ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

隠された旧京都織物会社館

2009-10-18 01:03:04 | 建物(京大)
京都大学東南アジア研究所として使われてきた旧京都織物会社の建物は、1889(明治22)年の建築でレンガ造りの素敵な姿を鴨川東岸の川端通りに見せていました。

でも、I盛財団の寄付によりできた新しい建物がそのまん前に建ってしまって今では全く全体像を見ることができなくなりました




真ん中のH型のところがレンガの建物です。


前の建物との間はほんの数メートルしか離れていません。財団の建物の中からガラス越しにやっと見ることができましたが、川端通りからもその他の側からも全く存在がわからなくなってしまいました




建物自体は壊されずに残されたとはいえ、これでは全く「隠されて殺されてしまった宝物」で、悲しくなってしまいます。

前のビルのガラス越しに見えるようになっている六角堂の建物のように、古い建物のよさを活かしてなぜ設計できなかったのでしょうか


隠される前の堂々とした全体像はyume_cafさんのこちらのページで見ることができます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学文学部東館

2007-11-15 02:14:51 | 建物(京大)
京都大学文学部の建物では事務室のあった本館と、こちらの東館があり、こちらの方が新しかったのですが、文学部新館ができて、この建物が古い方になってしまいました。






ロの字型の四階建ての建物の西側に主な入口があり、



その中に中庭があります。



学生がほっこりできる場所です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工事中の京都大学東南アジア研究所

2007-11-14 01:54:09 | 建物(京大)
「壊されてしまいました」の記事の現状はこんな状態です。


京都大学東南アジア研究所の前面両側、川端通りに面してあった二つの建物が壊されて工事中になっています。
来年まで工事が続き、新しく寄付された建物が建てられます。

荒神橋から訪れたyumeさんの記事に触発されて急遽11月10日の様子をアップしました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壊されてしまいました

2007-11-02 03:43:30 | 建物(京大)

この建物。残念なことに壊されて、もう見ることができなくなりました。


川端通りに面して荒神橋の東側にありました。(写真は3月に撮影)


真ん中の奥にあるこの建物は1889(明治22)年に建てられた旧・京都織物会社、今は京大の東南アジア研究所で、文化財になっていて保存されていますが、


その前面両側にあったこの建物は、さる財団から新しく建物が寄付されることになり、そのために壊されてしまったのでした。


これもなくなりました。
文化財のレンガの建物ほど古くはないけれど、いい感じだったのに、ほんとに残念です。
しかも、新しくできる建物(3階建て)の図によると、レンガの建物も川端通りからは見えにくくなるものと思われます。




建物をぐるっと廻ってみました。




真ん中の門をくぐって奥に入ると、創建当時は工場群があったらしい。
そちらから川端通りを眺めるこの眺めも変わることでしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学法経本館

2007-07-05 23:20:02 | 建物(京大)

時計台の北側にある法経本館。東西両側の翼が時計台方向に向かって出ています。




時計台の反対側の中央に主入口があります。
縦方向に伸びる線が特徴的です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木下京大総長銅像

2007-06-23 02:35:13 | 建物(京大)
京大時計台の建物の左前に初代京大総長木下廣次の銅像があります。



台座の作者は時計台の設計者、武田五一。
この羽のような模様は彼の十八番らしく、あちこちで使われていて、木屋町三条上ルにある「佐久間象山遭難碑」にも見られます。

それにしてもこの台座と像のバランスのいいこと!木下氏がかっこよく見えて、自然に尊崇の念を起こさせるようなできばえです。


時計台に向かって右側には第7代総長荒木寅三郎(大正4年6月15日就任)の像があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学留学生ラウンジ「きずな」

2007-05-08 02:18:42 | 建物(京大)
京大本部事務局棟の南東にあるこじんまりとしたレンガ造り瓦拭きの平屋洋館です。
元は理学部物理学教室輻射学及び放射線研究室・防災研究所事務室でしたが、2002年春からは留学生と日本人学生および教職員との交流のためのスペースとなっています。



1916(大正5)年築。
 設計:永瀬狂三・山本治兵衛






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学時計台

2007-02-05 23:24:17 | 建物(京大)


時計台。




京大と言えば、先ずここでしょう。




時計台裏側にあった法経一番教室は時計台改修のため、2002年7月に取り壊されてしまいました。 法経一の地下からは中世白川道跡と江戸時代尾張藩下屋敷跡が出土しました。


2003.12.15に改修が終わりました。 法経一番教室のあとはガラス張りのホールになりました


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学工学部桂キャンパス

2006-12-22 02:24:53 | 建物(京大)
2006年12月には京都大学工学部桂キャンパスはまだ工事中の建物も多く、整備のただ中というところでした。

















東にははるかに京都市街が見渡せました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学工学部建築学教室本館

2006-12-04 23:52:23 | 建物(京大)
1922(大正11)年築。大正9年に設置された建築学科の主任教授になった武田五一が自ら設計しました。

















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学文学部陳列館

2006-12-04 02:23:09 | 建物(京大)
歴史学・考古学・地理学・古美術関係など、文学部が収集していた貴重な資料を収蔵する建物と して作られました。国史学演習で古文書を読む授業なども行われていましたが、総合博物館が建てられる時に一部だけが残されて、総合博物館の一画として残されました。
見た目には石造りに見えますが、レンガの上からモルタルを塗ったものです。
1914(大正3)年築。登録有形文化財。
設計は山本治兵衛・永瀬狂三。
















板張りの天井。


文学部陳列館の東半分は昔のまま、西半分は総合博物館に建て替えられてしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学工学部電気工学教室本館

2006-12-04 02:20:44 | 建物(京大)
1900(明治33)年築。山本治兵衛と永瀬狂三の設計。
玄関部分だけが残され、後ろに現代的な本体がくっついています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都大学医学部の近代建築

2005-08-29 01:16:55 | 建物(京大)
2005年8月28日、京都大学医学部構内の建築探訪に行ってきました。

今はF棟と言われているところが、参考文献「京都大学建築八十年のあゆみ」に載っている写真と位置から、医学部病理学教室本館だと思われます。
1930(昭和5)年、武田五一・大倉三郎設計。こちらは東向きの裏口。



南面。



正面は昔のスタイルを踏襲したれんが造りに改築されていますが、一階の庇は元はこんな風に平らではなく、2階、3階と揃っていたような・・・?


玄関ホールから中は元のままでした。



おやっ、これもいい建物。解剖学教室本館、かと思ったら実は解剖学教室講堂でした。1902(明治35)年築、山本治兵衛設計。西日が当たって自分の影まで写してしまいました。



講堂の裏(東側)にあった、多分解剖学教室実習室。講堂と渡り廊下で繋がっています。


通風口も木でできていて、かわいい。



これもよかった。医学部図書館の横にあるれんがの建物。こちらが解剖学教室本館。1901(明治34)年築、山本治兵衛設計。



これもよさそう。E棟(先端領域融合医学研究機構)



これは生理学教室研究室、1914(大正3)年、山本治兵衛・永瀬狂三設計。
今は医学教育推進センターになっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする