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No Music No Life

不器用な男の時代

2014年11月29日 | 日常
昔話で「金の斧、銀の斧」というのがある。
お爺さんが自分の斧を池に落としてしまって困っていると、池の神様が出てきてこういう。
「おまえの落とした斧はこれか?」と金の斧を見せる。
お爺さんは違うと応える。
「ではこっちか?」と今度は銀の斧を見せる。
それも違うと応える。
「なら、こっちか?」と古びた鉄の斧を見せる。
お爺さんは、それが自分の斧です、と応えるのだった。

昔はこういう正直さが美徳とされたが、最近はそうでもないらしい。

金の斧を手に入れるチャンスを逃しているじゃないか、ウソでもいいからチャンスを掴み、そこから成功への道を切り開かなくてはならない、と。

たとえば、長谷川豊という人。
この人は自身のブログで、よくこんなことを書いている。
「ホント日本人って、バカ正直で、お人よしで、マヌケな人ばかりだよな、海外では勝つためならなんでもやるのが常識なのに。
日本人くらいだよ、バカみたいに”ボクの落としたのは鉄の斧です”なんていってるのは」、と。

つまり、正直に「鉄の斧」と答えてしまう人は世渡りがヘタで不器用な人、そんなんじゃグローバルな競争には勝てないんだ、ということだ。
その意見はたぶん、正しい。
釈然としないけど。
もう不器用な生き方じゃダメなのだろうか。

そんな不器用な男を象徴する人物が亡くなった。
高倉健さんだ。

映画の役ではなく、本当の高倉健さんがどういう人物なのかは知らない。
芸能界という魑魅魍魎の世界を生きてきて、晩年まで主役を張るスターだったということは、けっこう器用に世を渡ってきたのだろう。
以前、僕は高倉健さんについて、こんなことを書いた。
その後、僕はいろいろ健さんの映画をレンタルで借りてみてきた。
唐獅子牡丹シリーズなど任侠ものから、八甲田山、鉄道員、それからここ最近の追悼番組で「南極物語」「あなたへ」「幸福の黄色いハンカチ」も見た。

「男の中の男」という健さんが見たいなら、定番は任侠ものだろう。
健さんが演じるのは「俺はロクデナシだからこんな生き方しかできねえ、だからマジメに頑張ってる堅気さんに迷惑をかけちゃいけねえ」という善玉ヤクザ。
で、悪いほうのヤクザにいじめられてる庶民が、健さんのところへ助けを求める。
いろいろすったもんだのあげく、健さんはたった一人で日本刀片手に適地に乗り込む。
全体的に健さんのセリフは少ない。
セリフではなく、しぐさや表情で語るのだ。

その点「幸せの黄色いハンカチ」ではちょっと違う健さんがいる。
いちおう主役は健さんということになっているが、どちらかというと武田鉄矢が主役で、北海道を舞台にした青春映画の雰囲気がある。
失恋の痛みから立ち直るため、新車で赤いファミリアを買い、一人で北海道までナンパ旅行にいく武田鉄也。
ここでひっかけたのが桃井かおりで、彼女もやはり失恋の痛みから立ち直っていない。
そこへムショから出てきたばかりの健さんと出会う。
その後、3人で旅を続けるのだが皆が皆、ちょっとカッコ悪いのだ。
健さんは珍しく饒舌で、過去の話を延々と語る。
妻は今も自分を待っていてくれてるのだろうか?
いざとなると怖気づく健さん。
それまでカッコつけてた健さんは、ここにきて突然小さくなり、武田鉄也と桃井かおりに励まされる。
僕は20年くらい前に一度この映画を見たことがあったのだが、そのときは対して何も思わなかった。
だが、昨晩これを見て、味わい深いいい作品だと思った。

このたび、高倉健さんが亡くなったことで、不器用な男の時代が終わった気がする。
これからは長谷川のいう賢い人間でなければならないのだろうか?
健さんは亡くなっても彼が残した映画はこれからも存在し続けるわけで、それは不器用で正直な人間の居場所も残されていることだと思いたい。

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