ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

「もうひとつの京都」とホテルフジタ

2011-03-31 22:04:30 | 建物(京大以外の京都府の)
京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開かれている「もうひとつの京都~モダニズム建築から見えてくるもの」を見に行きました。

   2011年2月7日(月)~5月8日(日)
   10時~17時(入館は16時30分まで)
   日曜・祝日は休館(ただし、4月29日~5月8日は開館)
   入館料:一般200円、大学生100円、高校生以下無料



1920年代~1970年代に建てられた京都におけるモダニズム建築の軌跡をたどろうとする展覧会です。
たくさんの写真パネルと工芸繊維大学の学生が作成した建物の精巧な模型で、京都のステキ建物とその設計者達がずらりと並んでいます。

展示の流れと主な建物は、

I.京都のモダニズム建築の夜明け/逓信建築の遺産
   京都中央電話局西陣分局 1921年
   京都中央電話局新上分局(鴨川丸太町西詰めのフレスコ)1924年 
   京都中央電話局(新風館)1926・1931年 

II.プロフェッサー・アーキテクトたちの系譜/戦前から戦後へ
   大阪毎日新聞社京都支局 1928年 
   京都電灯本社(京都駅北側関西電力ビル) 1937年 
   本野精吾邸 1924年 
   鶴巻鶴一邸 1929年 
   聴竹居 1928年
   京都帝国大学農学部表門及び門衛所 1924年 
   楽友会館 1925年  
   京都大学基礎物理学研究所湯川秀樹記念館 1952年 
   京都帝国大学理学部花山天文台 1929年
   京都大学体育館 1972年 


III.戦後モダニズム建築の開花と展開/伝統と近代
   京都会館 1960年 
   都ホテル佳水館 1959年 
   同志社大学アーモスト館ゲストハウス 1962年 
   京都タワービル 1964年 
   国立京都国際会館 1966年 
   桂カトリック教会 1965年
   ホテルフジタ 1970年 
   同志社女子大学図書館 1977年
   京都信用金庫の各支店 1980-88年

は既見。

すごい! 京都にはこんなにたくさんのモダニズム建築があったんだー。
大興奮でじっくり見てまわると結構時間がかかりました。



後日、展示されていた中の一つ、ホテルフジタに通りがかって見ました。




洋風の中に窓の両側のルーバーは和風のよろい戸風で、高すぎず、しっとりとした色合いで、京都の街の景観になじんでいる建物なのに・・・、
地下のバーから見上げる滝と池と岩組みの眺めが素晴らしかったのに・・・、

ここは、この前閉館になって今は入口もトタン塀で囲まれてしまっています。
このまま壊されずに残ってほしい、経営者は代わってもホテル機能は続けていってほしいものです。

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おかめ桜が咲きました

2011-03-29 02:25:20 | ぶらり都めぐり
出町柳のお寺の前にある「おかめ桜」がもう満開になっていました。







震災にあわれた地方にも花の咲く暖かい日が、せめて早く訪れてほしいと思います。

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2011年3月明知鉄道の旅 もくじ

2011-03-22 01:58:51 | 遠出(国内)
2011年3月20日、博物館明治村を訪ねた次の日には、岐阜県恵那から明智まで走っている明知鉄道に乗りに行きました。




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明知鉄道の旅(4)岩村の街並

2011-03-22 01:55:32 | 遠出(国内)
花白温泉駅から一駅目の岩村駅でも途中下車しました。


ここは鎌倉~江戸時代まで700年存続した山城岩村城の城下町で、重要伝統的建造物群保存地区の街並みが今も残っています。
今のような城下町が形成されたのは、江戸時代の始め、松平家乗が入城してからで、藩校が置かれ、文教に重きが置かれました。


明知鉄道岩村駅から、



山の上にある岩村城の方向に向かって約1,3kmの通りに面して、江戸時代の面影を残す街並みが細長く続いています。途中1ヶ所道が折れ曲がって枡形になっています。
枡形から東側(山側)は江戸時代の家の特徴を示す二階部分の低い「厨子二階」と言われる造りのものが多く、枡形から西側(駅に近い方)は江戸末から明治39年に岩村電気鉄道が開通されたのに伴って発展してきた地区で、家屋は二階も居室とする軒の高い造りとなっています。


