ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

堀野記念館にリベンジ!

2006-07-31 05:45:43 | ぶらり都めぐり
急に時間が空いたので、「そうだ!京の夏の旅、行こう!」と思いつきました。
地下鉄烏丸御池で降りて、「堀野記念館」はこの辺りだったと思いながら、正確な場所を忘れたので、駅の「地下鉄・市バス案内所」で尋ねました。「京の夏の旅の堀野記念館はどこでしょうか?」だって、そこは「京の夏の旅」のパンフレットが置いてある案内所だしー。
すると、そこにいた3人の方は誰も知らず、どこかに電話してやっとわかり、「新町御池を上ルだから、烏丸通りから西へ4本目です」と教えてくれました。
喜んで暑い暑い中を歩いて行きました。行けども行けども見当たらず、とうとう丸太町通りまで出てしまったので、見落としたのかいなと引き返してもなし、上ルと下ルを聞き間違えたのかなと思い、姉小路通りまで下がりましたが、やっぱり見つからず、もう、暑いし、足はよれよれになるし、疲れ果ててしまって諦めました。(涙涙)

家に帰って調べてみたら、何と!「堺町御池を上ル」だったのです。烏丸通りから東で、全然逆の方向じゃないの!(怒)

それで、
29日にリベンジ! 行ってきました、「キンシ正宗堀野記念館」



詳しくは、また後ほど。
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祇園祭のおみこし

2006-07-21 12:44:21 | ぶらり都めぐり
宵宵宵宵山に行った後,15日から旅に出ていたので、宵山も山鉾巡行も見れませんでした。
でも、祇園祭はまだ終わっていませんでした。7月31日までいろいろな行事が続いています。


18日に四条寺町の八坂神社お旅所の前を通りかかったら、いつもは観光土産品販売所になっている所におみこしが3基鎮座していました。金色に輝いてまぶしいくらいです。




ちょうど7時頃だったので、四条傘鉾のお囃子演奏が始まっていました。

まだ祭の雰囲気を十分味わうことができました。
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2006年信州の旅 もくじ

2006-07-19 04:26:28 | 遠出(国内)
2006年7月15日~17日に信州茅野・諏訪・松代へ行ってきました。









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みすず飴本舗

2006-07-18 00:58:33 | 建物(長野県)
上田市中心部に戻って来て、駅前で食事できるお店を探してうろうろしていると、・・・おおっ!
目に留まったレトロな建物
そこは「みすず飴本舗」のお店でした。飴と言っても、いろいろなフルーツをゼリー状にしたあの軟らかいなつかしいお菓子です。そうか、ここがみすず飴の本家だったんだ。



建物は1921(大正10)年の建築。






建物の雰囲気を残しつつ改装したり、いろいろレトロっぽい品々を集めておられるようでした。あれこれ見せていただくと共に、お土産にみすず飴やみすずあられをしっかり買わせていただきました。 飴の他にジャム等フルーツを原料にした食品がたくさん並んでいました。


上田は真田氏が松代に移封されるまでの城下町、真田幸村が徳川の大軍を二度にわたり退けたという上田城跡を始め、いろいろおもしろそう。ここもいつかゆっくり来て見たいところです。
信州の旅はこれでおしまい、次は土佐の旅です。

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無言館

2006-07-18 00:57:38 | 遠出(国内)
長野県上田市郊外に戦没画学生の絵を集めた美術館「無言館」があります。

昨年京都文化博物館にも一部が巡回で来ていて、その時いつか本館にも行ってみたいと思っていたのが、実現できました。

高原の小高い丘の上に教会を思わせるような建物、小さな入り口を入ると、そこがいきなり展示室でした。
壁はすべてコンクリートうちっぱなしのようで、十字型をした建物の壁面にたくさんの絵がかかっています。

戦争のために描きかけた絵を中断し、帰ったら必ず続きを描くと言って出征した人、愛するおばあさんや妹の絵をかき残して行った人、戦争のために描き続けることができず、死んでいった人達、学生だけでなく画家や芸術家がこんなにもたくさんいたのです。  

この方達の無言の叫びを感じて、見終わった私達も何もしゃべれず、黙って館を後にしました。私達にできる答えは、こんな戦争の時代が二度と来ないように、今できることをすることではないでしょうか。



帰り道、雨が上がって信州の山並みが清々しく見渡せました。


無言館は年中無休で、10時~17時入館まで。
入館料は500円~1000円の志を出る時に納めます。
無言館への行き方は、JR上田駅(新幹線も止まる)から上田電鉄別所温泉行きで塩田町駅下車、シャトルバスで約7分無言館入口下車、徒歩5分です。上田電鉄とシャトルバスはうまく接続されていて便利でした。

