風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(40)初めての梅田

2013-08-02 | 生い立ちの景色
1961年6月。
今月の17日で入社して3か月が経ち、名実とも正社員になった。給料も6600円から7300円に上がり、有給休暇も取れるようになり、そして労働組合員にもなった。もちろんこの間、一日も休まず仕事も一生懸命やった。同じ学校から入社した男4人も無事全員が正社員になれた。

その一人のFが給料日の帰りに、「こんどの日曜日、みなで梅田に遊びに行かへんか」と言った。他の2人は「いこ!いこ!」とすぐに同調した。Fの「お前も行くやろ」の言葉に「うん」と返事をしたが、オレはあんまり気乗りがしなかった。梅田と言えば大阪一の繁華街。Fは時々行ったことがあるらしく、他の二人も嬉しそうだったが、オレは少々不安だった。「遊びに行く」って、何をして遊ぶのか、どれくらい金がかかるのかと…。

当日、電車が梅田に近づくと、窓からは一番上までは見えないほどの大きなビルや派手な看板が線路の際まで迫っていた。改札を出たが、オレともう二人は右も左もわからない。とりあえずFについて行った。しばらくの間、国鉄の駅と阪急の駅の辺りをぶらぶらした。
ちょうど時間も昼頃になって、腹がだいぶ減ってきた。「何か食おうや」と誰かが言って、百貨店の地下の食堂に行こうということになった。

食堂の入口を入りかけた時に5、6人の同い年くらいの女がいて、こっちを見て笑っていた。オレは食堂の中に入りかけていたが、Fがこの女らに声をかけた。そしたら、この女らもいっしょに食堂に入ってきて、同じテーブルに座った。Fは笑いながら何か話しているが、オレの心臓はちょっとドキドキだ。「なんでこんなやつ連れてきたんや」と思った。Fがええ格好して標準語で「君らは何にする?」と女らに訊いている。

全員がにぎり寿司ということになった。高級な寿司の割には、ぜんぜんうまくなかった。オフクロが作る巻き寿司やバラ寿司の方がはるかにウマイと思った。食い終わるまでオレはひと言も口を利かなかった。食い終わったら、Fが全員分のコーヒーを注文した。
勘定の時に、Fが女の分までオレらに割って出せといった。仕方なかったので渋々出したが、えらく高くついた。
食堂を出てからもFはまだ女と話をしとったが、オレは少し離れたところで話が終わるのを待っていた。
帰りの電車の中で、Fが女の一人の住所を訊いたとメモを見せていたが、オレは全然興味がなかったので知らんふりをしていた。
自分が稼いだ金で大阪一の繁華街に遊びに行ったがもうひとつ楽しくなかった。
コメント
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