水野薬局。明治初期の建物。軒先に昔のままの薬の看板が掲げられています。
この家には板垣退助が岐阜で刺客に襲われる前日に泊まったそうです。




木村邸。(恵那市指定文化財)
江戸後期に問屋および御用達職を務めた家で、苗字・帯刀を許され、藩主が来邸することもあったので、藩主出入りの玄関も作られています。家は18世紀後半の頃に建てられたと推察されています。
入館料200円。



土佐屋。(恵那市指定文化財)
1780(安永9)年頃の建築。紺屋を営んでいた商家で、表に面したドマミセに染壺が据えられ、職人が生糸や布を染めていました。細長い敷地の一番奥には染工場がありましたが、改修されて「工芸の館」として、藍染に関する資料や工芸作品などを展示しています。
入館料200円。

この辺りの家はどれも堂々とした構えで、裕福な町の様子が偲ばれます。
家の敷地は細長く、ミセ、ザシキのある表の主屋から中庭、離れ、土蔵が奥に続いています。



ふれあいの館。
大正初期建築の銀行でしたが、現在は岩村町の観光案内所になっています。



観光パンフレットには載っていませんでしたが、この建物も気になりました。




なまこ壁のある露地。
明知鉄道の次の電車の出る時刻までの1時間の間に岩村の町を行けるところまで行ってこようとひたすら歩き、駅から一番遠くまで来たのがこのなまこ壁のある露地でした。
道はまだ山の上のお城に向かって続いていましたが、ここで断念して引き返しました。

まだまだたくさんの町屋や建物があったのですが、中に入って見物することもできず、写真も(電池不足で)あまりたくさん撮れず、残念なことでした。
またいつかゆっくりと行って見たい所です。



この町でも「おひなさんめぐり」をしていて、ピンクの幟を立てたお家ではお雛様が飾られていました。
普通のお雛様や昔のお雛様も多かったですが、この地方の土人形のお雛様もありました。



恵那から名古屋へ、名古屋駅で夕食をとり、名古屋から米原まで新快速、米原で乗り換えて新快速で京都に帰ってきました。
二日間の旅で、明治、大正、江戸時代を廻ってきたことになり、それぞれおもしろかったです。


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明知鉄道の旅(3)花白温泉

2011-03-22 01:53:51 | 遠出(国内)
明知鉄道終点の大正村を楽しんだ後、少しずつ恵那駅に向かって帰ってきました。


明智駅から3つ目の駅、花白温泉駅は周りに少しだけ田んぼのある山あいの小さな駅です。
その駅のすぐ側にある黄色っぽい建物が花白温泉です。江戸時代からの、珍しいラドン放射能泉。白い湯の花が見られるので、花白温泉という名前がついたとか。
建物は最近建て直されて新しくなっています。

明知鉄道のフリーきっぷを見せると、花白温泉入湯料500円が100円割引になります。


明知鉄道の電車は約1時間に1本。
ちょうど次の電車が来るまでにお風呂に入ってゆっくりすることができます。
3月20日、まだ少しだけ寒さが残っていた時期で、お風呂に入ってあったまれてちょうどよかったです。

食堂もあって、この辺りの名産の寒天料理を食べることもできます。


私は、そこで売っていた「寒天ラーメン」なるものを買って帰って、家で食べてみました。お湯を入れるだけで寒天がほどけて短く切れたラーメンのようになっているものでした。あっさりしたラーメンでした。
一人前・250円(豚骨味としょうゆ味があります)
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明知鉄道の旅(2)日本大正村

2011-03-22 01:52:44 | 遠出(国内)
明知鉄道の終着駅、明智駅です。
(明知鉄道の知は簡単な知、明智駅の智は本来の字に戻して智恵の智です)

