京都大学東南アジア研究所として使われてきた旧京都織物会社の建物は、1889(明治22)年の建築でレンガ造りの素敵な姿を鴨川東岸の川端通りに見せていました。
でも、I盛財団の寄付によりできた新しい建物がそのまん前に建ってしまって今では全く全体像を見ることができなくなりました


真ん中のH型のところがレンガの建物です。

前の建物との間はほんの数メートルしか離れていません。財団の建物の中からガラス越しにやっと見ることができましたが、川端通りからもその他の側からも全く存在がわからなくなってしまいました

建物自体は壊されずに残されたとはいえ、これでは全く「隠されて殺されてしまった宝物」で、悲しくなってしまいます。
前のビルのガラス越しに見えるようになっている六角堂の建物のように、古い建物のよさを活かしてなぜ設計できなかったのでしょうか
。
隠される前の堂々とした全体像はyume_cafさんのこちらのページで見ることができます。
でも、I盛財団の寄付によりできた新しい建物がそのまん前に建ってしまって今では全く全体像を見ることができなくなりました



真ん中のH型のところがレンガの建物です。

前の建物との間はほんの数メートルしか離れていません。財団の建物の中からガラス越しにやっと見ることができましたが、川端通りからもその他の側からも全く存在がわからなくなってしまいました


建物自体は壊されずに残されたとはいえ、これでは全く「隠されて殺されてしまった宝物」で、悲しくなってしまいます。
前のビルのガラス越しに見えるようになっている六角堂の建物のように、古い建物のよさを活かしてなぜ設計できなかったのでしょうか

隠される前の堂々とした全体像はyume_cafさんのこちらのページで見ることができます。