松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

もっとやさしく-その1-

2005-06-04 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
梅雨の時期を迎えて湿度が体に障るのかも
しれませんが、体の状態が
日々変動していることをしみじみと感じています。
体は自然の一部なんだなあと思う反面、
体調の変化にかかわらず
生活負荷(なんて言葉があるのだろうか)を
考慮することもない自分を
やさしくないなあと反省しています。

自然レベルの影響を調整するのは難しいことですが、
自分の生活リズムは自分の意志しだいで
調整できる余地があります。
太極導引を始めてから4年目ですが、
調整という意味をわかったようでいて
わかっていない一面でもあります。
まだまだ修養が足りませんね。

甘やかすことといたわることは違うのだ
とわかっているつもりなのですが、
実生活の中ではかなり曖昧になっています。
というか、心情的には
逆になっているような気もします。

例えば、腰痛が起こったとき。
症状にもよりますが、一般的には
長時間同じ姿勢をとり続けたことによる
筋肉疲労と考えられます。
ですから対処としてはまず休養することで
疲労回復をはかること。
ところが心情的には「筋肉が弱いから疲れたんだ」
というふうに思いがちです。
こうなると休養して回復をはかることが
どこかに飛んでしまって、
“筋力アップ”→筋肉トレーニングに
飛びつく思考回路にはまり込みやすいようです。

この背景には内心しまった!
という思いがあるのだと思います。
これはつまり“マズイこと”=不本意なことですから、
どうしても挽回せねば!
という焦りにもつながります。

でもここで踏み止まってよーく考えてみれば、
体が勝手につまずいたわけではなく、
自分が蒔いたタネなのです。
弱らせてしまったのは自分ですから
体をいたわることは当然です。
弱っている体に焦りを感じるのは
自分の都合を優先したがる“こころね”に対する
甘やかしです。
どんなに焦ってみたところで
体は気持ちについていけない状態です。
自分が悪かったと謙虚に反省してから
次のステップに移らなければ、
体だってひょっとしたら根に持つことが
あるかもしれません。
もちろん人の世は自分の都合ばかりが通るわけもなく
無理もやりますが、
その自覚があるだけでもかなり違ってくるように思います。
無理することに歯止めがかかるというのか、
自制するというのか。
内なるブレーキがかかるっていう感じでしょうか。

どうも自分の体に対しては
無頓着になりやすいような気がします。
他人には「体に気をつけて」なんて言うクセに…(苦笑)
これも“ウチヅラ”が悪いというやつでしょうか。