子供はかまってくれない

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映画「ノルウェイの森」:一流のスタッフ,キャストによるチャレンジが行き着いたのは「’60年代日活映画」

2010年12月15日 23時31分18秒 | 映画(新作レヴュー)
村上春樹は広く海外に及ぶその絶大な人気から見れば,著作の中で映画化された作品は非常に少ない作家だと言っても良いと思う。すぐに思い出せるのは大森一樹の「風の歌を聴け」と市川準による「トニー滝谷」くらいだったのだが,ここへ来て主役にキルステン・ダンストを迎えたショート・ムービー「パン屋再襲撃」,そしてナスターシャ・キンスキーの娘ソニアが出演している「神の子供たちはみな踊る」と,海外で映画化された作品の公開が相次ぐ中,いよいよ真打ちの登場と相成った。
果たしてベトナム系フランス人のトラン・アン・ユンによる映像は,世界的な公開を意識した故なのか,「made in JAPAN」の香りが消された不思議な「日本映画」として我々の前に立ち現れた。その手触りは,本来ならば本作とは全く接点を持たないと思われた1960年代日活映画の,無国籍映画の感触にかなり近いかもしれない。

それは緑の部屋の造形や,永沢(玉山鉄二)の役作りなどにも現れているが,特に直子,緑,レイコ,ハツミという4人の女優の佇まいに顕著だ。
彼女たちの持つ儚さを伴った美しさを繊細に描きつつ,しかし生身の女性としての存在感をあえて消し去るような演出こそが,この作品におけるユンの真骨頂かもしれない。
レイコ(霧島れいか)がギターを爪弾きながら「ノルウェイの森」を歌うシーンは,60年代フォーク・シンガーのくさみみたいなものが,浮遊感漂う不思議な雰囲気を醸し出していたし,ハツミが永沢の不実をなじるシーンの初音映莉子の姿は,凛とした美を湛えていた。

その一方で,直子(菊地凛子)の比重は原作よりも軽くなっているが,そのことが物語の芯となる部分の弱体化につながってしまっているという印象も否めない。
どこからみてもベトナム人系日本人という感じだった水原希子(実際はアメリカ人と在日韓国人のハーフ)が演じる緑の溌剌とした若さが弾ければ弾けるほど,直子の沈み込んでいくような苦悩の描写が必要なはずなのだが,この部分のバランスを取るという考えは,ユンの頭にはなかったようで,終盤のあっさりとした展開には,正直拍子抜けした。

物語としては,阿美寮を抜け出した二人(松山ケンイチと菊地凛子)が語り合ううち,直子がワタナベに自分の苦悩を打ち明ける長いワンショットが,クライマックスとしての重さを纏うべきだったのかもしれない。しかしそれよりも,幾つかあるセックスシーンの「あっけなさ」と,まさかの「CAN」を起用してきたジョニー・グリーンウッドのエッジの効いた音楽の方が記憶に残っているのは,やはり如何なものかという感じだ。
画面が暗転した後で,ビートルズの主題歌が流れる前に,余計な独白を入れてしまうセンスも含めて,幸福な映画化とはなり得なかったようだ。村上春樹流に言えば「残念だけれども」。
★★★
(★★★★★が最高)


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