ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

白川温泉が7月30日限りです

2010-07-29 23:46:16 | お風呂屋さん巡り
昨夜の京都新聞夕刊で知ってビックリ

左京区北白川上別当町の銭湯「白川温泉」が7月30日で廃業するというではありませんか!

前から行きたい行きたいと思っていたお風呂なのに、もう無くなるなんて!
なくなる前に絶対行かなくちゃと、バスに乗って行ってきました。


白川通り別当町の交差点からちょっと下がった東側、露地を1軒入ったところにあります。

目印はこれ。



とても銭湯とは思えない素敵な洋館です



1929(昭和4)年頃の建築だそうです。



表は洋館風ですが、白川通り側の裏から見ると、木造の和風建物なので、看板建築ということなのでしょうか。
右側の高い方が脱衣場(と住居部分?)、左側の屋根の上に吹き抜けのある方が浴室部分です。

と、以上は2年前に外からだけ見ていた時に撮影したもの。


以下、今回最初で最後の「白川温泉」内部探訪の図です。


営業中の入口。

土曜日が定休日なので、いつも来そびれていたんだ。


左端が番台です。
白い壁にアーチ型のくりぬきがあるところは洋風ですが、


下駄箱やロッカーは木製で和風になってきます。

脱衣場の天井は格天井風。


この体重計の横の壁に注目。

ワオーッ。マジョリカタイルじゃあーりませんか



悲しいお知らせ

経営者のおじさんも80才でご高齢だし、老朽化した風呂釜や配管の改修に多額の費用がかかるし、家にお風呂のある家が増えてお客さんも減ったので、ついに廃業されるそうで、残念です・・・

私が入っていた時も女湯には大人5人、子供2人だけでした。

こんな札が出ていて、脱衣場には「明日もあります」と出ていたけれど、明日になると「明日もあります」は出ないんだ。

今まで利用したこともなくて、今日初めて入りに来たような者が「廃業しないで」なんてとても言えないのですが、この後建物は壊されるとか、何とか建物だけは壊さないで利用していける方法はないものでしょうか


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下鴨神社みたらし祭2010

2010-07-25 22:39:06 | ぶらり都めぐり
今年も下鴨神社の足つけ神事、御手洗祭(みたらしまつり)が26日まで行われています。


御手洗池の水に足をつけるとものすごーく冷たいです。
池と言ってもこの祭りの時だけ地下から水を汲み上げているので、地下水の冷たさです。
冷たいけれど、あがった後、足がぽかぽかしていい気持です。

毎年ここにお参りして、膝の痛みが悪くなりませんようにとお祈りしています。



ズボンを膝の上までめくりあげたのに、結構深くてズボンが少し濡れてしまいました。
正面が井上社。



お灯明をあげて、



神水をいただきます。ペットボトルを持っていっておいしい水をいただいて帰りました。



井上社の神前には御手洗池の水泡にみたてたというおだんご、みたらし団子がお供えされていました。
もちろん、みたらし団子も買って帰りました。

右下の水面には足形に名前を書いたお祓い札がたくさん浮かべられています。

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「ふなつる」で夏の夜の宴

2010-07-22 23:46:40 | 建物(京大以外の京都府の)
鴨川のほとり木屋町通り松原橋の上にある「FUNATSURU KYOTO KAMOGAWA RESORT」にて、7月下旬に宴会がありました。

元は築140年になる木造の料理旅館「鮒鶴」でしたが、今はウェディングやパーティ会場、レストランとして営業しています。

こんな場所に入れる機会は滅多にないので喜んで参上しました。


木屋町通り側の入口から。
木造5階建てでしょうか。


京都で最古というエレベーターで屋上に上がると、

松原橋と東山連峰が見渡せる素晴らしい眺めです。


川床席もあります。


屋上にある唐破風つきの屋根部分。


通されたのは、Gallery Room。
和室を椅子式に改装してあります。

天井の真ん中にあるガラスに鴨川の流れが反映して、まるで部屋の天井に川が流れているように見えます。


そして、その部分をよく見ると、大きな鯉が何匹も描かれていて、天井の川の流れの中に鯉が泳いでいるかのよう。心憎い演出です。
2つの丸いのは下にあるテーブルが写っているものです。


