子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「めめめのくらげ」:カラフルな「ふれんど」は子供たちの心を捉えたか?

2013年05月18日 11時24分15秒 | 映画(新作レヴュー)
ニューヨークでは作品が16億円で落札され,ルイ・ヴィトンとのコラボレーションでバッグを制作し,ヴェルサイユ宮殿で個展を開く。カニエ・ウェストのアルバムのデザインによって,ストリート系の知名度も高い。そんな,おそらくは村上春樹に次いで日本人で二番目に知名度の高いと思われる「ムラカミ」こと,村上隆が映画制作に乗り出した。
「めめめのくらげ」は,村上隆テイスト溢れる生き物「ふれんど」に彩られた,カラフルで楽しい作品になった,と書きたかった。本当は。

中途半端な書き方をしてしまったのは,これが当初アニメーションで制作される予定だった,というチラシの記載を読んでしまったからだ。
その一文のせいで,自由で明るく,色彩豊かな生き物たちは,CGよりもアニメーションで描かれていた方が,間違いなくイマジネーション豊かな美しさを湛えた「ムラカミワールド」を創り出していたのではないか,という思いが頭を離れないのだ。
それは決してCGの出来を指摘している訳ではない。1,000カットに及ぶというCGを用いた画面は,賑やかで楽しい。特に緑に囲まれた神社におけるバトルは,いにしえの景色と騒々しいエネルギーが溶け合って,確実にこれまで見たことのない新しいアクションを創り出していると言える。

それでもなおそんな感慨を抱いてしまうは,制作者が3.11を踏まえて「実写映画」というフォーマットを選択したが故に,どうしてもこちらが話の展開や辻褄と言った,映画における基本的な約束事の遵守を求めてしまったからに他ならない。
例えば「ふれんど」を子供たちにあてがった,黒装束に身を包んだ黒幕たちのリアリティ。主人公の母親役として出演しながら,ほぼ冒頭のみで消えてしまう鶴田真由の扱い。校長から「我が校の制服はオーダーメイドですから」と言われながら,なぜか母親が主人公を家に置いて一人で「制服を買ってくる」と言って出て行ってしまう脈絡のなさ。そして,新興宗教の教団や東日本大震災という,リアルな世界を象徴する存在や出来事と子供たちとの距離感。
そういった一つ一つは些細なことかもしれない「隙」や「疵」が,映画の進行に従って少しずつ積み上がって行ってしまうことで,「ふれんど」の造形への共感や勝利の歓びよりも,そうした点への違和感の方が優ってしまったというのが正直な感想だ。

目論見の違いは,興行成績にも表れると思うが,おそらく村上隆がターゲットとした筈の小・中学生の姿は,観客席にはなかった。開放感に満ちた初音ミクのエンディング・テーマは耳に残るだけに,とても残念だ。
★★
(★★★★★が最高)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。