横にレンガ造り風のトイレが作られていました。



恵那市明智町は、大正時代の雰囲気を残す町の姿を生かして、「日本大正村」として売り出しています。

今年は大正100年にあたります。



江戸時代からこの辺りは中馬街道と南北街道の出合うところで、尾張、三河から信州へ、塩や繭を運ぶ馬が行き交い、賑わいの中心になったところでした。
明治になってからも馬子や旅人相手のカフェや酒場もあり、大正・昭和の時代になると、いち早く自動車や鉄道もひかれ、モダンの香りも漂っていました。
今はそのまま時間が止まったように、レトロなたたずまいが残る町となっています。

なお、この訪れた頃はちょうど雛まつりの季節で、明智町でもお雛様を店先や通りに面した家の中に飾っているお家がたくさんありました。ピンクののぼりが出ている所がその目印です。


最もレトロな建物は「大正村役場」。
1906(明治39)年に建てられ、1957(昭和32)年まで明智町役場として使用されてきました。
瓦葺き寄せ棟造り2階建ての木造洋館。
現在は大正村役場として活用されています。1階には無料休憩所と事務室、2階には村長室(現村長は司葉子さん)もあります。



元明智町郵便局。1875(明治8)年開局。
内部2階モダンな出庇に欄間風の彫り物を加え、大正モダン建築の一つです。
今は逓信資料館になっています。



木造百畳敷4階建ての大正時代の蔵。元は生産された繭を農家から買い取ったり、預かった繭を収納するための銀行の蔵でした。
今は「日本大正村資料館・大正の館」として、大正時代の生活用品や図書などが展示されています。


大正路地。
村役場に抜ける石畳の路地で、両側に蔵が立ち並び、大正時代のたたずまいが色濃く残されています。



大正時代の歯科医院の建物が残っていました。
医院は今は別の場所で開院していました。


他に、京都千本通りにあって閉店したカフェー「天久」をここで復元・営業している「大正時代館」にも寄りました。ここの展示は大正天皇や大正時代の暮らしについてのものでした。


他にも、「絵画館(元小学校)」、「おもちゃ資料館」や、「大正ロマン館(初代村長高峰秀子さんの遺品などが展示されている)」、昔の映画館(?)「かえでホール」、明智光秀の母お牧の方のお墓とかもあったのですが、まわりきれませんでした。



大正村も明治村と同じく、レトロ建物をウハウハ喜んで見てまわりましたが、見てまわった時間はわずかに2時間半でした。
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明知鉄道の旅(1)

2011-03-22 01:51:08 | 遠出(国内)
博物館明治村をウハウハ楽しんだ後、明治村16:05発で名鉄犬山駅までバスで20分、名鉄犬山駅から名古屋鉄道で新鵜沼まで4分、鵜沼でJRに乗換えて高山本線で美濃太田へ、そこで太多線(たいたせん)に乗換え多治見へ、多治見から中央本線で恵那まで、コトコトと電車の旅を楽しんで、恵那に着いたのが18:10でした。


駅の近くで一泊して、

恵那は中山道大井宿のあった所だとわかり、翌朝近所を一回りしてみました。

宿場町の面影を残す町並みがあって、本陣跡や、敵の侵入から守るため道が直角に曲がった「枡形」が6ヶ所もありました。中山道広重美術館などもあり、時間があったらもっと見たかったのですがパス。恵那峡もパス。



残念!昨日明治村で写真を撮りすぎて、電池が乏しくなり、ここからは写真がケチケチにしか撮れませんでした。



ここから、いよいよ明知鉄道の旅。
明知鉄道恵那駅はJR恵那駅のすぐ隣で、乗り換えの時はホームからホームへ移動できるようになっています。


一日乗り降り自由のフリー切符を買いました。
1,340円。片道670円だから往復のお値段そのままですが、沿線施設の割引特典が付いているのがお得です。

中に、その日の日付でハサミが入れられた硬券がはさまれていて、記念に持ち帰りができます。


終点明智まで約50分、日本一旧勾配の駅や農村景観日本一の景色を眺めながら、進みましたが、駅の数はそんなに多くないのに、駅と駅の間がとても長い鉄道でした。


途中にこんな駅もありました。
日本に一つしかない「極楽駅」。最近できた駅らしく、ホームだけしかない駅でした。

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2011年3月博物館明治村 もくじ

2011-03-21 01:49:11 | 建物(愛知県)
3月19日に愛知県犬山市にある博物館明治村に行って来ました。













 


