風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

盆と〝おしょらい舟〟

2013-08-16 | 日常
お盆の風習を調べていたら、ある提灯屋のホームページに「お盆のはじまり」として次のように書かれていた。

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お釈迦さまの高弟に、目蓮(もくれん)という人がいました。心やさしい人で、とりわけ亡き母が忘れられず、いつも自分を育ててくれた母の恩を思っていました。 あるとき目蓮は、神通力を得て、あの世の母を探しました。すると母は、地獄の餓鬼道で苦しんでいました。 悲しみで胸もつぶれそうな目蓮が、鉢に飯を盛って母にさし出すと、供養の飯は口に入る直前に火となって燃えてしまいます。

目蓮が母の救いをお釈迦さまにおすがりすると、お釈迦さまは次のように言われました。 「お前の母は、恵まれた家柄に生まれたにもかかわらず、人に施しをすることなく、自分の欲望を満たすことだけで人生を過ごしてしまった。 そのために餓鬼道に落ちてしまったのだ。7月15日は修行僧が一堂に集まり、それぞれが過去を反省、懺悔(さんげ)して仏道修行に励もうという日だ。 この日に皆さんに御馳走(ごちそう)をさしあげ、母のために苦を抜き楽を与えてくださるように頼みなさい。お前のそのような行ないを見て、母は自らを反省し、やがて天に昇ってゆくことだろう。」

目蓮がその通りに供養したところ、母は地獄の苦しみから救われて浄土に昇っていったということです。

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オレの家では、帰ってきた先祖が15日の夕方に、菰(イネ科の多年草)の「おしょらい舟」(「お精霊」が訛って「おしょらい」になったのか?)に乗って、またあの世に戻っていくのだ。
盆が近くなると、親父(親父亡き後は長兄が)が池や井路に生えている菰を刈りに行き、それで舟を作る。菰舟は長さ1m位で艫の幅は50㎝の三角形で、舳は20㎝くらいの高さで折鶴の頭のように斜め下に折り曲がっている。
そこに仏壇前にお供えしていたお供えを積み込んで線香を立てて淀川に流すのだ。(舟が燃えるからロウソクは立てるが火をつけない)
岸近くには流れの澱みがあって、うまく流れに乗ってくれないので本流のところまで竿で押し出すのがオレの役割。見送りに来たみんなが手を合わせて、うまく流れに乗っていくのを見届けてから家に戻る。これで盆のすべての行事が終わり。

盆が終わると、陽暮れが少し早くなる。朝晩も涼しくなり虫も鳴きだすとちょっと寂しくなる。
夏休みも残り少なくなり、遊び呆けて宿題を放ったらかしていたオレもちょっと慌てる。
ガキの頃の盆の想い出。