風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

ここが気になる①

2011-05-16 | 日常

この写真は、地元島本町第二中学校の硬式テニスコート横のトイレ。このコートは、学校のクラブの生徒らが使う他、使わない時間帯は一般に有料で貸している。

オレらのサークルもよく使うのだが、数年前からトイレがボロボロになっていた。1年前に、オレも、知り合いの町会議員からも役場に改善を要請した。その結果、役所が行った処置が写真の通り。

あれから1年数か月、取り換えもしないし撤去もしない。あまりのお粗末な処置に開いた口が塞がらない。役所曰く、「あのトイレは危険ですので使わないでください。トイレは離れた校舎のトイレを使ってください」とのこと。校舎のトイレ?は山を少し下って、歩いて行ったら、往復7~8分もかかるのだ。必要だから設置したんと違うんか。

それともう一つ、ここにある、以前使えた水道の蛇口が元栓を閉めてしまって使えなくなっているのだ。理由は、「いたずら?で出しっぱなしになっていたことがあった」というもの。もしそうなら、ひねった時にだけ出て離すと閉まる蛇口にすればいいだけのこと。

スポーツ時の脱水症状やねん挫などを起した時になくてはならないのが水なのだ。スポーツ施設から水道を奪ってしまうなど、まったくど素人のすること。
ぼやいてばかりいられない。これは、ヘタをすれば人命にもかかわることなのだ。

生い立ちの景色(26) 詰襟

2011-05-16 | 生い立ちの景色
1953年4月。
オレもいよいよ中学生。ついてこなくてもよかったのに入学式にはお母ァがついてきた。小学校の同級生の親に、「この子は人見知りするので、よろしく…」などと余計なあいさつをしていた。

この中学校の場所は、戦時中に「連隊」があったところで、校舎の半分くらいは元の兵舎をそのまま使っていた。
また、この中学校は市内で一番生徒数が多く、オレらの学年が少なくて9クラス、2年、3年はそれぞれ11クラスもあって全部で生徒は1500人もいた。

1クラス50人で教室内は席が一番後ろまで並んでいた。机と机の間も人一人がやっと通れるほどのぎゅーぎゅー詰めだった。
オレのクラスには、小学校の同級生が4~5人いたが、多くは他の小学校から来たやつらで、町育ち?の垢抜けしたやつが多かった。ちょっと肌が合わんなという感じがした。

歩いたら、学校までは一時間くらいかかるので、自転車で行くことになった。
中学生になったからといって、あれをやりたいとかこれをやってみようとかの目標も特になかった。そんな、オレの詰襟生活がスタートした。13歳の春だった。