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博物館明治村(14)司法・警察・軍関係

2011-03-21 01:47:44 | 建物(愛知県)

宮津裁判所法廷。(登録有形文化財)

 旧所在地:京都府宮津市本町
 建設年:1886(明治19)年
 解体年:1969(昭和44)年
 移築年:1977(昭和52)年

裁判の様子が人形を使って現わされています。高い壇上に裁判官と検事、書記が座り、弁護士、被告人は下段にいます。




金沢監獄正門。(登録有形文化財)

 旧所在地:金沢市小立野
 建設年:1907(明治40)年
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1977(昭和52)年

明治5年「監獄則 並図式」が公布され、近代的な監獄制度と放射型監獄舎房の規範が示されました。金沢監獄は周りを高いレンガ塀で囲われ、西面に向けてこの門が開けられています。レンガ造に白い石で装飾を入れ、いかめしいながらも明治建築の特徴をよく表わしている門です。



金沢監獄中央看守所・監房。(登録有形文化財)

 旧所在地:金沢市小立野
 建設年:1907(明治40)年
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1972(昭和47)年

八角形の建物が中央看守所。そこを中心にして、放射状に五つの舎房が配置されていましたが、明治村には左側の舎房一棟のみが移築されています。



舎房側から見たところ。


中央看守所の内部。八角形全周ガラス張りの看視室が中央にあり、ここから全ての舎房の廊下が一目で見渡せるようになっています。


舎房の廊下の両側に独居房が並んでいて、

その中の一部屋に入って、明治の監獄体験をすることができるようになっています。
一度囚人体験をしてみませんか。


この他に、前橋監獄雑居房(明治21年)もありましたが、そちらは江戸時代の牢そのままという感じで、吹きさらしの、牢名主がいそうな感じの獄舎でしたので、こちらの独居房の方がはるかに近代的になったということがわかりました。




東京駅警備巡査派出所。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都千代田区丸の内
 建設年:1914(大正3)年
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1972(昭和47)年

明治41年、それまで品川を起点としていた東海道線を皇居正面の丸の内まで延長することになり、東京駅が辰野金吾の設計で作られ、大正3年に完成しました。その時、駅前広場の整備が行われ、この派出所も作られています。
鉄筋コンクリート造りに化粧レンガを貼る構造で、駅本体とデザインを合わせた設計になっています。



歩兵第六聯隊兵舎。(登録有形文化財)

 旧所在地:名古屋市中区二の丸
 建設年:1873(明治6)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1965(昭和40)年

名古屋城内に置かれた歩兵第六聯隊の兵舎で、江戸幕府から明治政府に引き継がれたフランス式の兵舎となっています。戦後は昭和23年から38年まで名古屋大学が使用していましたが、明治村に移築後は元の兵舎の姿に復元されています。



近衛局本部附属舎。(登録有形文化財)
  
 旧所在地:東京都千代田区千代田
 建設年:1888(明治21)年
 解体年:1967(昭和42)年
 移築年:1977(昭和52)年

  皇居坂下門内に皇宮警察の庁舎の一部として建てられましたが、近衛局、皇宮警察本部と変わり、坂下護衛所として昭和42年まで使用されていました。
  木造平屋建瓦葺、漆喰壁塗りで、アーチの廊下壁が軽快な感じのする建物です。




この他に、移民関係の建物(ハワイ移民集会所、ブラジル移民住宅、シアトル日系福音教会)や京都市電や蒸気機関車などもありましたが、明治村の記事はこれで終わりとします。



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博物館明治村(13)乗り物・交通関係

2011-03-21 01:46:41 | 建物(愛知県)