他にも、Grand Ball Room、Vip Roomもあります。

おいしいコース料理の写真は撮ったのですが、いずれも写りが悪く、ボツということで


宴も果てて、松原橋上から眺めた「FUNATSURU」の華麗な姿です。

立派な木造の建物、こういう形でも利用され続け、残していただけることはありがたいことです。
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祇園祭2010 付け足し

2010-07-18 02:00:19 | ぶらり都めぐり
今年の祇園祭の写真はこれでお終いかと思ったら、おおっと、まだ残っていました。

16日の宵山にも四条烏丸近辺をうろうろしていたのです。
しかし、あまりの混雑で、狭い通りは前にも後ろにも全然進めないような所も多くて、ゆっくり屏風祭を鑑賞するどころではありませんでした。


屏風ではこれだけ。
四条通り新町西入ル南側の平岡旗章店です。



この前の大火事(幕末蛤御門の変)で焼けてから150年間休み鉾になっている大船鉾(おおふねほこ)の会所飾りです。
右に見える赤い板みたいなのが、船体の後ろにつく大舵です。

最近、お囃子を復活させたり、くじ取り式にオブザーバーで参加したりと、復活の兆しも見えてきています。
船鉾より更に大きかったという大船鉾が復活されて巡行したらさぞ見応えがあることでしょう。




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山鉾巡行2010(5)

2010-07-18 01:58:55 | ぶらり都めぐり
大幅にはしょって、後の祭を一挙に並べておきます。

巡行は元は7月17日の前の祭と、24日の後の祭に分かれて二度行われていましたが、昭和41年から17日にまとめて行われることになったのです。
北観音山は後の祭の最初、南観音山は最後に巡行すると決まっています。

二十四番目、北観音山(きたかんのんやま)。


楊柳観音と韋駄天像を安置し、柳の枝を懸けているのが特徴です。



二十五番目、橋弁慶山(はしべんけいやま)。
かわいい牛若丸の像です。



二十六番目、役行者山(えんのぎょうじゃやま)。
修験道の祖、役行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋を懸けたという伝承によっています。



二十七番目、八幡山(はちまんやま)。
山の上に八幡宮を勧請しています。


二十八番目、黒主山(くろぬしやま)。
歌人、大伴黒主が桜の花を仰ぎ見ているところ。


二十九番目、鈴鹿山(すずかやま)。
伊勢の国鈴鹿山で人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現女人の姿で表わしています。



三十番目、浄妙山(じょうみょうやま)。
宇治川の合戦で、一番乗りしようとした三井寺の僧兵筒井浄妙の頭の上を一来法師が飛び越えて先陣を取る場面を表わしています。



三十一番目、鯉山(こいやま)。
中国の龍門の滝を登る鯉の姿を表わしています。



三十二番目、巡行の最後は南観音山(みなみかんのんやま)。
楊柳観音と善財童子像を祀っており、柳の枝を懸けています。



巡行が終わった後、新町通りを下っていくと、町内に帰った山や鉾が片付けられつつありました。北観音山では柳の枝が細かく分けられて、人々に配られていました。これをいただいて帰るとご利益があるとのことです。

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山鉾巡行2010(4)

2010-07-18 01:57:49 | ぶらり都めぐり

二十一番目、放下鉾(ほうかほこ)。
音頭取りの浴衣が水色で目だっています。


見返は染織作家皆川泰蔵作の「バグダッド」。フクロウが飛ぶエキゾチックな絵がとても印象的です。





二十二番目は岩戸山(いわとやま)。
天照大神が天の岩戸に隠れた故事を表わしていて、屋根の上には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の像が安置されています。

