4月7日(火)、快晴。
暖かな日が続いています。周りの桜は、満開直前という感じです。
例によって、今日もいろいろの仕事をこなしました。
「源兵衛清安」の盛り上げ、「駒づくり教室」の教材準備、木地の発送などなど。
話は変わりますが、何でも、徳島県の鎌倉時代の遺跡から「奔横」の駒が出土したということです。
もっとも、報道では「奔横」ではなく「本横」と解説されています。
しかし、写真を見ると小生には「奔横」と読めます。
恐らくは、発掘した部署の担当者が「本横」(奔も本も、ホンですが)と読んでしまったのでしょう。
それを報じた新聞社でも、写真の文字に何の疑念も抱かずに右から左へと確認することなしに誤ったままを報道したのでしょう。
このあたりは、先日の「誤探知」発表と同じように、川上で言っていることを自分の眼で確かめればいいものを、それをしないでそのまま垂れ流すという初歩的ミスなのでしょうね。
いずれにしても「奔横」という駒は、初見です。
恐らく、昔のプレイヤーは「ホンオウ(ホンノウ。旧かなづかいではホンワウ)」と発音したのでしょうね。
この駒をめぐっては、2つの見方が出来ると思います。
1つは、音からの連想です。
「奔横」は「奔王(ホンノウ)」と同じ音になります。
このことから「奔横」=「奔王」ではないかという見方が出来ます。
「奔王」の裏は、中将棋・大将棋・摩訶大々将棋・大々将棋・泰将棋などにそれぞれあり、いずれも裏はブランクです。(多分、この駒の裏はブランク?)
もう1つの見方としては、駒の表と裏の駒名の使われ方からです。
例えば、摩訶大々将棋には、裏に「奔猪・奔熊・奔狼・奔豹・奔虎・・奔金・奔銀・・」などと、上に「奔」の字が付けられた駒が多く、それらの表は「嗔猪・盲熊・悪狼・猛豹・盲虎・・金将・銀将・・」であり、ひょっとすると、「横行」との関係がある駒なのかもしれないという見方です。
ただし、「摩訶大々将棋の横行」の裏は「金」ですから、これではありません。
だとすれば、未知の将棋だということにはなりますが・・??。
報道では、裏の文字のことには触れていませんから、恐らくはブランクなのでしょうね。
念のため、以下に徳島県埋蔵文化財センター発表の報道をコピーしておきます。
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将棋駒に「本横」の文字 徳島・川西遺跡
2009.3.13 21:38
このニュースのトピックス:囲碁・将棋
川西遺跡の川跡から見つかった「本横」と墨書きされた13世紀の将棋の駒=13日午後、徳島県庁 徳島市上八万町の川西遺跡の川跡で、「本横」と墨書きされた13世紀の珍しい将棋の駒が見つかり、徳島県埋蔵文化財センターが13日、発表した。
センターは鎌倉-江戸時代に武士や貴族らが楽しんだ中将棋の駒「奔王(ほんおう)」の読みに適当な文字を当てたとみており、「付近に寺院があったようで、僧侶が遊んでいたのではないか」としている。
駒は縦3・6センチ、横2センチで、裏側に文字はなかった。「金将」2枚と無地の駒1枚のほか、わんやげた、木彫りのハスの花も出土。木くずがあることから、近くに木製品の生産工房があったらしい。
中将棋は、現在普及している縦横9マスの将棋と違い、縦横12マス。対戦者はそれぞれ46枚の駒を用い、奔王は飛車と角を合わせた動きができる。
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暖かな日が続いています。周りの桜は、満開直前という感じです。
例によって、今日もいろいろの仕事をこなしました。
「源兵衛清安」の盛り上げ、「駒づくり教室」の教材準備、木地の発送などなど。
話は変わりますが、何でも、徳島県の鎌倉時代の遺跡から「奔横」の駒が出土したということです。
もっとも、報道では「奔横」ではなく「本横」と解説されています。
しかし、写真を見ると小生には「奔横」と読めます。
恐らくは、発掘した部署の担当者が「本横」(奔も本も、ホンですが)と読んでしまったのでしょう。
それを報じた新聞社でも、写真の文字に何の疑念も抱かずに右から左へと確認することなしに誤ったままを報道したのでしょう。
このあたりは、先日の「誤探知」発表と同じように、川上で言っていることを自分の眼で確かめればいいものを、それをしないでそのまま垂れ流すという初歩的ミスなのでしょうね。
いずれにしても「奔横」という駒は、初見です。
恐らく、昔のプレイヤーは「ホンオウ(ホンノウ。旧かなづかいではホンワウ)」と発音したのでしょうね。
この駒をめぐっては、2つの見方が出来ると思います。
1つは、音からの連想です。
「奔横」は「奔王(ホンノウ)」と同じ音になります。
このことから「奔横」=「奔王」ではないかという見方が出来ます。
「奔王」の裏は、中将棋・大将棋・摩訶大々将棋・大々将棋・泰将棋などにそれぞれあり、いずれも裏はブランクです。(多分、この駒の裏はブランク?)
もう1つの見方としては、駒の表と裏の駒名の使われ方からです。
例えば、摩訶大々将棋には、裏に「奔猪・奔熊・奔狼・奔豹・奔虎・・奔金・奔銀・・」などと、上に「奔」の字が付けられた駒が多く、それらの表は「嗔猪・盲熊・悪狼・猛豹・盲虎・・金将・銀将・・」であり、ひょっとすると、「横行」との関係がある駒なのかもしれないという見方です。
ただし、「摩訶大々将棋の横行」の裏は「金」ですから、これではありません。
だとすれば、未知の将棋だということにはなりますが・・??。
報道では、裏の文字のことには触れていませんから、恐らくはブランクなのでしょうね。
念のため、以下に徳島県埋蔵文化財センター発表の報道をコピーしておきます。
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将棋駒に「本横」の文字 徳島・川西遺跡
2009.3.13 21:38
このニュースのトピックス:囲碁・将棋
川西遺跡の川跡から見つかった「本横」と墨書きされた13世紀の将棋の駒=13日午後、徳島県庁 徳島市上八万町の川西遺跡の川跡で、「本横」と墨書きされた13世紀の珍しい将棋の駒が見つかり、徳島県埋蔵文化財センターが13日、発表した。
センターは鎌倉-江戸時代に武士や貴族らが楽しんだ中将棋の駒「奔王(ほんおう)」の読みに適当な文字を当てたとみており、「付近に寺院があったようで、僧侶が遊んでいたのではないか」としている。
駒は縦3・6センチ、横2センチで、裏側に文字はなかった。「金将」2枚と無地の駒1枚のほか、わんやげた、木彫りのハスの花も出土。木くずがあることから、近くに木製品の生産工房があったらしい。
中将棋は、現在普及している縦横9マスの将棋と違い、縦横12マス。対戦者はそれぞれ46枚の駒を用い、奔王は飛車と角を合わせた動きができる。
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駒の写真集
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