鉄道寮新橋工場。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都品川区大井町 日本国有鉄道大井工場
 建設年:1872(明治5)年
 解体年:1967(昭和42)年
 移築年:1968(昭和43)年

明治5年に開業した新橋ステーションにあった機関車修復所です。全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設されました。


明治村では、広い内部を明治の機械類の展示場として使っています。
これは紡績の機械。





鉄道局新橋工場。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都品川区大井町 日本国有鉄道大井工場
 建設年:1889(明治22)年
 解体年:1966(昭和41)年
 移築年:1966(昭和41)年

先の鉄道寮新橋工場と違って、鋳鉄柱、小屋組鉄トラス、鉄製下見板、サッシ等を組み立てて作られた国産の鉄製工場の初期の例です。


その工場の中にあるのは、

明治天皇と昭憲皇太后の御料車です。(いずれも鉄道記念物)


明治天皇御料車(6号御料車)は1910(明治43)年、昭憲皇太后御料車(5号御料車)は1902(明治35)年の製造、いずれも超豪華な装飾を施された車内が前にテレビで映されていましたが、ここでは中には入れなくて窓の外からちょこっと覗き見するしかありませんでした。




名鉄岩倉変電所。(登録有形文化財)

 旧所在地:愛知県岩倉市下本町
 建設年:1912(明治45)年
 解体年:1974(昭和49)年
 移築年:1975(昭和50)年

大正元年に開業した名鉄犬山線、一宮線の動力供給用として建設されました。
レンガ造、天然スレート葺きです。




六郷川鉄橋。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都蒲田、神奈川県川崎間の六郷川(多摩川の下流)
 建設年:1877(明治10)年
 解体年:1965(昭和40)年
 移築年:1988(昭和63)年

日本最初の複線鉄道用鉄製の橋です。お雇い英国人技士ボイルの設計になります。
全長500m三連のうち、一連のみが保存されています。


橋の上右手には、尾西鉄道蒸気機関車1号が停まっています。
明治30年製造の機関車で、尾西鉄道、名古屋鉄道、日本曹達株式会社内の工場専用車として働いた車です。




隅田川新大橋。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京中央区浜町から江東区深川
 建設年:1912(明治45)年
 解体年:1974(昭和49)年
 移築年:1975(昭和50)年

全長173mのうち、23m分だけが残されています。隅田川に架かる五大橋のうち、関東大震災の時に唯一落ちなかった橋です。この上を市電も走っていました。
国産鉄材の生産はまだ少なかったため、鉄材はすべてアメリカカーネギー社のものを使っています。






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博物館明治村(12)工場建築等

2011-03-21 01:45:38 | 建物(愛知県)
菊の世酒蔵。(登録有形文化財)

 旧所在地:愛知県刈谷市銀座
 建設年:1868(明治初)年頃
 解体年:1969(昭和44)年
 移築年:1983(昭和58)年

元は愛知県碧南市に明治初年に穀物蔵として建てられたものを、明治28年に刈谷市に移され、菊の世広瀬酒造の仕込み蔵として使われることになりました。

ちょっと高台にあったので、近くまで行けず、遠くから眺めただけでした。






工部省品川硝子製造所。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都品川区北品川
 建設年:1877(明治10)年
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1969(昭和44)年
 
 明治6年イギリス人技術者を雇い入れて品川興業社硝子製造所が開設され、明治9年工部省がこれを買い上げて官営の工場としました。壁はレンガ造イギリス積み、屋根は瓦葺きです。
イギリスのガラス工の指導の下、食器など日用ガラス器の製造をしていました。明治18年民間に払い下げになりました。

明治村では1階はガラス製品などのお土産売り場とバーレストラン、2階は展示場になっています。

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博物館明治村(11)住宅等

2011-03-21 01:44:43 | 建物(愛知県)

西郷従道(つぐみち)邸。(重要文化財)
 
 旧所在地:東京都目黒区上目黒
 建設年:1877(明治10)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1964(昭和39)年
 設計者:フランス人技師レスカス

