大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡に行ってきました(2023年11月5日)。先日行った綱島遺跡の発掘物が収蔵されているという横浜市歴史博物館を見ようとして行ったのですが、そちらは休業中だったため、かわりに近くにある大塚・歳勝土遺跡を見たという次第です。
横浜市営地下鉄のセンター北駅から歩いて5分のところに横浜市歴史博物館がありました。立派な建物です。
残念ながら休館中とのことで、大塚・歳勝土遺跡公園に向かいます。
その公園は、博物館から1本の道路(歴博通り)を越えたところにあります。
高台になっているところが、遺跡を中心に公園として整備されています。大塚・歳勝土遺跡は国指定史跡です。
芝生広場。家族連れが遊びに来ています。
大塚遺跡の入口。木の柵は後から作ったものでしょうか。
大塚遺跡は弥生時代のムラの跡です。発見された遺跡の上に、1.5mほど盛土がされていて、我々が見れるのはその盛土の上に復元された住居のレプリカということになります。また、真ん中の図を見ると色が付いている右側1/3が遺跡として残っていて、色が薄い左側2/3は開発によって消滅してしまったようです。左側2/3は今は道路(歴博通り)が通っています。小机城もそうでしたが、貴重な歴史的遺物がいとも簡単に破壊されていた高度経済成長期の日本の開発でした。
竪穴住居が立ち並んでいます。
これは、型どり復元住居跡という、住居のあとを型どりして土で埋めた上に、発掘跡を再現したものです。
復元された竪穴式住居。
復元された高床式倉庫。
周りには広葉樹の木々が生えていて、
ドングリ(コナラ?)がたくさん落ちています。縄文時代にはこうした木の実が主食とされていたのですが、弥生時代にも食べていたのかもしれません。今年、クマが全国の町に出没して人災を起こしているのは、エサとなるドングリの凶作が原因とされていますね。
これはクヌギ?
大塚遺跡は環濠という溝で囲まれています。そこに復元された木橋がかけられています。この時代はムラどおしの戦があったと考えられているので、この溝は防御のために作られたように思えますが、どの程度効果があったのでしょうか。
大塚遺跡から80mほど離れたところにあるのが、歳勝土遺跡という墓(方形周溝墓)の跡。
木棺も復元されています。
復元されていない墓の跡には、このような石が敷かれて場所がわかるようになっています。
公園内にある都築民家園は、近くにあった江戸時代中期の旧長沢家住宅が移築されたものです。
広間。ちょうど、上野雄次さんという花道家による展示もやっていました。竹にいけられた植物がそれです。
馬屋には、様々な道具が並んでいます。
旧長沢家住宅の横に建てられた茶室。
茶室の前には池と庭園が作られています。
庭に柿がなっていると、昔のいなかの屋敷を思い出します。
公園の奥に行くと遊具広場があって、ジップラインなどで子供たちが遊んできます。ジップラインは楽しいんだけれど、なかなか設置されている公園は少ないんですよね。
センター北駅前に戻りました。商業施設の上に観覧車もあるし、とても活気があります。港北ニュータウンとして高度経済成長の時代に作られた街ですね。
私が知っている場所だと多摩センター駅前にも似ている感じがします。
センター北は、古くて新しい街でした。