子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「4分間のピアニスト」:剥き出しになった痛みを体現する音

2008年01月05日 19時43分18秒 | 映画(新作レヴュー)
タイトルが表すラストの4分間の演奏シーンの迫力ばかりが喧伝されているが,そこに到るドラマの周到な構築術が冴え渡った,実に技巧的な作品だ。
ピアニストと女教師の二人の主役が持っている演技の質と温度の差が,音楽に対して持ち続ける同質の情熱と鮮やかな対比をなす対話シーンの緊張感は,ラストの演奏シーンを上回る。ダイアローグの重みに潰されることなく,お互いに上手を引いて渡り合う二人から発せられた熱が,音符を介して観客を熱していくようだ。

冒頭,夜明け前の空を美しく編隊を組んで飛ぶ鳥を,ゆっくりとカメラが追いかける。やがて鳥とカメラの間に,螺旋状に巻かれた鉄線が映し出される。どうやら刑務所のようだ。
その刑務所の一室で首を吊っているらしい女の身体を,下から上へ移動しながらカメラが舐めるショットが続く。ベッドで寝ていたもう一人の女が目覚めてその異様な事態に気付くが,特に驚く素振りも見せず,遺体のポケットから煙草をくすねる。
主人公の置かれた状況と性格を,たった二つのショットで簡潔に見せてしまう手腕に巻頭から度肝を抜かれるが,映画の最後,女教師の青春時代を知るに至って,観客はこのショットが主人公と女教師との繋がりを二重写しにする役割を果たしていたことに気付く。そのことによって,最後の演奏シーンには,自由に生きることの尊さと並んで,「生き残る」ことの重要性が鮮明に刻印されることとなった。

更に,音楽を愛していながらも才能に恵まれなかった看守を登場させることで,凡人の妬みと哀しみが,悲劇を増幅させる装置となる,という,どこかモーツァルトの人生を想起させるようなサブプロットも,物語の奥行きを豊かにしている。彼の娘のお辞儀に執拗にこだわる,一見硬直した女教師の反応も,生き方に対する鋭い問いかけとなって迫ってくる。

楽器としてのピアノが有する表現の可能性を追求する最後の演奏に,キース・ジャレットのソロを想起したのは私だけではないと思うが,その評価を超えて,観客席を見据えた主人公の視線は,充実感に溢れていたように見える一方,深い諦念も感じさせて胸を衝かれた。もう一度劇場で観たいかと問われたら,映像の圧力の強さを思い出して,ちょっと答えに窮するけれど。


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