木造2階建て銅板葺き。廻り階段、半円形に張り出したベランダのデザインが斬新、耐震性を高める工夫もなされています。室内の部品はほとんど舶来品で、日本人が真似たものではない、純洋風建築です。

 

西郷隆盛の弟従道は明治政府の要人であり、「西郷山」と言われる広大な敷地の中に接客用として建てた洋館。 
明治村トップテン第2位(と勝手にvivasanが認定した)の建物ですが、個人の住居というよりは社交のための公的な建物だったといえそうです。


内部も見てみたかったのですが、解説の時間に間に合わず、中に入ることができなかったのが残念です。解説の時間に間に合った人達が内部を見学しています。




神戸山手西洋人住居。(登録有形文化財)

 旧所在地:神戸市生田区山本通
 建設年:1887(明治20)年代
 解体年:1966(昭和41)年
 移築年:1969(昭和44)年
 
当初は外国人のものでしたが、明治29年には日本人増田周助の所有となっています。
主屋の後ろ側に付属屋が建てられ、付属屋の2階は和室で、主屋の2階から渡り廊下で行き来するようになっています。

開港以来西洋との貿易港となった神戸のお洒落な洋館の一つです。



西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」。(登録有形文化財)

 旧所在地:静岡県清水市興津清見寺町
 建設年:1920(大正9)年
 解体年:1970(昭和45)年
 移築年:1971(昭和46)年

明治の元老、西園寺公望が政治の一線を退いた後、清水港の近くに建てた別荘ですが、実際には晩年もここから日本の政治に深く関わっていたものと思われます。
 木造桟瓦葺き、軒先に軽い銅板を廻らせた純和風の建物ですが、昭和初期になって洋間、洋式トイレ等が増設されています。
建物前面に純和風の庭園も作られています。
「坐漁荘」という名前は太公望の故事にならって、何もせずのんびり座って魚を釣って暮らすという意味でつけられています。



これは前にも触れた芝川又右衛門邸。

 旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目
 建築年:1911(明治44)年
 解体年:1995(平成7)年
 移築年:2007(平成19)年
 設計者:武田五一


詳しくは前の文参照で。



住宅建築としては、他にも「学習院長官舎」「森鴎外・夏目漱石住宅」「幸田露伴住宅蝸牛庵」「茶室亦楽庵(えきらくあん)」「長崎居留地二十五番館」がありましたが、省略します。

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博物館明治村(10)商業建築など

2011-03-21 01:43:11 | 建物(愛知県)


呉服(くれは)座。(重要文化財)

 旧所在地:大阪府池田市西本町
 建設年:1892(明治25)年
 解体年:1969(昭和44)年
 移築年:1971(昭和46)年

江戸時代の伝統建築の名残を留める芝居小屋ですが、地方巡業の歌舞伎をはじめ、新派、落語、浪曲、講談、漫才、壮士芝居等様々な娯楽が演じられるとともに、尾崎行雄や幸徳秋水等が立憲政治や社会主義の演説会も開催していました。

残念ながら修理中のため、屋根に覆いがかぶせられていました。


呉服座の内部は枡席、桟敷、花道、奈落、廻り舞台等、伝統的な芝居小屋の設備が整っています。



小泉八雲避暑の家(右)と本郷喜之床(左)。(いずれも登録有形文化財)

小泉八雲避暑の家
 旧所在地:静岡県焼津市城之越
 建設年:1868(明治初)年頃
 解体年:1968(昭和43)年
 移築年:1971(昭和46)年
 小泉八雲は島根松江で結婚、帰化した後、帝国大学に招聘されて東京に移りました。
 東京に住むようになってからは、毎年夏には焼津で過ごすようになり、身を寄せていたのが、魚屋山口乙吉のこの家でした。
明治村では駄菓子屋として使われていました。

 
本郷喜之床(きのとこ)
 旧所在地:東京都文京区本郷
 建設年:1910(明治末)年頃
 解体年:1978(昭和53)年
 移築年:1980(昭和55)年
 本郷にあった理髪店で、明治42年から2階の2間を石川啄木が間借りして、母、妻、長女とともに暮らしていました。
1階には当時の理髪店の姿が復元されています。