上田電鉄は廃線反対をさだまさし等がアピールしているらしいですが、長野電鉄よりずっとたくさん人が乗っていて、いろいろイベントもやってるらしくて、活気が感じられました。
上田市のこの辺りは別府温泉にかけて「信州の鎌倉」と言われるくらい、古刹が多く、ゆっくり巡るといいところだなあと、来てみて初めてわかりました。

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信濃川田駅

2006-07-18 00:55:30 | 建物(長野県)

長野電鉄「信濃川田駅」です。
松代から保科温泉への中継駅
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松代地下壕

2006-07-18 00:49:51 | 遠出(国内)
城下町松代のもう一つの顔、太平洋戦争の遺跡、象山地下壕を訪ねました。
第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営(日本軍最高指令部)、政府機関、天皇御座所などを松代に移すという計画の下に、舞鶴山、皆神山、象山の地下一帯に巨大な壕を掘り広げていました。
全部で10km以上が碁盤の目のように掘りぬかれ、そのうち象山地下壕は総延長5,853mで、約500m程が公開されています。







500mと言っても、歩いて往復すると、ものすごく長く、1km以上あるように感じました。
始めのうちは幅も高さも小さめでしたが、(それでも、人間が立って歩ける高さ)やがて、天井も高く、横幅も広くて大きなトンネルの中を歩いて行くようでした。横道が何筋も奥深く続いています。
壕の中は年中温度が一定で、今はとても寒く感じました。




旧式な工法で人海戦術でこの大きな地下壕を掘っていったのは、強制的に動員された延べ300万人もの住民と朝鮮人の人々でした。
昭和19年11月11日から昭和20年8月15日終戦のその日まで、当時のお金で約2億円の巨費を投じて掘られました。1日3交替徹夜で工事が進められ、過酷な労働と食料事情の悪さから、多くの犠牲者が出たといういことです。



朝鮮人犠牲者の慰霊碑がたっていました。



負けるとわかっている戦況の中、膨大なエネルギーと大きな犠牲を払ってまで、本土決戦、国体(天皇制)と天皇を守ることだけを考えていたなんて、なんとばかげたことだったのでしょう!
この戦争遺跡を一人でも多くの方に見ていただきたいものです。


真田宝物館から徒歩約20分、松代駅からは徒歩30分くらいで行けます。
9:00~16:00(入壕は15:30まで)入れて、無料。毎月第3火曜日と年末年始がお休みです。
是非、おでかけください。
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庭園都市・松代

2006-07-18 00:44:23 | 遠出(国内)
松代は、1622(元和8)年真田信之が上田から松代藩10万石の領主として移封されてきてから、10代250年間北信濃の文化の先進地として続いてきた城下町です。
真田信之は真田十勇士で有名な真田信繁(幸村)の兄で、関が原の戦いでは父昌幸と弟信繁が豊臣方についたのに対して、徳川方について徳川の時代に生き残りました。

真田家から松代町に寄贈された大名家の伝承宝物を収蔵している真田宝物館を見た後、町を散策しました。
松代の町のあちこちに武家屋敷やそれらしい門構えの家が残っています。

文武学校。松代藩は文武を奨励し、佐久間象山等の意見を入れて蘭学・西洋砲術も教えました。
1853(嘉永6)年建物が完成、1855(安政2)年に開校し、文学所、御役所、教室2棟、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所、番所等たくさんの棟が並んでいます。

真田氏の紋所、六文銭。「ろくもんせん」ではなく、「むつもんせん」と読むのだと初めて知りました。



真田邸は9代藩主幸教が母お貞の方のために建てた御殿で、建物改修中のため、お庭だけしか見ることができませんでした。ハンゲショウの葉が白く変わっていてきれいでした。



山寺常山邸。佐久間象山、鎌原桐山と共に松代の三山と言われた一人で、寺社奉行や郡奉行を務め、晩年は長野で塾を開き、門人の教育に努めた人です。
江戸時代末期に建てられた表門と大正末から昭和初期に建てられたと推定される書院が残っています。
広い池のある庭園と門の前の水路にも鯉が泳いでいました。



旧横田家住宅。150石の中級武家の住宅の特徴をよく表していて、重要文化財になっています。


ここのお庭にもハンゲショウがたくさん生えていました。
松代は泉水網が発達していて、庭に池を持つことが格のある武家のステータスだったそうです。

表門、主屋、隠居屋、土蔵が二つと庭園があるのに続いて、広い菜園があって、自給自足していたのでしょう。

まだアジサイがきれいに咲いていました。

松代にはこの他に、佐久間象山の象山記念館、象山神社、松代城跡、池田満寿夫美術館、松井須磨子生家等があって、ゆっくり廻ってみたい城下町です。

難点は、「エコール・ド・まつしろ」「遊学城下町」などと言って宣伝しているというのに、長野電鉄松代駅にコインロッカーがなかったことです。重い旅行かばんを提げて観てまわらねばならないのかと、目の前真っ暗になりましたが、真田宝物館に入ったら、コインロッカーに預けて他の所も廻れることがわかりほっとしました。
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片倉館

