五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

スカG伝説の始まり

2012年06月09日 | ミニカー
東京オリンピックが行われた1964年(昭和39年)に行われた第2回日本グランプリ(日本GP)。
GT-IIクラスで優勝を争ったのはポルシェ904(カレラGTS)とプリンス・スカイラインGTでした。

ポルシェ904は発売されたばかりのミッドシップ・スポーツカー、詳しくは触れませんがドライバーの式場壮吉さんとポルシェの関係から、アメリカに輸出されるうちの一台を特別に回してもらったとか。



一方のスカイラインGTはプリンス自工が制作した高性能GTカー。日本GPのために急きょ100台制作されて車両としての登録が行われました。この大会にかけるプリンスの意気込みが伝わってきます。
しかし、同じクラスへの参戦と言ってもレース用のスポーツカーと市販用セダンの改造車とでは違いは歴然、ただし予選はポルシェ904は2台のスカイラインGTの後塵を拝し3位でした。



しかも運の悪いことに予選でクラッシュしてしまい、ボディに大きなダメージを負ってしまいました。
鈴鹿のレース場から名古屋の修理工場に運ばれたポルシェ904は応急修理をして再び鈴鹿に姿を現します。壊れた箇所を修正するために旅館の浴衣を裂いてエポキシ樹脂をしみこませて成形したという逸話が残されていますが果たして...。



決勝レースではスタートからトップを独走しその圧倒的な強さを印象付けますが、7周目に周回遅れの車を抜こうとしたときにカーナンバー41、白いスカイラインGTに乗った生沢選手に抜かれてしまいます。
しかしすぐに抜き返し再度トップに立つと、その後は首位を守って優勝を果たしました。
生沢選手は結局3位でゴールしました。



上の写真の青いスカイラインGTは2位でゴールした砂子義一選手の車です。
このミニカーは、万代書店という古本屋(というよりはいろいろな中古品を扱っている大きなお店ですが)で偶然に見つけたもので、それまで余りその気が無かった第2回日本GPのミニカーを集めようというきっかけになりました。

一時的にせよレースカーのポルシェ904を抜いたスカイラインGTは、このレースで一気に人気が沸騰し、後の「スカG」ブームのきっかけになったとされています。
また、ポルシェに敗れたことでその後のプリンスR380の開発へとつながることになります。

※ミニカーはエブロ製(青のスカイラインのみ京商製)、1/43スケール。
コメント (2)
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