子供はかまってくれない

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映画「ソーシャル・ネットワーク」:ソーキンとフィンチャーによる新世紀の「市民ケーン」だ!

2011年02月05日 23時28分40秒 | 映画(新作レヴュー)
映画の評論,批評に出てくる言葉に「人間が描けていない」というものがある。良く目にする表現ではあるが,実のところこれが具体的にはどういった表現や作品を指すのかは,評者によってかなりの違いがあるように感じる。煎じ詰めれば,犬の生態を描いたドキュメンタリーや宇宙人ばかりが登場するSFならいざ知らず,人間が出てきて何事かを為す様子を撮った作品であれば,スタイルの差こそあれ「人間を描いている」訳で,「描けていない」とされるのは「人間」という漠然とした括りではなく,登場人物の性格や思考が,観客に迫ってこない,判りづらいという場合に言われることが多いような気がする。

その伝で言えば,デヴィッド・フィンチャーが撮る作品の登場人物こそ,そういった評価を受ける典型かもしれない。
今年のアカデミー賞に最も近いとされる話題作「ソーシャル・ネットワーク」の主人公,マーク・ザッカーバーグ(演じるのはジェシー・アイゼンバーグ。雰囲気だけでなく名前までそっくりだ!)も,この作品を観る限りは,どういう人間なのかはさっぱり分からない。
「フェイス・ブック」が目指す人間同士の有機的な「ネットワーク」からは,最も遠い場所で生きているように見えながら,「フェイス・ブック」にありったけの情熱を注ぐ姿が,矛盾だらけに見えることも勿論だが,「フェイス・ブック」を立ち上げるきっかけを作った盟友(アンドリュー・ガーフィールド)を裏切るに至る過程がどうにも腑に落ちない。

しかし,いつものように時系列を巧みに操作し,アーロン・ソーキンが書き出した,まるで落語の台本のように大量の台詞を,ジェフ・クローネンウェスが作り出す流麗な映像に載せて炙り出したマークの孤独は,オーソン・ウェルズの「市民ケーン」を想起させるくらい巨大なものとして迫ってくる。そしてその大きさは,彼の性格や思考がどうのという次元を超えて,圧倒的な磁力を放っている。

背景で鳴り続けるトレント・レズナー(&アッティカス・ロス)の音楽は,ナイン・インチ・ネイルズの歴史を凝縮して再構築したような力強さで,物語の完璧な推進力になっている。アーミー・ハマーが演じる双子の兄弟のシークエンスは,前作「ベンジャミン・バトン」の映像テクニックを凌ぐような滑らかさで驚かされる。

CMディレクターとして業界に入り,映像センスを売り物にしてのしてきた若手の監督が50代を目前にして,基本的にはオーセンティックでありつつ,人間の不思議を新しい表現で物語として結実させた見事な成果。もう一度観たい。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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