2006-07-18 00:39:05 | 建物(長野県)
上諏訪の町を通りすがりに、片倉館を見ました。大正から昭和の初期に絹製品の輸出で財を成した片倉財閥が地域住民に厚生と社交の場を供するため、昭和3年に建てた温泉保養施設で、今も千人風呂やラドン浴室が入浴料500円で利用することができます。

設計は森山松之助(1889~1949)によるもので、ゴシックリバイバルまたはロマンティックリバイバルに属すると考えられますが、親しみやすいデザインを取り入れています。



木の陰に隠れて建物がうまく写せませんでした。雨は降ってるし、汽車の時間も迫っていたので、心を残しながら駅に向かいました。
またいつか温泉にも入って、中のステンドグラス等ゆっくり見てみたいものです。



諏訪は静かできれいな街でした。
来年の大河ドラマは井上靖の「風林火山」で、諏訪氏の由布姫がヒロインということなので、この一帯も観光客がなだれこんできて騒然とするのかなあ。
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諏訪文化の香りに触れる

2006-07-18 00:37:55 | 遠出(国内)
茅野や上諏訪、下諏訪と、諏訪湖の周り一帯には美術館、博物館の類がいっぱいあって文化・芸術の香りにあふれていました。
限られた時間の中でマリー・ローランサン美術館と北澤美術館だけ駆け足で見てくることができました。

マリー・ローランサン美術館は、茅野駅からバスで約30分、バラクラ・イングリッシュガーデンからだとバスで約5分くらいで行けます。高野将弘が多年にわたって蒐集した個人コレクション100点余をもとに、マリーの生誕100年を記念して1983年に開館されました。
現在、没後50年記念展Ⅱ「ルオーとローランサン -パリの踊り子たち-」を開催中でした。ルオーとマリー・ローランサン、あまりにも画風の違う二人の絵が並んで出てきて驚きましたが、同じ時代にパリの劇場文化を吸収して生活した二人の画家を対比して展示していました。
これはおみやげ(自分への)のファイルシートとファスナーの飾り。



北澤美術館は、上諏訪駅からタクシーで約5分。北澤利男が長年にわたって収集した美術コレクションを一般に公開する為に設立した財団法人によって運営されており、コレクションはエミール・ガレに代表されるフランス・アール・ヌーヴォー期のガラス工芸700点と、東山魁夷等の現代日本画200点から成っています。


同じくおみやげの絵葉書。
有名な「ひとよたけのランプ」は思っていたより大型でした。ガラスという扱いにくい素材によくこんなに様々な色使いの模様やデザインを加えて芸術品に仕上げられたものだと感心してしまいました。でも、どちらかというとエミール・ガレよりルネ・ラリックのアール・デコのほうが好みに合うなあ~・・という(初心者)の感想。
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高原の初夏を楽しむ

2006-07-18 00:31:05 | 遠出(国内)
信州蓼科高原のバラクラ・イングリッシュガーデンに行きました。



名古屋駅より中央本線塩尻で乗り換え、茅野駅下車(2時間30分)。茅野駅からバスで約25分でイングリッシュガーデン前に着きます。



広大な敷地にバラやアジサイを始め様々な花や木々がイングリッシュ風に植えられていて、散策しながら楽しめます。



ちょうど梅雨の中休みの日で、日差しが強かったですが、木陰ではさわやかな風が吹き抜けて気持のいい日でした。



英国人(?)の園丁さんが庭の手入れをしていました。
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よいよいよいよい~♪山

2006-07-14 04:42:24 | ぶらり都めぐり
混雑を避けて今年は宵宵宵宵山の13日から鉾町散策に出かけました。


先ずは、東洞院通り松原の保昌山から。




東洞院通りを下ったところにある市原呉服店では大きな屏風が2枚も飾られていました。




次は新町通り高辻の岩戸山。お囃子の演奏が途切れた時に山の上に上がらせてもらえます。(300円) 生まれて初めて山鉾の上に上がりました。




階段が急で、怖いです。




上から見下ろすと結構高くて、これで巡行の時は揺れるだろうし・・。




お囃子の鉦や、




太鼓がありました。




柱にも凝った彫り物があって、屋根下の欄間の彫刻や塗り物などが凝っています。




次は、新町通りを上がって、船鉾へ。
神功皇后が遠征するところを現わしているそうです。




船首と、




船尾。舵取り板のような所の螺鈿細工が立派です。
ここでも鉾に上がらせてもらいました。(500円)




