Music Mania

No Music No Life

みんなちがってみんないい

2019年08月10日 | 日常
みんな違ってみんないい、金子みすゞの詩から有名なフレーズである。


私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


みんな違うのは当たり前で、そこに優劣がないのも当たり前である。
しかし、現実社会の中では皆同じでなければならないことは多々あり、同じになれない人は下に見られたりする。

世の中には、なぜみんなと同じように出来ないんだろうとか、なぜ自分だけ人と違うんだろうと悩んでる人は多い。
そこへ多数派、つまり「みんな」の側にいる人が「みんな」から外れてしまった人に「あなたはあなた、みんな違ってみんないいんだよ」といっても、たぶん心に響かないと思う。

世の中はすべての人に対して平等ではない。
例えばギター一つとってみても、左利きの人が左利き用のギターを買おうとしたとき、右利き用よりも圧倒的に選択肢が少ない。
フェンダーのような大手で新品を買う場合はまだしも、中古市場となると非常に限られた中からしか選ぶことが出来ない。
ギターのような一般的な楽器、左利きのようなとくに珍しくもない特徴であっても、このような不便さがあるなか、もっと個性の強い、オリジナリティの高い身体的、あるいは精神的特徴のある人は、生きにくさみたいなのを感じるのは当然だと思われる。

しかし、マイノリティの人が不便なのは当然だ、というのは冷たすぎるしヘイトにもなる。
そこでせめて「みんな違ってみんないい」という古い詩を口ずさむ。
そう考えると、単なる偽善ではないんじゃないかとも思えるのだった。