岩戸山の音頭取り。
祇園祭で一番映えるのが、辻回しの時の音頭取りのかっこよさです。

「エンヤラヤーのヤッと」、
惚れ惚れとしてしまいます。




二十三番目は先の祭巡行の最後を飾る船鉾(ふねぼこ)。
大きな船の形をした鉾で、神功皇后が妊娠中にもかかわらず、皇子が凱旋まで産まれぬように祈願して、男装で海戦して勝利し、皇子を産んだという神話によっていて、「出陣の船鉾」と言われています。






このあたり、大きな鉾や山が続いていて、巡行のクライマックスです。
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山鉾巡行2010(3)

2010-07-18 01:56:38 | ぶらり都めぐり
十四番目は白楽天山(はくらくてんやま)。
唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うところ。
前懸はトロイ城陥落を描いた16世紀の毛綴です。


十五番目は綾傘鉾(あやがさほこ)。
大きな傘とお稚児さん達と棒振り囃子の行列です。

お稚児さん達は余りに小さくて、大人の影に隠れていました。
この暑い中、重たい衣裳を着て歩くとはえらいものです。

棒振り囃子は壬生六斉踊からきており、赤熊(しゃぐま)をかぶって鉦、太鼓、笛に合わせて踊りながら進んでいました。


十六番目は巡行の人気者、蟷螂山(とうろうやま)。
蟷螂はかまきりのこと。かまきりが羽を広げたり閉じたり、御所車の車輪も動く仕掛けになっています。
この山は昭和56年に110年ぶりに巡行に加わりました。
前懸、胴懸、見送ともに人間国宝の羽田登喜男氏製作の友禅染です。


十七番目は月鉾(つきほこ)。
鉾頭に三日月の飾りをつけ、破風と蛙股は左甚五郎作、屋根裏の草花図は円山応挙筆、前懸は17世紀インド製の絨毯、軒や柱等の飾り金具も優れたものばかりです。





十八番目は占出山(うらでやま)。
神宮皇后が身重の身体ながら出兵し、肥前国松浦で鮎を釣り戦勝の兆しとしたという故事によって、安産の神とされています。
前懸と胴懸は日本三景を描いたものです。


十九番目は芦刈山(あしかりやま)。
故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁がやがて妻と再会するという夫婦和合の姿を表わしています。
ご神体の古衣裳は天正年間の小袖で重要文化財に指定されています(きっと会所で保存)。
胴懸は、尾形光琳の燕子花図(かきつばたず)を模した綴織りです。


二十番目は保昌山(ほうしょうやま)。
平井保昌が和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折って来る姿を表わし、これによって想いを遂げたので、縁結びの山と言われています。



この後、放下鉾とその後ろから岩戸山が辻を回って来るところです。


巡行はまだまだ続きます。
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山鉾巡行2010(2)

2010-07-18 01:51:36 | ぶらり都めぐり
六番目は霰天神山(あられてんじんやま)。
永正年間、京都に大火があった時、霰が降り猛火が消えた時、一寸二分の天神像が降ってきたので、それを祀ったということで、火除けのお守りが授与されます。
今年、前懸と後懸を約200年ぶりに復元新調しました。


七番目は四条傘鉾。


子供達が踊りながら歩いていきます。


八番目は太子山(たいしやま)。
聖徳太子が四天王寺を建てるために自ら山に入って良材を求めた故事によっていて、智恵のお守りが授与されます。



九番目は菊水鉾(きくすいほこ)。
町内にあった菊水井戸にちなんで名付けられ、昭和27年に88年ぶりに再興された鉾です。


青い矢印の交通標識の下あたりに見えるのが移動式お茶道具入れ、荷茶屋(にないちゃや)です。


十番目は伯牙山(はくがやま)。
中国の周時代、琴の名手の伯牙が友人の死を聞いて琴の弦を断ったという故事を表わしています。



十一番目は山伏山(やまぶしやま)。
昔、八坂の塔が傾いた時に法力によってなおしたという山伏の姿を表わしています。


十二番目は郭巨山(かっきょやま)。
貧しい郭巨が黄金の釜を掘り当てて母に孝行を尽くしたという中国の故事によっています。
最近新調された胴懸は上村松篁さんの花鳥画です。


