Music Mania

No Music No Life

ネジ巻き鳥

2020年01月24日 | 読書
村上春樹作品を読もうと思い、どうせなら長編小説は全部読もうと考えた。
それで一昨年くらいから、1作目の「風の歌を聴け」から順に、すでに読了してあるものは除いて読み進めていった。
今読んでるのは「ネジ巻き鳥クロニクル」の1巻で、これを読み終われば氏の長編小説は全て読んだことになる。

この「ネジ巻き鳥クロニクル」だけど、数年前に読み始めて1巻の半分くらいで挫折したことがある。
物語に入り込むことが出来ず、また、他の本も同時に読んでいたため、そのうちどうでもよくなってきて、読むのをやめたのだった。

僕は時々、読み始めた本を途中で放棄することがある。
あまり面白いと思わなかったり、あるいは文章が自分に合わなかったりすると、無理してそれを読むのは時間の無駄だと思うのだ。
面白いと思う本を読むのは有意義な時間だけど、面白くないものは読まなくていい。
たとえそれが、ベストセラーであれ、ものすごくいい事が書かれてると評判の本であれ、自分に合わないものは合わない。

ただし、時間をおいてもう一度読み直すと、不思議と面白いと感じて読み進めることもある。
今読んでる「ネジ巻き鳥クロニクル」もそうだ。
以前は面白いと思わなかったけど、今読むとなかなか面白い。
おそらく音楽もそうだけど、いくらいいものでも、自分自信に受け入れる体制が整っていないと良さがわからないもので、そのときのシチュエーションによって変わることもあると思う。

僕は基本的に読者は暇つぶしとか、テレビや映画と同じ娯楽の一種でしかなく、教養のためとか知識を得るためとか、語彙力を高めるためなどてはない。
もっと純粋に、なんの目的もなく、ただ読みたいから読む。
それが正しい読書だと思ってる。
一番嫌いなのは、読者をやたらと高等なものに持ち上げて、読書しない人はダメ人間みたいに蔑む人である。
貧乏人は本を読まないとか、読書する人としない人の埋められない差とか、読書しない人とは付き合わないとか、
そんな人間はこちらから願い下げだ。
僕の知ってる、この人って本当に読書家だなあと感じる人って、そこにはまるで損得感情はなく、あくまでも好きで読んでる人ばかりだ。
間違ってもブログやSNSに、読書の効能みたいなものを書いたりしない人だ。
効能があるかないかなんて、どうでもいいことだから。

さて、村上春樹の作品って、すごく好き嫌いが分かれるもので、僕は数年前まで嫌いだった。
僕にとって日本を代表する作家は司馬遼太郎であり、村上春樹はどうにも好かなかったのだけど、今では長編物を全て読んでしまう勢いだ。
人前では、そんなこと恥ずかしくて言わないけれどね。
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