船場という土地柄に合わせて、トラックや荷馬車などを引き込むのに便利な機能性を重んじた設計でした。

バブル崩壊後には空室も目立ち、取り壊されようとしていましたが、1998年二見恵美子氏の働きかけによって改装 し、通り沿い店舗のテントやドア、回廊に面した部屋の看板などの統一を図り、中庭には植栽やベンチを配置、屋上緑化も施しました。竣工当時のモダンさを取り戻すだけではなく、中庭に緩やかに注ぐ光や風を感じられる豊かな空間へと生まれ変わり、現在では建築・デザイン事務所やギャラリーなど多彩なテナントが入居しています。







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綿業会館

2015-11-01 00:22:23 | 建物(大阪府)
近代大阪の発展を支えた紡績業、繊維問屋が集まって栄えた船場の栄華を今に伝える街のシンボルが「綿業会館」です。
当初は繊維業界の発展と懇親を目的としていましたが、現在では繊維以外の各業界にも門戸を開放している会員制のビジネス倶楽部の会館です。 

大阪市中央区備後町2-5-8。輸出繊維会館から備後町通りを東へ2筋目、三休橋通りに沿って建っています。
1931(昭和6)年築。設計は渡辺節設計事務所、ヘッドドラフトマンには村野藤吾が参画しました。本館は地上7階、地下1階 。豪華さ重厚さは昭和初期の名建築として高く評価されており、平成15年に重要文化財の指定を受けました。 










館内見学が毎月第4土曜日に開催されているそうなので、一度は見に行ってみたいものです。

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輸出繊維会館

2015-11-01 00:19:14 | 建物(大阪府)
大阪の繊維輸出業界が隆盛の時代に生まれた会館。

大阪市中央区備後町3-4-9 。大阪メトロ御堂筋線本町駅から 徒歩2分 
1960(昭和35)年築。鉄骨鉄筋コンクリート造。設計は村野藤吾。


外壁は疑似石貼り風で、窓のコーナーが丸みを帯びているのが特徴。 
鉄筋コンクリ-ト造り、地下3階 地上8階建て、塔屋付。



大阪を拠点に数多くの名作を設計した建築家・村野藤吾の設計。といっても、外観は一見派手さのないビルで、思わず通り過ぎてしまいそう。し かし、内部の壁画は堂本印象によるもので、モザイク・ガラス製。優美な階段の曲線も見物で、NHK「美の壺」に出たそうですが、見学は予約していなかったので、見ることができませんでした。 


2020年現在は貸しビルになっています。
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高島屋大阪店(南海ビル)

2015-11-01 00:17:58 | 建物(大阪府)
高島屋東別館から西北に向かって歩いて10分程で、高島屋大阪店があります。

大阪市中央区難波5丁目1-5
南海電気鉄道難波駅に併設された 南海ビルディングとして、久野節建築事務所の設計、大林組の施工で、1932年に竣工しました。1972年から1980年にかけて行われた改装工事によって駅舎は南側に移動し、現在は高島屋大阪店のみとなっています。 
2011年1月に国の登録有形文化財に登録されました。


乳白色のテラコッタタイルによるコリント様式です。



建物の角が大きな曲線を描いているのが特徴です。






「南海なんば駅」という看板が出ています。


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高島屋大阪店東別館

2015-11-01 00:16:48 | 建物(大阪府)
大丸心斎橋店の次に高島屋大阪店の東別館に行きました。



大阪市浪速区日本橋3丁目5-25。大阪メトロ「日本橋駅」より徒歩約8分、堺筋に面して立っています。
1928(昭和3)年から1937(昭和12)年にかけて松坂屋大阪店として完成しましたが、1966(昭和41)年、松坂屋の天満橋への移転に伴って建物は高島屋に譲渡されました。 7階建て。設計は鈴木禎次。
2019年、高島屋東別館は国の有形文化財として登録されました 。


ルネッサンス様式の外観。堺筋に沿って続くアーケード上の11連アーチがシンボリックです。



上層部の小アーチと下層部の大アーチで三層構造になっています。



細かなテラコッタの装飾が施されています。


アーケード内部。床のモザイク・タイルはアールデコ・スタイル。 



入口上部。



入り口待合室の照明。 


3階に髙島屋史料館 があり、この期間、展示解説がされていました。
高島屋は1831(天保2)年に京都で呉服商を開業し、美術染織品や室内装飾にも力を注ぎました。長年の間収集した多くの史料、絵画・工芸・服飾などの美術作品を1970年から史料館として公開しています。国宝玉虫厨子の模造、平櫛田中の大黒天彫刻などが常設展示されています。