十三番目、鶏鉾(にわとりほこ)。
中国尭の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓も用がなく鶏が巣を作ったという故事によります。

見送はトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀の毛綴です。


(次回に続く)
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山鉾巡行2010(1)

2010-07-18 01:50:09 | ぶらり都めぐり
今年は市役所前招待席で山鉾巡行を見ることができました。
初めて椅子に座って巡行の最初から最後まで全部を見ることができて、よかったー。

前日までの大雨もからりと晴れ、御池通りの北側なので、強い陽射しをまともに受けてしまいました。時々雲がかかって日が陰る時がわずかの救いです。
帽子に長袖服に手袋、タオルにお茶とうちわを持ち、完全武装で出かけましたが、ソ~ト~に暑かったです。

芸がありませんが、全部見た山や鉾を順番に並べておきます。


10時30分頃、河原町御池の交差点を曲がって先頭の長刀鉾(なぎなたぼこ)がやって来ました。


長刀鉾は順番を決める籤を取らず、毎年必ず先頭を行き、生き稚児を乗せています。
鉾の先端の長刀は疫病邪悪を祓うもので、御所と八坂神社にその先を向けないように常に南側を向けて進みます。

稚児が舞いながら進んでいました。



二番目は孟宗山(もうそうやま)。筍山ともいい、病身の母親が欲した筍を孟宗が奇跡的に雪の中で掘り当てた姿を現しています。左右の胴掛け「砂漠らくだ行(日)(月)」は平山郁夫さんの原画になる織物で今年新調されたもので、鮮やかな色です。



三番目は木賊山(とくさやま)。
世阿弥の謡曲「木賊」にちなんだもので、わが子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁を表わしています。



四番目は油天神山(あぶらてんじんやま)。
油小路通りにあり、菅原道真を祀っています。


五番目は函谷鉾(かんこほこ)。
中国戦国時代斉の孟嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせ脱出できたという故事にちなんでいます。前懸は旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀の毛綴織で、元のものは重要文化財になっていますが、これは平成18年に新調されたものです。
稚児の人形が、(後ろの人に操られて)舞いを舞っていました。



(続く)
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濁流の高野川

2010-07-15 02:18:19 | ぶらり都めぐり


今朝もものすごい土砂降り、レインコートと長靴の完全武装で出かけました。
高野川は濁流が川幅いっぱいに逆巻いています。
いつも川の半ばを大きく覆っている中州もみんな水の中です。

どこも洪水や土砂崩れの被害がないといいのですが。
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雨の鉾見物

2010-07-13 23:29:08 | ぶらり都めぐり
四条烏丸辺りに祇園祭の鉾がぽつぽつ建っています。

どしゃぶりの雨だというのに、頑張ってちょこっと見に行ってきました。



長刀鉾はバスの中から。




月鉾では、



お囃子が演奏されていて、



「十三、十四日にかぎり、浴衣又は着物を着用の方は、無料で鉾の拝観ができます。」とのこと。
「ラッキー」と思いましたが、雨で浴衣の裾も足もびしょ濡れだったので、鉾拝観はご遠慮申し上げました
十四日行かれる方、頑張って着物着て行かれては。
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半夏生の庭

2010-07-05 12:57:23 | お庭
先週末の土砂降りの雨があがって、今日は蒸し暑いながら、梅雨のあいまのありがたいお天気です。
建仁寺両足院のお庭で半夏生(ハンゲショウ)の葉が白く色付いて見頃でした

7月11日(日)まで特別公開されています(10時~17時)。


カメラを持って行くのを忘れ、携帯カメラでしか撮れず、折角のきれいなお庭の写真がこれだけしかなくて残念です


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