風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(26) 詰襟

2011-05-16 | 生い立ちの景色
1953年4月。
オレもいよいよ中学生。ついてこなくてもよかったのに入学式にはお母ァがついてきた。小学校の同級生の親に、「この子は人見知りするので、よろしく…」などと余計なあいさつをしていた。

この中学校の場所は、戦時中に「連隊」があったところで、校舎の半分くらいは元の兵舎をそのまま使っていた。
また、この中学校は市内で一番生徒数が多く、オレらの学年が少なくて9クラス、2年、3年はそれぞれ11クラスもあって全部で生徒は1500人もいた。

1クラス50人で教室内は席が一番後ろまで並んでいた。机と机の間も人一人がやっと通れるほどのぎゅーぎゅー詰めだった。
オレのクラスには、小学校の同級生が4~5人いたが、多くは他の小学校から来たやつらで、町育ち?の垢抜けしたやつが多かった。ちょっと肌が合わんなという感じがした。

歩いたら、学校までは一時間くらいかかるので、自転車で行くことになった。
中学生になったからといって、あれをやりたいとかこれをやってみようとかの目標も特になかった。そんな、オレの詰襟生活がスタートした。13歳の春だった。

悔しいから

2011-05-09 | 日常

家のサクランボが色づいてきた。
去年、枝を切りすぎたせいか今年の実生りは数は多いが小粒だ。

もう少し熟してからと思っているうちに、ほとんどヒヨドリに持っていかれる。以前はネットを被せていたこともあったが、面倒くさくなり、ここ数年はそのままにしている。

しかし、ヒヨドリにすべて食われるのは悔しいので、今朝、夜が明けるのを待って少し収穫した。
紅く熟した摘みたてを2、3個ほおばってみた。甘酸っぱい味が口の中に広がった。



家人が起きてきて、ザルに入ったサクランボを見て、「どうしたん?」と。「鳥にばかり食われるのが悔しいから」というと、「ふ~ん」と。

「朝の幸せを少しいただきたいと思って」と言いそうになったが、家人に笑われるのが悔しいので、それは言わなかった。

「あいつ」

2011-05-07 | 趣味
5日にダンスパーティーに行ってきた。いつも会費は7~800円なのに、この日は1200円だった。会場に着いて、高い訳がわかった。生演奏ではないが“生歌”があるという。

何曲か踊ったところで、司会者から、「本日のゲストを紹介します。ただいまから○○さんに歌っていただきます…」のコメント。
少し低音で甘いブルース調の声が会場に流れると、それぞれのカップルが踊りだした。みんな踊りだけでなく、甘い歌声に酔っているような雰囲気だ。

歌が終わり、CD演奏になった。自席に戻って少し休憩してみんなが踊っているのをみていたら、なんと、さっき歌っていた人が踊っているではないか。それもえらく上手い。オレも暫く見とれていた。

パーティーもいよいよ盛況になったころ、再びこの人物が登場して、「あいつ」を歌った。バラード調の「あいつ」といえば、おれのカラオケレパートリーの中でも17番くらいの曲なのだ。
それにしても、歌が上手いし、踊りも上手とは…。悔しい!

終ったあと、友達と麦酒で乾杯。いろいろな話の中で、「もっと上手になって、オレも歌って踊れるようにガンバル!」と宣言してしまった。
しばらく中断していた、夜の「自主レッスン」を明日から再開しよう。

※参考までに、何人かの歌手が「あいつ」を歌っているので紹介します。
好きな方は、それぞれ聞き比べてください。
旗照夫の  ○フランク永井の  ○高橋真梨子の  ○水原弘の
 ○石原裕次郎の

乗せられて?

2011-05-06 | 日常
4日、恒例の「高槻ジャズフェスティバル」に行ってきた。
毎年、5月の3、4日の二日間やっているのだが、すっかり忘れていた。

当日、他の用事でたまたま自転車で出掛けたら、阪急高槻駅前辺りはすごい人、何処からとなく音楽も聞こえてきた。そーや、今日はフェスティバルの日や、ラッキーという感じだったが。

ちょうど、男2人、女性1人の演奏が始まっていた。周辺は、「駐輪禁止」だったが、適当に駐輪して、さっそく聴衆の輪の中に。久しぶりの“生”演奏はやっぱりいい。

30分くらいのステージで、最後の一曲になったときにボーカルの女性が“チップ入れ”の帽子を持って聴衆の中へ降りてきた。
いい音楽をタダで聴かせていただいたので、少しくらいのチップはと思って財布の中を見ると硬貨は10円玉と1円玉しかない。


       (この女性が回ってきた)

そうこうしているうちに、その女性がオレの前に回って来た。オレは、慌てて、とっさに紙幣を(紙幣といっても福沢諭吉ではなく、野口英世ですが…)女性が持つ帽子に入れてしまった。
実はこの“野口英世”は、行きつけのスナックにカラオケに行くための資金だったのだ。

まあいいか。今日は祭りやからという気分でスナックへ。お客さんが3人だったので、ママさんも加わって、5時まで歌いまくった。
外に出ると、今度はロック調の音楽が聞こえてきた。それに引き寄せらるように、またまた聴衆の輪の中に。


      (出演者も聴衆もノリノリ)

すごい人、演奏もノリノリ、聴衆の老いも若きもノリノリですごい熱気。いつの間か、年甲斐もなく?オレの体もみんなとともに揺れていた。(ただし、手を振るのは自制?した)

あ~ッよかった!帰り道30分、家に着いてもまだ余韻はオレの体中に残っていた。

レンゲ畑の行方

2011-05-03 | 社会
最寄のJR島本駅西側の田んぼに、恒例の「レンゲ畑」(5日の午前中まで)が催されている。この畑、地域の自治会などの「住民委員会」が世話をしているのだが、今年、委員になったので、昨日の午後の4時間「畑当番」に行ってきた。

肝心のレンゲ、去年秋の種蒔きからの気象の加減か、今年の出来具合はもうひとつだ。
それでも、幼稚園や保育園の子供たち、写真をとる人、小さい子供連れの人がぼつぼつと来られる。

当番(二人)の主な仕事は、畑の端のほうに日よけの傘を立て、椅子に座って来場される人数をチェックすること。
去年までの「当番」さんの様子を見ていたら、“暇そう”だったので、「時間があったら来てー」と、午前中に何人かの友人にメールしておいた。

メールのお陰か、暇な?友人ら3人が来てくれて、なんとか持て余していた暇の相手をしてくれた。
もう一人の当番さんは、女性のベテラン委員だったが、気さくな方でいろいろ話しを聞きながら4時間の役目を果たした。

ただ、このレンゲ畑あと何年つづけられるのか。というのは、現在この地域は「調整区域」になっていて開発が出来ないことになっているが、JRの駅が出来たことによって、町の「行政プラン」で近いうちに開発可能な地域に変更することが検討されているのだ。

「西に山、東に川、緑も多く、田んぼも残っていていいところやね」といわれるわが町。開発優先で、「企業誘致、人口を増やす」政策がほんとうに住民が望んでいることか。のどかなレンゲ畑がいつまでもつづくことを願う。