そのネコは、とても”人たらし”なネコでした。
10月のある休日に、富士吉田のキャンプ場にある作り付けのパオに、一泊のキャンプに行ってきました。1日目の晴れとはうって変わって、2日目は朝から雨です。2日目早朝のまだ薄暗い時分に、妻が玄関の窓から外をのぞいてみたら、パオの前の屋根付きデッキのところにネコがたたずんでいるといいます。
こちらがそのネコです。短毛で黒に白が入った、シッポが短めで体形がやや丸々としたネコで、オスのようです。
みんなで見に行って、身体をなでてもいやがりません。なにか我々が起きてくるのを待ちかまえていたような雰囲気もあります。家族が「ここで待ってたの?」と聞くと、「ミャウミャウ」と答えます。「何か食べる?」と聞けば、「ミャウワッ」と言います。私が「ニャンニャン」と呼びかければ、「ミャッ」と応答してくれます。言葉はわからなくても、会話的な受け答えができます。まるで家で飼っているネコのようです。
外は明るくなってきましたが、雨はあいかわらず降り続けています。焚火好きの妻が、朝から火を焚いています。
木炭用コンロで朝食の準備をします。ネコは1回、パオの縁の下に入って姿を消しましたが、間もなく戻ってきました。
ネコには朝食用の食材を少し分けてあげました。調理が済んだら、また分けてあげるつもりです。じっとテーブルの下で待っています。テーブルの上に乗って食材を勝手に食べたり、パオ(部屋)の中まで入ってくるような、ずうずうしいことはしません。人に喜ばれて、けっしてうとましがられないように、自ら会得したマナーをきっちり守っているようなところがあります。
しっかり人と目を合わせることができる子です。おしゃべりするときもちゃんとこちらの目を見ます。妻がネコに「車で来てないので連れて帰れなくてごめんね」と言っています。車で来ていたらほんとに連れて帰りそうです。なかなか朝食準備が終わらないせいで、もらえた食べ物が足りなかったからかわかりませんが、この後ネコはプイと姿を消し、2度と戻ってくることはありませんでした。あの愛らしい態度はなんだったんだろうと思いました。
さて、後で考えてみると、このようなネコとの交流は初めてのことで、おもしろい体験をしたものだと思いました。こんなことを考えました。
1.この日、キャンプ場に泊りに来ていた家族は100組以上いたと思いますが、うちのパオの前で早朝から待っていたということは、最初からうちの家族から食べ物をもらおうとねらっていた可能性があります。うちの家族はかつて飼っていた3匹のネコが皆亡くなってからいまだにネコロス状態が続く、大のネコ好きなので、ネコを大切にしないわけはありません。このネコはそれに気づいていたのでしょうか?いつどうやって?
2.このネコは、毎日うちのようなネコ好き家族を探し当てて食事をもらって生きてきたのかもしれません。そのためか、ヒトとのコミュニケーション能力がそうとう高いと感じました。そして、人見知りしません。他者との心の交流・コミュニケーションは、共感(シンパシーまたはエンパシー)、あるいは「心の理論(他人が何を考えているのか察する能力)」を用いて行っていると言われています。ヒトや類人猿は心の理論を使い、それ以外の動物は共感(シンパシー)を使う。さらにヒトの中でも自閉スペクトラム症者は心の理論の発達が遅れている、あるいは弱い、などということが言われています。このネコはどうなんでしょう。共感力が強くてこのような行動ができるのでしょうか。それよりも、心の理論が使えているような気がしなくもありません...あくまで個人的な印象ですが。少なくとも私よりこのネコのほうが心の理論を持っていそうです。世渡り上手で、”人たらし”で。
3.街に住むノラネコ(外飼いのネコとは違います)でここまで人見知りしないネコに会ったことがありません。毎日の仕事や生活に追われてあくせくと街で暮らしているヒトと、ワクワク気分でキャンプ場に遊びにきているヒトとでは、ネコに対する態度も大きく違っていることでしょう。それがそれぞれの場所に住むネコのパーソナリティーの違いに影響しているということはないでしょうか。