開館:10:00~17:00(入館は閉館30分前まで)
休館日:火・水曜日/展示替期間/年末・年始


難波の高島屋大阪店の東別館として、長く高島屋の事務所として使われていましたが、2020年1月から「シタディーンなんば大阪」という名前の外国人向け長期滞在型のホテルになっています。

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大丸心斎橋店

2015-11-01 00:15:36 | 建物(大阪府)
2015年10月31日と11月1日に「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪2015」という企画があったので、2日とも出かけました。


大阪市中央区心斎橋一丁目7-1
京阪淀屋橋駅から御堂筋線で心斎橋駅(南改札口)より地下道で直結、表側は御堂筋に、裏側は心斎橋筋に面しています。

本館は全面改装のため、2015年12月31日から休館し、 2019年9月にリニューアル再開したので、建て替えられる前に見ておかなくてはと、2015年10月31日に出かけました。

1717年に京都で創業した大丸呉服店が、心斎橋の地に店舗を構えたのは1726年。明治に入って1918年、建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリズによってゴシック様式の近代的な4階建の店舗が建てられました。ヴォーリズにとって商業建築はこれが初めてでしたが、1920年に火事で焼失してしまい、引き続きヴォーリズによって、1922年から1933年まで10年以上かけて、耐火耐震の鉄筋コンクリートで再建されたものが現在の建物です。大丸の構造設計は通天閣を設計した、内藤多仲が担当しています。地下3階、地上8階、塔屋5階。



御堂筋側の外観はネオ・ゴシック様式に基づくアール・デコ調で、落ち着いた印象です。北端上層に水晶塔があります。
(改修後の新本館は10階建て、7階までの外観は元のままで、水晶塔も残されています) 
















雪の結晶のような正面玄関廻りのデザイン。



御堂筋側玄関ホールの天井。




心斎橋筋側の正面玄関アーチには、テラコッタでつくられた大丸のシンボルであるピーコック(孔雀)が飾られています。







複雑に上り降りする階段と踊り場。



屋上。



1933年頃の7階洋食堂の写真。


1階の天井装飾、エレベーターホール、ステンドグラスや大理石、レリーフなど、ヴォーリズ建築の華麗な装飾がそこここに残され、見事なものでしたが、買い物客もたくさんおられたので、内部の撮影は不可でした。


北隣に建つ大丸北館。

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大阪倶楽部でにわかセレブを決め込む

2013-03-15 00:32:51 | 建物(大阪府)
大阪市中央区今橋4丁目、京阪淀屋橋駅から西南に徒歩5分にある会員制社交クラブ「大阪倶楽部」の会館。
会員相互と同伴者の交遊、会食、同好会活動に利用されていますが、会員でなくても会議、講演会、宴会、パーティー等で貸室利用することができます。
 
というわけで、こちらで開催されたさる宴会に初めて参加、「なんちゃってセレブ」体験をしてきました。


「大阪倶楽部」は1914(大正3)年に創建されましたが、初代の建物は1922(大正11)年に焼失し、この建物は1924(大正13)年に竣工されたものです。
鉄筋コンクリート造り(外壁は化粧煉瓦、テラコッタ)。登録有形文化財。
設計は安井武雄、高麗橋野村ビルディングもこの人の設計です。







西面3階の窓飾りが凝っています。



西側の道路際に並べて嵌め込まれている丸瓦の端のようなテラコッタは何のためのものなんでしょう。





南側正面。






玄関横に立つトーテムポールの上に不思議な鳥が止まっているようです。



玄関の戸を入ると、



すぐ正面に吐水口があります。




一階入った部屋すぐにバーがあるのはさすが会員制クラブらしく、しかも、そこは女性は入ることができないのです! 
奥には撞球場、



バーの右手の部屋は囲碁・将棋室です。



らせん階段で二階にあがると、




図書室。




広い談話室。
壁に掛かっているのは、あの大山崎山荘の持ち主加賀正太郎から寄贈された「蘭花譜」。
加賀正太郎も大阪財界人だったので、このクラブの有力メンバーだったのです。



常食堂。
こちらの部屋の壁には小磯良平等の絵が掛けられていました。
こちらで宴会があったので、2階までは潜入できましたが、3階の個室や4階ホールは見ることができませんでした。




談話室入口上部の壁紙。



談話室天井横の装飾。



建物全体としては、旧ローマ風南欧スタイルを取り入れた重厚な感じに仕上げられていますが、細部には東洋・中近東の模様があちらこちらに散りばめられていて、独特の風合いを醸し出していました。

にわかセレブの化けの皮はとうに剥がれ、ウロウロキョロキョロ探訪してしっかり眼の保養をさせていただきました。


なお、建物の見学は毎月第1土曜日に申込み制で行われています。

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