明治初年と末年の民家を比較してみると、2階の屋根の高さの違いがよくわかります。



半田東湯(あずまゆ)。(登録有形文化財)
 
 旧所在地:愛知県半田市亀崎町
 建設年:1910(明治末)年頃
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1980(昭和55)年

 外観の写真はありませんが、喜之床と同じような木造2階建瓦葺きの家です。
 港町のこじんまりとした銭湯で、表から覗いたところですが、手前右が番台、真ん中が脱衣場、一番奥が浴室です。




手前から、東松家住宅、京都中井酒造、安田銀行会津支店、札幌電話交換局。

東松家(とうまつけ)住宅。(重要文化財)
 旧所在地:名古屋市中村区舟入町
 建設年:1901(明治34)年
 解体年:1962(昭和37)年
 移築年:1965(昭和40)年
 名古屋の中心部にあった商家。油問屋から始まって、堀川貯蓄銀行を営んでいました。
 木造3階建て、2階には吹抜けに面して茶室もある、堂々とした町家です。


京都中井酒造。(登録有形文化財)
 旧所在地:京都市中京区御幸町通二条
 建設年:1870(明治3)年
 解体年:1971(昭和46)年
 移築年:1993(平成5)年
 蛤御門の変で焼失した後再建された蔵元です。屋根にゆるいカーブがつけられている「むくり」、虫籠窓、酒屋格子など、京都の町家の特徴が見られます。
1階奥の土間で洗米、米蒸し、地下室で麹作りが行われ、仕込み、貯蔵などは別棟で行われていました。
明治村ではお抹茶がいただけるお休み処になっています。



安田銀行会津支店。(登録有形文化財)
 旧所在地:福島県会津若松市大町
 建設年:1907(明治40)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1965(昭和40)年
 東北地方に展開していた安田銀行の会津支店が明治23年に設けられ、明治40年にこの建物が建設されました。
伝統的な土蔵造を元にしていますが、要所には洋風のデザインを取り入れており、ナマコ壁の土蔵風建物の中に入ると、カウンターと吹き抜けの広いロビーがある銀行事務室になっています。
ちょっと写真が小さくて見えないとは思いますが。

 


大井牛肉店。(登録有形文化財)

 旧所在地:神戸市生田区元町
 建設年:1887(明治20)年頃
 解体年:1966(昭和41)年
 移築年:1968(昭和43)年

岸田伊之助が明治20年頃に外国人相手に牛肉の販売と牛鍋の店として建てました。
西洋古典様式の柱と半円アーチの窓を持つ洋風の中に、日本古来のデザインを取り入れ、木造白漆喰桟瓦葺きの造りになっています。
1階は牛肉の販売場所、2階には板敷きの部屋が4つあり、牛鍋を供していました。

明治村では実際に牛鍋(すき焼き)を食べれるレストランになっています。


高田小熊(たかだおぐま)写真館。(登録有形文化財)

 旧所在地:新潟県上越市本町
 建設年:1908(明治41)年頃
 解体年:1981(昭和56)年
 移築年:1982(昭和57)年

越後高田は明治41年に陸軍第十三師団が仙台から移転し、軍を中心とした街になりました。新潟柏崎出身の小熊和助は東京で修業した後、この年に洋風木造のこの建物を高田に建てて、写真館として開業しました。
その後、時代を経て増築や改装が加えられましたが、現在は小熊写真館の最も華やかな時代の昭和初期の姿に復元されています。



川崎銀行本店。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都中央区日本橋
 建設年:1927(昭和2)年頃
 解体年:1987(昭和62)年
 移築年:1990(平成2)年
 設計者:矢部又吉

鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38m、高さ約20mの建物の、移築されたのは左端のごく一部分のみです。
全く、これだけポツンと残されていてもどこの廃墟かとどきりとするだけで、元の建物の全体像もつかめず、移築保存の役割が果たせていません。しかも、建物の切り方が残酷で、なんで斜め切りになっているんだろう。せっかく移築するのならもう少し完全な形で残してほしいものです。