船首の鳥(ゲキという名前)を上から見たところ。金ぴかなのに、背中がこすられて黒くなっているのは、巡行の時に大勢の子供が乗ってここにつかまるためだそうです。背中に神様のお札が貼ってあります。
ゲキは先発して敵の様子を調べる役目があったそうで、「檄を飛ばす」の語源になっているそう。




船の中央天井には20枚の花の絵が描かれていて、




船鉾拝観券の絵に毎年一つずつ使われているそう。20年間通いつめると全部集まることに。今年は朝顔の絵です。




船鉾に上がるのは会所の2階から平行に板が張られているから、岩戸山ほど怖くはありません。
13日ではまだ人出がそれ程多くないので、船鉾の上で若い方が詳しく説明してくれました。後になると、とても全部説明していられないので、だいぶはしょるそうです。早く行ってよかったー。
巡行の時には鉾の上に50人もの人が上がっているというから驚きです。




会所の2階ではお囃子の人達が「お祭り」をしていました。



新町通りを少し上がると、幕末に鉾が焼けた大船鉾の会所があり、再興を願って、焼け残ったお飾りが展示されていました。こちらの船は神功皇后が凱旋するところを現わしていたそうです。




四条烏丸西の函谷鉾。




南観音山のお飾りは加山又造のうちわ絵等できれいでした。新町通りを三条まで上がって帰ってきました。
まだ、立ち上がっていない山もありましたが、13日でも宵山気分を十分堪能することができました。

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2006年宵宵宵宵山

2006-07-13 21:56:09 | ぶらり都めぐり
保昌山から歩き始めて、岩戸山、船鉾などを巡り四条烏丸まで来ています。まだ人がそんなに多くなくて歩き易いです。
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喫茶「GOSPEL」(訂正あり)

2006-07-12 03:06:21 | 建物(京大以外の京都府の)
銀閣寺西の鹿ケ谷通りを少し下った所にある喫茶店「GOSPEL」はヴォーリズ建築だというのを小耳にはさんだので、に行ってみました。大分前に行った時は「OTENBA KIKI」という名前でした。
↑ヴォーリズ建築ではないというコメントをいただきましたので、訂正いたします。申し訳ありません。




行った日は夕方で、外観がボケボケ写真になってしまったので、別の日に外だけ撮り直しにいきました。




こちらが昼間の姿。
















前庭にアジサイやハーブなどがイングリッシュ・ガーデン風にさりげなく植えられています。




内部はまた夜の写真です。入ってすぐ2階に続く階段があります。








2階が広い喫茶室になっていて、夜は照明が暗くて、ムード満点の雰囲気です。な人達にはもってこいのお店じゃないかな。




ピアノがあったり、大きなスピーカーがあったり、大量のLPレコードがあって、ジャズが流れています。




塔の部分が出っ張った個室風の喫茶室になっていて、特等席です。残念、先客があったので、入れませんでした。

後で調べてみると、「OTENBA KIKI」の時代から「GOSPEL」に変わったのは、子供さんの代に代替わりしたようです。建物は1982年にヴォーリス建築事務所によって建てられたということなので、ヴォーリスさんそのものの作ではないようですね。
でも、夢見るようなお城でお茶をして、すごーくぜいたくな気分になれるお店です。

京都市左京区浄土寺上南田町36。営業はお昼の12時から夜中の12時まで。火曜日が定休です。
夜はPUBとして、カクテルなども揃っています。
帆立のグラタン900円、コーヒー600円でした。

1階にも「迷子」という雑貨屋兼喫茶店がありましたが、「当分お休みします」と書かれていました。
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京都市美術館

2006-07-08 17:05:41 | これでいいのか京都(京都市美術館)
京都国立近代美術館に「藤田嗣治展」を見に行った時に、初めて4階に上り、ロビーからの眺めに驚きました。
目の前に平安神宮の大鳥居が聳えていて、その向うに京都市美術館が。


京都市美術館は1933(昭和8)年建築で、中央に千鳥破風がある帝冠様式といわれるもの。(ちょっと鳥居が邪魔か)
建設に当たっては、伊東忠太、武田伍一らの委員会が設けられ、建設場所の選定を行うとともに,設計案を公募し、東京の前田健二郎案が1等に入賞、これを部分的に修正して建てられました。

片岡仁左衛門の「日本に京都があってよかった」ポスターはこの建物の南側らせん階段で撮影されたものです。

平安神宮大鳥居は最近塗り替えられたので、金の部分もピカピカです。高さは24.4m、1929(昭和4)に建てられました。

いつも下から見上げるだけだったけれど、上から見下ろしてみると、また変わった見方ができます。

そしてここからは、東山連峰が金戒光明寺から都ホテルの辺りまで、一望のもとに見渡せる絶景スポットです。
7月2日、どんよりした曇り空だったのが、惜しいです。
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