川崎銀行は江戸時代、水戸藩の勘定方をつとめた川崎八右衛門が明治13年に設立した銀行で、その後川崎第百銀行、第百銀行と改称した後、昭和18年に三菱銀行と合併しました。
日本橋にあったこの建物が建て替えられる時に、正面玄関や柱のキャピトル部分が保存再利用されて、日本信託銀行ビルに生かされています。

明治村では、この建物は展望台として、3階まで階段を上がって広く見渡せるようになっています。



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博物館明治村(9)医療施設

2011-03-21 01:41:58 | 建物(愛知県)

日本赤十字社中央病院病棟。(登録有形文化財)
(右側の建物。奥は歩兵第六聯隊兵舎)

 
 旧所在地:東京都渋谷区広尾
 建築年:1890(明治23)年
 解体年:1973(昭和48)年
 移築年:1974(昭和49)年
 設計者:片山東熊

赤坂離宮、国立京都博物館等を設計した「熊さん」の設計ですが、これは病院らしく質素で落ち着いた建物です。

元は中庭を挟んでたくさんの病棟が繋がっていましたが、その中の一棟だけが移築されています。

木造下見板張り、瓦葺、ハーフティンバーのデザインで北側の窓が広く光を取り入れるように作られ、屋根の上の換気塔がかわいい感じを出しています。


廊下にあったのは、桐、竹、鳳凰が浮き彫りにされたもので、元は病院本館の破風に飾られていたものです。これは「熊さん」らしい。



北里研究所本館・医学館。(登録有形文化財)

 旧所在地:東京都港区白金
 建築年:1915(大正4)年
 解体年:1979(昭和54)年
 移築年:1980(昭和55)年
 
日本の細菌学の先駆者、北里柴三郎が建てた研究所の本館で、元は左にL字形に伸びていたものを一部除いて移築したものです。

顕微鏡観察のために部屋は北側に、廊下を南側に配置しています。
正面塔屋のデザインがすごく変わっていて印象的です。




医療関係施設はこの他にも、名古屋衛戌(えいじゅ)病院(1878年)(愛知県有形文化財)、清水医院(長野県須原、明治30年代)(登録有形文化財)がありましたが、パススルーです。


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博物館明治村(8)教会

2011-03-21 01:40:48 | 建物(愛知県)
明治村教会建築のトップは何と言っても、


聖ザビエル天主堂。(登録有形文化財)

 旧所在地;京都市中京区河原町通三条上ル
 建築年:1890(明治23)年
 解体年:1967(昭和42)年
 移築年:1973(昭和48)年

フランシスコ・ザビエルを記念して、かつてザビエルが布教していた京都の地に、フランス人ビリオン神父の監督のもと、日本人の手によって建てられました。
ゴシック様式、外周はレンガ造り、内部は木造、漆喰塗り、ステンドグラスは色ガラスに模様を描いたものです。



薔薇窓。



何故にこの美しい建物を京都河原町通りに残せなかったのでしょう(涙涙)。





次は聖ヨハネ教会堂。(重要文化財)

 旧所在地;京都市下京区河原町通五条下ル
 建築年:1907(明治40)年
 解体年:1963(昭和38)年
 移築年:1964(昭和39)年
 設計者:ガーディナー

プロテスタントの一派聖公会の教会で2階が会堂、1階は日曜学校や幼稚園に使われていました。

中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に細部にゴシックのデザインを交えています。


京都の気候に合わせて天井には竹の簀が使われています。





もう一つは、大明寺聖パウロ教会堂。(登録有形文化財)

 旧所在地;長崎県西彼杵郡伊王町
 建築年:1879(明治12)年
 解体年:1975(昭和50)年
 移築年:1994(平成6)年

フランス人宣教師ブレル牧師の指導のもと、地元伊王島の大渡伊勢吉によって建てられました。キリスト教が解禁になってから初期の段階に建てられた教会建築の姿です。


外観は和風の農家のようなのに、内部は「コウモリ天井」のちゃんとした教会堂になっています。



コメント (4)
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